残った雄鶏は3羽。それもそれぞれの囲いの中で一羽づつ。
いやあああ、群れが平和になったなあ。雄鶏ってさ、寄ると触ると首筋の羽を逆立てて命がけの喧嘩をするから。文字通りの命がけ。どこがトサカだかわからないぐらい突かれた頭から血を流す雄鶏なんてザラだから。
その喧嘩の途中で、卵があれば蹴散らし、雌鳥と見れば我先にと強姦し、とにかく大暴れしまくりで、迷惑なことはなはだし、なもんで。
「そうまでして順位を決めなならんのかよ~~!!」と思うけれど、そうまでして決めねばならんのが、どうやら雄という生き物らしい。無用なり、闘争本能。
今後雛が孵ったら、雄とわかった鳥は速やかに〆て食べる。
・・・・・・・って雛のうちはその判別がなかなか難しいんだけれどね。プロがいるのもむべなるかな。
]]>さて、この世でもっとも不条理かつ不平等な勝負、それが「色恋の道」でございます。
人間の男女の仲もジッタバッタの四苦八苦、大騒動でございますが、それは雌雄のあるほかの動物においても一緒。ままならぬのが恋の道。
さて、ちょっと油断してるとあっという間につがいを作ってしまううちの鶏さんたちですが、彼らの間にも歴然と「もてるもてない」があるんでございます。写真のように。
三羽の雌鳥さんたちに囲まれてウハウハハーレム状態の白雄君と、あぶれて一人さびしく夜を過ごす白雄君´と、人間のわたくしにとって見た目ほとんど変わりません。彼女たちが何をもってして彼を選んでいるのか、謎です。たぶん鶏的な腕っぷしの問題なのでしょうが・・・・・・・
どこの世界もキビシ~~~~!!!
]]>「なんでこいつとこいつが?」というカップリングも多々あり。
う、うらやましくなんかないやい。
]]>どちらも女を罵る言葉ですが、なんだかなあ。「雌犬」とか「雌豚」とか言われたらあたしゃ大喜びだけどなあ。犬も豚も子だくさんで子育て上手。それの何が悪いの?わからん。
「bitch」と「pig」の訳語なわけだけど、まあ肉食で人間至上主義で男根主義のキリスト教圏でまかり通る概念だよな。娼婦・淫乱=雌犬・雌豚。笑っちゃうね。発情期の雌犬が雌豚が女が、淫乱で何が悪い。淫乱でなけりゃお前ら困るだろうが。我が身を省みろっちゅうの。
教会で法で管理できないSexを「魔女と悪魔の為すところ」などと世迷いごとを吐いて、同族を拷問にかけまくり火焙りにしまくった連中の尻馬に乗る必要などまったく感じないね。
日本の民俗社会では明治維新で富国強兵と家父長制を言い出すまで「女の処女性や貞操」など武家以外ではまったく問題にされてなかった(ほんとだよ。どこの地方も夜這いOKだったのじゃ)。根っからの母系社会なんだわ。そんな国で「雌豚」も「雌犬」も歓迎されこそすれ罵り言葉としては意味をなさんだろう。
「雌犬」で何が悪い?少なくともあたしゃ「かくありたし」と目指しておるので言われたら嬉しいぞ。
]]>名目上は鹿児島市内なのですが、たいがい山の中で、敷地の南側には深い谷がつながっており、しかも庭も畑も椿だらけのわが椿屋敷。必然的に2月3月は、ウグイスやメジロ(鹿児島弁でハナシ)のナンパ場とあいなります。
今朝、モモとのんびり見回っておりましたら、藪の中から「ホー・・・・・キョキョキョ♪」と気の早いウグイスくんが「谷渡り」の修練に励んでおりました。うううむ、もうそういう季節か。
彼らにしてみれば、一重にこの鳴き声の良し悪しで「彼女をゲットできるか否か」がかかっているのですからね。人間の男子のように「ギターを練習してみたけれど音痴でリズム感が無かった。顔も不細工でイノシシの如し。あきらめてIT企業を興して株操作して大儲けして、合コンしまくって札束で顔はたいて女の子と寝まくった。」などという逃げ道が無いわけですから、修練にも熱が入ろうというものです。
しかし、自然とは残酷なもの、なにやらすぐに「ホー・・・ホケキョ♪」とマスターできる奴もいれば、いつまでも「ケキョケキョケキョ」とやっている奴もいる。うちの椿のある程度大きい木は、それぞれの縄張りになるらしく、「ホー・・・ホケキョ♪」と才能のある奴は早々といい木を確保している様子。だとすると、女の子に気持ちのいい音楽を聴かしてやった上においしい蜜を吸わせる高級レストランを貸切にしたようなもの、ナンパ成功率は格段に高くなることでしょう。熾烈な争いになるのも当たり前です。
まっこち、何の世界も一皮むけばキビシかことよ。ところで「じゃあウグイスの写真を撮って載せろ」などと無理難題は言わんとってくださいよ。
]]>「ジョロウグモの雄が雌に求愛する」の図である。大きいほうが雌で、雌の足の長さほどもない小さいほうが雄である。
こちらも見づらいが、カメムシをくわえた雌の斜め左に小さな雄がいる。雄の大きさはカメムシとさほど変わらない。これでは、うっかり交尾の後で喰われてもいたしかたないといわざるを得ない。
畑にとって「ミミズ様は神様で、蜘蛛様はお味方」なので、農薬を撒かず大事にしている。今時分畑中が雌の張った蜘蛛の巣だらけで、まさしく求愛シーズンであるために、ムカツクというかうらやましいというかにそのほとんどの巣に、雄がきている。まあしかしジョロウグモの雌は甲斐性あるからなあ。直径1mを超える実に見事な巣を張っている。自分と同じぐらいでかいバッタなんかもぐるぐる巻きにしていた。雄は、より体がでかくより立派な巣を張る雌を選ぶ傾向があるという。ある意味おなごの理想じゃのう。もう、いっそかくありたきものよ。
というわけで、わたくしも巣を整え食料を自力で手に入れるべく日夜努力しておるわけだが、「忙しい忙しい」とかいいながらこうやって他人(他蜘蛛)の恋愛沙汰をのんびり観察しているあたり、どう贔屓目に見てもジョロウグモの雌に比べると小物であるといわざるを得ない。ちと口惜しいが。
]]>京都にいた頃、大阪女の友人が血相変えて聞いてきたことがある。「春ちゃん!これほんま?!」それは、ちょっと見お堅い論文のようであったが、中身はとんでもなかった。つまり、一昔前の我が鹿児島南薩地方の恋愛事情を、(明治のことだ)民俗学的に論文にしたものであった。いわく、この地方では婚前のセックスも、婚後のセックスもぜーんぜんタブーではなかったのである。鹿児島のご多分に漏れず当時の南薩地方は農村もいいところであったが、年に何回か祭りの時に「歌垣」という催しがあり、はないちもんめのごとく男列と女列に別れ、その双方から代わる代わる歌い手がでて歌い、お互いその歌が気に入ったら、その場で暗がりに消えて、何でもいいことをしてよろしかったのである。その場では、相手の身分も年も亭主持ちだろうが女房持ちだろうがいっさい問わないという、暗黙の了解があったんだそうな。どうよ。「ほんまなんか?これ?春ちゃんやったことあるんか?ええなあー。」と言われてもねえ。それ百年以上も前の話で・・・・もごもご。その時思いましたよ。私らは昔の農村を誤解している。農村って真っ黒になって、なーんも楽しいことなくて、制限ばっかりで、お堅い道徳に縛られて・・・・って。冗談じゃない、この論文が本当なら、少なくとも「ナンパ」ってことに関しちゃ、百年前の方が豊かじゃんよ。今の鹿児島でナンパできるとこって?天文館?それともコンビニの前?ラブホテルすら、わけわからん反対するおやじやおばさんうじゃうじゃいるのに。当時はその、おやじや、おばさんも当然のようにその「歌垣」に参加権があるわけよ。
そりゃうるさいことはいわんわなあ。椿屋敷農園の「農園は健康的とかエコロジックとかいう以前に、エロティックである。」と言う主張はここからもきております。