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2005年11月25日 (金)

はるかなり富士の峰

Nec_0023_1 「日本人なら富士山を極めなくちゃ!!」という友人N嬢と一合目から富士山に登ったことがあります。

当時まだあった富士山頂のレーダー測候所に行きたかったので、「よっしゃ、わかった!」とN嬢と「天文気象山岳同好会」を結成。軽登山靴とデイバッグとヘッドランプを購入。8月のお盆休みを、登山決行日に、その年の3月から8月始めまでの毎週末、「自主トレ」と称し関西の1000mまでの山を登りまくりました。もちろん「歯をくいしばってがんばるぞ」ではなく関西の山の上には必ずある寺社仏閣詣でと観光を兼ねたお気楽ハイキングです。

んで、決行日の前日に御殿場の気象台に「天文気象山岳同好会ですが・・・」とレーダー測候所の見学を申し込みました。測候所には電話がなく、無線で連絡してくださるということでした。富士吉田市の宿から朝一番にN嬢とてくてく歩きで出発し、今は皆5合目まで車で行くので荒れ果てた1合目から4合目まであまり変わらない山道をとことこ登り、5合目の宿で一泊。日の出前に出発して、満月を堪能し、7合目でご来迎。8合目は良かったが9合目で高山病の症状が出てきて酸素ボンベをシューシュー吸いながら、午前十時の予定が午後二時に測候所にたどり着きました。

測候所の職員さんは常時五名で、3ヵ月ごとの交代。他に何もない富士山頂のこと、みなさん退屈してらっしゃったらしく、上をも下をも置かぬ大歓迎をしてくださいました。1ヶ月に一回キャタピラで上げてくるという貴重な食料庫のスイカや水羊羹まで出してくださり、レーダー観測機器や居住区はもちろん、基地のあらゆるところを見学させてくださいました。本当にその節はありがとうございました。特に「日本で一番高い所」剣が峰の肉眼観測場に登らせていただいたときの景色といったらもう・・・。あれは一生忘れられません。(実は高所恐怖症)

「今日は帰らないで測候所に泊まっていきなさいよ―――。」と熱心に引きとめてくださるのを丁重にお断りして、実り多かった富士山頂を後にしました。これには後日談があり、その年の今頃でしたか、富士山頂に単独登山した人がいたらしく、やはりレーダー測候所に寄ったそうです。で、職員の方たちの大歓迎を受けて下山されたそうですが、おりしも降り出した雪の中行方不明になってしまったそうです。そのニュースをN嬢と「わかるわ―。職員さんたちすごく熱心に引きとめたんでしょうね。いっそ、一泊したら大丈夫だったでしょうにね――」と話したものでした。

何年か前、富士山頂の測候所は閉鎖され、N嬢は旦那さんの仕事の都合でイスラエルに行ったまま、行き違いで連絡が取れなくなっています。もしこれを見ることがあったら連絡してくだされ。

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コメント

富士山の観測所は、私も大学1年生の時に入れてもらいました。
さすがに5合目から登りましたが、私にとっては頂上で御来光をみる3度目のリベンジ登山でした(過去2回は8合目で見た)
なんで観測所に入れてもらえたのか記憶に無いのですが、入り口付近にいたらおいで~とか言われたような?
中を見学させてもらい、絵はがきももらいました。今はそれがとても良い思い出となってます。
プロジェクトXで富士山レーダーの回を見たときは食い入るように見ました。
しかし春さん、昔から色々やってますね~、尊敬します!
富士山はあと、頂上からみた富士山の影が心に残ってます。

いやいやRYOさんこそ昔から色々やってらっしゃるでしょ?武勇伝はうかがってますよ。そうですかやはり測候所にいかれましたか!なかなかよかったですよね!あそこは「日本の天気予報の父・野中至と奥さんが苦労して設置した基地なんですよね。閉鎖はやむなかったのかな。そうそう富士山の影もすごかったですよね―――。

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