椿には「ヤブ椿系列とユキ椿系列がある」と言われてまして、つまりヤブ椿は椿の原種なんであります。
原種が持つシンプルさと力強さを持った、大好きな花です。
日本列島の南半分の照葉樹林地帯に昔から自生していて、その葉の厚さと黒さが照葉樹林の暗さに一役買ってきました。鬱蒼と椿が群生している場所ってありますよね。なにか神が宿りそうな。花の時期には特に神秘的であります。
昔下宿していたお宅の裏が結構古い神社で、その裏山がヤブ椿の群生でした。花の時期にはほんとに「何かが宿っていそうな」雰囲気ばっちりで「なかなかロマンティックだわい」とほくそ笑んでいました。が、しかし最近の暑い夏のせいで、初夏にチャドクガが大発生して木が真っ白になるぐらい幼虫が鈴なりになってしまい、背筋がぞーっと寒くなりました。
「昔の人なら『天変地異、政変の前触れ』とでも言いそうだな」と当時思ったのを覚えています。
いまやチャドクガの大発生は珍しくもなんともなくなってしまいました。でも、今年は大発生してほしくないけどなあ。
唐子咲きの椿の中では代表格で、ぐちゃぐちゃの脳みそみたいな花弁が、しつこすぎずちんまりと収まっていて、「唐子ヘアー」に例えられる外花弁も派手すぎず、なんともいえないバランスの花であると思います。花色もピンクなのに品が悪いピンクではないし。
この花が咲き出すと、「ああ春が近いんだなあ」と思うわけですよ。
今年は、一月から父の調子が悪く、一時は「どうしよう?」と思うほどでした。幸いにして今はもうだいぶ回復したのですが、もともと心臓に持病を抱えているので寒さは本当によくないのです。そうこうしているうちに元気もののはずの母も不整脈が出ていることがわかり、悲鳴を上げたくなりました。親の体が弱っていることをまざまざと見せつけられるのは堪えます。
だから今年は春が来るのを待つ気持ちが切実です。
早く本格的な春が来ないかなあ。
さて、うちは「椿屋敷」を名乗るぐらい庭中畑中椿と山茶花だらけなのです。
なので今のこの時期、咲き終わった椿の花が、そらもうそこら中に落ちています。落ちてしまった椿というのは赤やピンクが無残に変色してしまって、あまり見たいものではありません。しかし、うまくしたもので、この花をヤギが大好きなのです。
ヤギ味覚にとってかなりいい味らしく、椿の花が落ちていると実にまめにひとつひとつ拾いながら口の中に入れていきます。おいしいのかなあ?確かに椿の花は肉厚なので、食べるとかなりおなかが膨れそうだけれど。
椿の花弁には蜜があるので、よくその蜜は人間も吸ったりします。「花弁の味はどうだろう?」と思って噛んでみましたが、・・・・・・・・・そらもうなんともいえない味でした。
やっぱりヤギの味覚と人間の味覚は違うんだなあと、再認識いたしましたです。
茶は椿や山茶花と同じ仲間なので、花も地味な椿の花に似ています。真っ白で清楚。なかなかかわいい花です。お茶席には珍重されるそうな。
さもあらん。ただでさえ抹茶の原料の木に咲く花、しかも「侘び寂びの美学」にぴったりの地味さ。 竹筒の花掛けとかに飾ったりするのかな?
とんと不調法もので茶道の心得などこれっぽちもありませんので、ここらまったくの想像でモノを言っております。
東京に住む妹が、もう15~6年茶道をやってます。なにやら免状を持っておるのじゃと。話によると茶会というのはたいへんな体力勝負らしいです。「初釜」となると何十人、何百人ももてなさねばならないのだそうな。お茶の作法はもちろん、食べ物の好き嫌いがあってはならないし、胃袋も底なしでなければならない。酒も飲めねばならない。和歌だの俳句だの掛け軸だの茶碗だの建築だの、とにかく知ってなくちゃならない。・・・・・らしい。
すんげ―――――!!ナマケモノには無理な話です。しかし、そんなたいそうな席に、そこらの畑の畦道に生えている(藪になってたりするぞ)茶の木の花がうやうやしく飾られて珍重される図というのは、なんとなくおかしいな。
「椿屋敷」と名乗るぐらいですから、もう庭中畑中椿の木だらけです。今の時期だとその椿の木にどんどん実がなっています。
ご存知のように椿の実からは椿油が採れます。髪油によし、それと刃物の錆止め油にとてもいいのです。オリーブ油と成分が似ているといいます。薄くよく伸びて水をはじく膜を作ってくれる油なのです。
「この実を砕いて少量の水を加えて小鍋で煮詰めた液で、着物を洗い張りすると、生地を痛めずに綺麗にすることができる。特に大島紬によい」と聞き、うなりました。
去年亡くなってしまったお知りあいが、着物の仕立てと洗い張りが上手な方でした。その方はずっとこの「自家製椿の実洗剤」で高級着物の手入れをしてきたのでした。確かに50年も60年も昔の着物が、美しくしかし落ち着いた生地のままでした。
惜しむらくは、せっかくその方が「洗い張りを教えてあげましょうか?」といってくださっていたのに、当時のわたくしには余裕が無くて話を聞くだけで、習う事ができなかった事です。
今にして思います。あたしのばかばかばか。
すごくシブい花です。ちょっと他にないような暗紅色。青の色素が混じっているようです。葉の色にも暗紫色が混じっています。松笠形の抱え咲き、重ねの薄い八重、光沢弁で小~中輪。花期は4~5月。樹形は横張り性で伸びが遅い。
この、現代的なシンプルさと渋さを兼ね備えたデザインの花が、1829年の「草木錦葉集」には載っている、ってところが江戸の侮れないところです。センスがいいよなあ。「ブラック・プリンス(黒皇子)」とかいう英名まで持っているのです。そりゃあ、当時のヨオロッパにしてみりゃあ、このセンスは驚きだったろうよ。なんせ帝国主義花盛り、建物も家具も織物も陶器も庭も植物もありとあらゆるものがゴテゴテのコテコテばかり。お茶漬けと漬物センスのあっさり味が欲しくなって当たり前。
「ブラック・プリンス」か。いいねえ。
ついに咲きました。「孔雀」の名を持つ「孔雀椿」です。派手です。
祖父が大好きだったので、東南の築山の一番メインの木になっています。紅地に白斑の八重、蓮華性、中~大輪。葉は披針、中形。樹形は枝垂れ性。愛知県の三河産です。
なんでも「孔雀」の名がつくものは派手です。本物の鳥の孔雀があれだけ派手ですからね―――。いかにも「インド原産」ですよね―――。あんな派手な模様がついたキンキラキンの1m以上にも及ぼうという尾羽を、発情期の雄は惜しげもなく広げて、その上ダンスまでして見せるそうな。それを見た雌は、「一番派手できれいで大きい目玉模様の数が多い尾羽を持つ雄」を選ぶそうな。まったく。あの目玉模様、人間のわたしらが見てても目が廻りそう。そりゃあ発情期の雌が思わず幻惑されて、ボーっとなるのもむべなるかな。それでも「一番のやつ」をえらぼうというのだから、どんな種の雌も貪欲であることよのう。
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