神の守り人・来訪編・帰還編
一神教というやつが嫌いです。さらにいうなら「自分を正しいと信じて疑わない」やつが大嫌いです。こういうやつの迷いの無さは、自覚のある悪党よりはるかに迷惑です。有史以来、最も多くの殺人が「神の名の下に」なされてきたのです。そして今この瞬間にも「神の名の下に」人が、殺され続けているのです。
上橋菜穂子氏の「守り人」シリーズは、ファンタジーでありながらありとあらゆる人間社会の含む問題に切り込んでいるのですが、「神の守り人」はまさしくこの問題に真っ向切り込んでいます。それも児童文学の枠内を外さず、わかりやすく過不足無く、でありながらおもしろく。なんという離れ業でしょう!!すばらしい!
あいかわらず、ファンタジーの命、世界観の構築も見事。「何十年、何百年に一度、異界から押し寄せる『恐ろしき神』を運ぶ川」のイメージ、こんなのどうやって思いつくの?!異界の見えない川が押し寄せてくるとこの世では川の光だけがゆらゆらと光り、苔が湿り始める。なんと豊かなイメージ。
異界の川の中にいる『恐ろしき神』をこの世でコントロールできるのは、『恐ろしき神』に選ばれた少女だけ。その力を手に入れた少女は自分の心ひとつで人を虐殺できるようになるのです。少女にとっての絶対正義でも、他の人々にとって決して正義ではない。それが心の奥底でわかっていても、強大な力を手に入れた少女は「殺すこと」を止められない。そして「殺すこと」を始めてしまうと、今度はその「殺したこと」に追い詰められてさらなる「殺し」を重ねてしまう。そのジレンマの恐ろしさ。上橋氏は容赦なく少女を追い詰め、「ああ、この解決法しかなかったな・・・・・」というラストにもっていきます。
そうです。「絶対正義」を標榜してしまうと行き着くところはここしかないのです。「自分は正義に則っている」というのはある種の高揚感を伴う気持ちのいい行為だったりするのですが、その気持ちよさの裏にある罠はとても恐ろしい。だから「水戸黄門」も大嫌い。あれも「葵の御紋」のもとに行われるリンチであり大虐殺なのです。
TVは前世紀の後半から人類社会を席捲しましたが、この機械をある種の神として一神教がはびこっていると思います。そういう世の中で本、しかも児童文学という一時代も二時代も前のメディア分野で、こういう作品が生まれだしているということは大変に意味のあることだと思うのです。
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