士族サアの八朔
鹿児島は火山灰土が多く痩せた土地が多かったため、半農半士の郷士がたくさんいて畑を耕していました。「いつもは百姓、事あれば蔵から鎧を引っ張り出して武士」というやつです。明治維新をやらかしたのはこの身分の人たちでした。
お知り合いにこの手の士族サアの子孫がいて、加世田と枕崎の境に屋敷と土地を持ってます。「筍と八朔のシーズンである」と聞いて遊びに行きました。
いやあ、ホントに士族サアのおうちでした。
有力な郷士のうちがたいがいそうであるように山の麓にあります。敷地内に清水が流れ、登れば大名竹の林、下れば田んぼ。山鍬を持って家の裏に回ると大名竹の筍がほんの少しだけ頭を出しています。抜け目無く見つけては掘り返すのですが、イノシシもこれが好物であちこち掘り返したあとがあります。竹やぶの入り口に祠があって水神サア。
下ってだだっ広い庭には何本も馬鹿でかい柑橘類の木が生えていて、無造作に八朔やらボンタンやらが落ちていて数え切れぬほど。そして庭にも祠があって内神サア。
この神様たちはそれぞれに祀るべき月があり、いまだに一族揃って(かなり高齢化してるらしいですが)祀っているのですと。
はあああ・・・・・・・。「古き良き鹿児島」ってまだあることにはあるのね。維持するのにはかなりたいへんらしいけれど。
山ほどの筍と八朔をもらって帰りました。ありがとうございました。
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