椿屋敷のお客様

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2010年6月11日 (金)

恐怖は日常の中にある

100611 「恐ろしいもの」って日常に近ければ近いほど恐ろしいですわな。

たとえばヨーロッパ圏の「死神」。大鎌持ってマントで中身は骸骨、青ざめた馬(pale horse)に乗っている。そんなのが現代日本に居たらイカレポンチと思われるか、TVか映画のロケと思われるか、なんかのパフォーマンスと思われるか、いずれにしても恐怖とは程遠いシロモノですわな。

あれは2千年近い牧畜文化の歴史があり、キリスト教の素養がある土壌でしか、恐怖を共有できるものではありません。

キリスト教の影響はもちろん大きいけれど、一番は牧畜文化。牛、豚、羊を飼い、それを養うためにどこにでも嫌というほど大鎌が常備され、ちょっとやそっとの雨でもマントを着て草刈作業する習慣がある場所でこそ、恐ろしい。つまり「あのファッションを日常的に誰もがしてる」ゆえに「あのファッションには匿名性がある」事こそが、死神の恐ろしさなのです。

「どっかで見たような人だなあ、誰だったっけ?」とマントに近づいてよくよく見れば中身は骸骨だった・・・・・・・ひええええええッ!!!

ってことです。

今の日本だったら「雨合羽にゴム長靴、フードを深く被って顔は見えないがどこかで見たような人物が、うちの畑や家の周りをうろうろしている。おや?手には鎌?・・・・・・・・・・血まみれ・・・・・・・・・?!」

こういうのが一番怖いなあ。現実と地続きでしょ?「いかにもありそうなシーン」なんだもん。ありそうなのにそこから現実が裂けて地獄が口を開けそうな綻び。・・・・・・・・・・おお~~~~コワッ!!!

思うんだけれど、長いヨーロッパ中世の村社会で「大鎌による殺人」なんて数え切れないほどあったんじゃないの?それの積み重なった記憶が、死神のルックスと属性に集約されてんじゃないのかなあ?

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