椿屋敷のお客様

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2005年8月22日 (月)

屋敷神

003 マンションには住めない。気密性の高い設計の住宅もだめだ。「エアコンがだめ」「地面をいじらないと落ち着かない」「高所恐怖症」いろいろあるが一番の理由は「散らすから」。大阪で何年か公団4階の2DKに住んでいた。妹に「ここは豚小屋か?」と言われたほど荒れた。やれ恥ずかしや恥ずかしや。

とほほほ・・・

美意識が欠如していたのである。そう、美意識。「仏壇そうじ」の項目でも書いたが、わたしに信仰心はない。あるのは「カッコいいか?美しいか?気持ちいいか?」である。なかでも「エホバ」や「アッラー」など一神教を信じることは一生ない。肌に合わない。気持ち悪い。しかし、「水神」や「屋敷神(鹿児島で言うところのウッガンさあ)」や「便所神」など日本古来の八百万の神々は、信じないまでも居てくれたほうが都合がいいし、気持ちいい。カッコいいとすら思う。「正月には屋敷の神さあが床の間に来やったっで、そうじをせんな。」とか「井戸の周りは水神さあが居られるとこやったっでキレイにしっせえ塩を盛れ。」とか「東北の犬走りは疫病神さんが通っごわっで、キレイにしっせえ湿らすんな」と言われると、ただただ「清潔が大事よ」と言われるより、ぐうたらなくせに能書きたれのわたしには説得力がある。椿屋敷はその能書きに(わたしにしてはでき得る限り)そってそうじをしている。「どこがよー?」と言われると困るが、ま「当社比」ということでご勘弁を。

公団2DKは、人間が住む上で必要なものを効率よくコンパクトに収めてあったが、シンプル過ぎて能書きのたれようがなかった。八百万の神様も居なかった。よってそうじをする必要を感じなかった。おおっ、完璧な言い訳である。公団側としては「安い家賃でちゃんとした設備の部屋に住ましたったのになんちゅう罰当たりや。」であろう。すみません、田舎者には住みこなすのが無理でした。「今後二度と地面に足が届かないところには住むまじ。」ということをわからせてくださってありがとうございました、である。

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