椿屋敷のお客様

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2005年9月18日 (日)

百鬼夜行抄

Nec_0010 日置の家はとんでもないお化け屋敷であった。築百五十年以上、建物だけで200坪、中二階と二階あり。しかも階段は途中で切られている。もともと病院(うわあ)と呉服屋だったのを無理やりくっつけて、後から思いつきで普請しまくってるから家相は最悪。始末もしてない井戸が家の床下に埋まっていたのである。当然シロアリが大繁殖して畳の下から蟻塚が出てくるありさま。百五十年も同じ家族が住めば、家で何人も死人が出ているし、その中にはあまりいい死に方じゃない人もいる。家鳴りはビシバシ鳴りまくるし、変な火の玉が見えたりするし、まあ、いろいろ不思議なことがあった。祖父の葬式のときに、便所の前に赤い着物を着ている女の人がいて、次の瞬間ふっと消えてしまったときは本当に肝をつぶした。

とはいうものの、「『霊』とか『死後の世界』は生きている人間の頭の中にしかない。」と思っているので、もちろんあれは錯覚である。「見る」のは「場所」と「精神状態」と「タイミング」が「そういう錯覚を起こす状況だった」ということである。だから恐ろしくないといっているのではない。だからこそ恐ろしいのである。人間の脳が生ものである以上、誰しもに錯覚は起こりうる。昔から「入ってはいけない場所」というのがあるが、やはりそういう場所には「入ってはいけない」のである。何らかの条件付けでそこは「錯覚を起こしやすい場所」である可能性がある。「やめとく」のが無難である。

「百鬼夜行抄」(今市子著・朝日ソノラマ社・既刊13巻)は、この手のマンガではピカイチである。特に女性誌でこんなに本格的に民俗学的手法を使ってホラーを描いた作品は初めてではないだろうか?

幻想怪奇小説家を祖父にもつ飯嶋律は4代前からのお化け屋敷に住んでいる。その上祖父から「見る体質」を受け継いだために、もう律のまわりは妖魔と幽霊だらけ。いとこの司や晶もやはり「見る体質」。陰陽道をかじっていた祖父が護法神として残した龍の青嵐(大飯ぐらい)、律が自分で調伏した小型のからす天狗の鳥の妖魔の尾黒、尾白(この二匹がキュート)、さらに律の「体質」を聞きつけて相談を持ちかける人々も巻き込んで、てんやわんやの大騒ぎ。――――

と書くとそれまでの話であるが、いいのよー。なんともいえず。今氏も基本的には「霊」とか「死後の世界」とか信じてないので、律やその他の「見ている人々」がひょっとしたら「まったくの錯覚」を起こしているかもしれない可能性を必ず残して描いている。「何も知らない人が見たら律は薄気味の悪いことをいう、たちの悪い霊感少年」であることをちゃんと描く。このバランス感覚がすばらしい。「自分の性質が人から嫌われる」ことを律も知っているが、「見えるもの」はいかんともしがたい。そして「見えるもの」の中にこそ心惹かれるものがあったりするのである。季節の移り変わり、古来からの伝統、古いものを大事にする心、弱いものへの思いやり・・・。しかしそういうものを大事にしようとすることにはたいへんなリスクが伴う。日本の八百万神は恩恵ばかりを与えてくれるわけではない。一方では祟り神であり、理屈の通じない化け物であったりするのである

「手に負えないものに手を出すな」。これをすごく品のいい語り口で語る。しかも美しい。いいなあ―――。

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コメント

おお、ついに「百鬼夜行抄」登場。
春さん、もしかして我が家の本棚から、本持って行ってるんじゃないですか(笑)
ギンコ、エウメネスもそろそろ出てきたりして・・・!
今から本棚見てこなきゃ!

日置のおうち、凄いですね~。
うちの寺も、4年前入ったときは、明け方いつも誰かが歩き回ってました。前住職ご夫妻が亡くなって、そのあと2年ほど空き寺だったせいでしょうか。
入ってから本堂・お内佛、両方お勤め続けたせいか、いまは静かです。
春さん、そこに住んでるわけじゃないですよね・・・(^_^;)

「麦の花さん、ぜってえ好きじゃっ」と思っていました(笑)。うれしいです。麦の花さんの本棚見てみたいです。同好の士の本棚って興味ありますよねえ。お寺の大黒さんなんですよね。すごいなあ。本場。やっぱり。

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