椿屋敷のお客様

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2005年10月 7日 (金)

日本刀

Nec_0073 母方の祖父は、呆っけもんで変わり者で多趣味であった。趣味の一つが刀剣収集で、これは残されたうちの一本である。(ちゃんと美術品として許可をもらっているので銃刀法違反ではない)

といってもここにあるのは鞘だけで、刀身は別のところに保管している。なんといっても日本刀は錆びやすいのである。

祖父は気が付けばいつも、口に懐紙をくわえてポンポンで刀身に砥粉を振って手入れをしていた。美術品としての刀でもときには砥ぎにださないと、刃が曇って価値がなくなるらしかった。

時代考証に詳しい方ならご存知だろうが、刀で生身の人間の体を斬ったら、5人も斬れば刀身に血と油がまわり、皮も斬れなくなるらしい。あと、骨にあったったら刀身が曲がったりとか。時代劇で「正義の味方が次から次へと何十人も悪党を斬り捨てる」あれはまったくの嘘っぱちなのだ。それほど「人を殺傷する」ということはたいへんなことであり、「殺傷するための道具」を「いつでも殺傷できるように手入れしておく」ことには、莫大なコストと手間がかかるのだ。

古今東西を問わず「魔を払う神通力を持つ剣」のファンタジーがある。冗談じゃない。剣が魔を払うのじゃない。「殺傷できる能力を持つ剣」を鍛え上げるにも「その剣の能力をメンテナンスし続ける」にも、恐ろしいまでの集中力と精神力がいる。そういう精神には魔を寄せ付けるスキがない。それだけのことである。もっとも、そういう集中ができる偏執的な精神は別の意味で恐ろしいとも思うが。

ま、武器を「持つ」のは簡単だけど「持ち続ける」のはとんでもなくたいへんだよ――!ということ。維持できないんだったら最初から持たないほうがそりゃもう安全である。武器の大小を問わず。

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コメント

あら、ちょっと床の間見てこなきゃ(爆)
そりが少ないということは、やはり「薩摩拵」ですか?
「日本刀」は「美術品」で、各都道府県の教育委員会の管轄。
先の戦争で、日本の殆どの刀は、海に沈められたそうですが、ある御仁が東奔西走して日本刀の「美」を米国側に理解してもらい、残りのものを「美術品」として認めさせ、現在に伝えることが出来たそうですね。
でも、「銃刀法」という言葉のせいで、日本刀も警察の管轄=危険というイメージが強いみたい。まあ・・・日本刀を所持するような御仁は、紙一重のところの緊張感を味わっているのだろうから、やはり危ないと言えば危ない(色んな意味で)。
うちの住職も危ないヤツでしょう。
そういえば、浄土真宗中興の祖、蓮如聖人も刀フリークだったんですよ。

うわ、麦の花さん、ほんとタダ者じゃないっすね。「薩摩拵」です。日本刀は「美術品」としてとても美しいですよね。(ずぼらなわたしには扱いきらんけど)。きちんと美しく刀を保管してらっしゃる方、すごいと思います。まめですよ。わからんのは、刀やナイフのブランドもんを持ちさえすれば自分が全能になった気になる人。保管するのさえもたいへんなのに。さらにあんな重たいものを自由自在に扱えるようになるには、よっぽど日頃のトレーニングしなきゃ持ち上がりもしませんよね。蓮如上人、いろいろ逸話の多い方ですねー。

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