椿屋敷のお客様

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2005年11月 3日 (木)

EDEN

Nec_0041_1 まあ、農園の中心で「ローコスト、ローテクノロジー万歳!」とか叫んでるような人間なので、バカ高えコストを喰いまくるくせにな――んにも生産しない軍隊はだいっ嫌いです。イデオロギーや道義的な問題より先に経済的な問題で戦争反対です。直にやりあう前に絞る知恵があるでしょうが!集めるべき情報が、死力の限りをつくしてやるべき交渉があるでしょうが!第二次世界大戦前の食料自給率は70%を越えてたはず。それが敗戦前後には国民全部が飢えてたのですぞ。40%を切る食料自給率で戦争みたいな大博打打てる状態じゃないっちゅうの。ま、軍隊を持ちたがっている輩は「自分が手を汚す」とか「自分が飢える」とか考えてないんじゃねえの?そういうのに限って「日本も汚れ仕事をせねば。」とか言うんだよね。”日本”の中に自分自身もちゃんと入ってる?

「強くなる事と、暴力を学ぶ事と、人を救う事は、全く別の話よ。」

「EDEN」(遠藤浩輝著・講談社・既刊13巻)の中の名台詞であります。うなりましたね。さらに言うなら「人を守る事」も全く別の話であります。「EDEN]は今時珍しいぐらい複雑怪奇な設定の近未来SFです。大前提が「クロージャーウィルス」という「人間の体を結晶化させて中身をどろどろに腐らせる」疫病が全世界に流行ってかなりの人間が死亡した後の世界、なんだから。(バラードのSF小説「結晶世界」が下敷きかな?主人公のファミリーネームもバラードだし)。今や世界は「原父連合」と「反原父連合」の二大勢力に分かれ、各地で小規模な戦闘やテロリズムが絶えない。話の舞台のほとんどが南米(これも珍しい)で、主人公エリヤの父親は南米の麻薬カルテルの大ボス、「原父連合」からも「反原父連合」からも一目置かれている存在。昔からある「父親の影響を超えるためにあがく息子」の物語なのです。以前「ベルセルク・29巻」の項で「二代目は手を汚さないのが世の定石」と述べましたが、エリヤはすでに手を汚しています。一度手を汚してしまえば、ずっと汚し続けなければならず、しかも勝ち続けなければならない。一生気の休まることのない過酷な生です。それを選び続ける覚悟があるのか、前記の言葉でエリヤは問われたのです。

遠藤浩輝氏はフェアな人です。人を傷つける、人を殺す、そういう場面を決してキレイ事で済まさない。どろどろに細部まできっちり描く。「主役クラスかな?」と思っていた人間も、次の瞬間には地雷で下半身を吹き飛ばされていたりする。どんな人間にも「死」は無慈悲に唐突に訪れる。その無慈悲さと唐突さだけが平等。逃げることなくその事実を淡々と描き続けている。すごく好きな作品なんだけどなあ・・・。掲載誌が「アフタヌーン」で「まさか廃刊にならんだろうな?」といつも心配。こんな癖のある作品よそで載せてくれそうにないし。ま、最近じゃ「蟲師」も載ってるし大丈夫か。少なくとも「EDEN」が終わるまでは廃刊にせんでくれよ。

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コメント

今日は「雨読」でございましたか。
バラードと聞いてしまったからには読まねば!「結晶世界」は未読なのですが、こちらを読んだら読みたくなってしまうかも。「沈まぬ世界」のラストになんともいえぬもどかしさというか切なさといえばいいのか・・・を感じたのは10ウン年前。
同じような感動を得た方が、現在バラードへのオマージュを描いているのでしょうか。何だかすごいなあ。

いやあ、だから「雨読」というほどカッコええもんじゃないですって。寝転がってミカン食べながらとかいう行儀の悪さ。イカンとは思っているのですが・・・。バラードってとんでもない設定を書くくせになんであんな感動的なんですかね。その感動がまた作品を書かせている。おっしゃる通りなんだかすごいなあ。

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