椿屋敷のお客様

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2005年12月 4日 (日)

白骨の森

Nec_0046_2去年の今頃、Mさんが亡くなりました。96歳の明治男で、おだやかで少しスケベで、ごくごく普通のご隠居でしたが、そのお話は強烈でした。

「シベリア抑留」されてた方だったのです。

朝鮮で事務員をやってらして、召集令状。満州で陸軍上等兵。終戦時にソ連軍の捕虜。そのままシベリアへ部隊ごと送られました。

シベリアの炭鉱労働や鉄道敷設。凍土のど真ん中のニシン蔵(掘っ立て小屋)に芋洗いのように押し込められ、もちろん暖房などなく、ぼろぼろになった兵隊服だけ。零下20℃の寒さの中、互いの体温だけが頼り。栄養は劣悪で、芋のかけらが入ったスープが日に二椀だけ。飢えに耐え兼ねてMさんらは、凍土に生えているアカザなどを採って味も何もなく煮て食べたそうです。「そげな雑草が食えるか!」と口にしなかった人間からどんどん死んでいく。それも魚河岸のマグロのように並んで横たわる夜のうちに、隣に寝ていた同僚が息をひきっとって朝にはカチンコチンになっているありさま。それこそ毎日毎日どんどん死んでいくし、自分達にもかけらの体力も無いので埋葬などできるはずもなく、大八車に死体を積み重ねて雪の森の中にほおってくる。野犬がその死体を食べて、ばらばらに解体してしまうので、春になって雪が溶けても、死体のあった場所はもうわからない。ただ、てんてんと人間のあらゆる部分の白骨が森の中に散らばっているだけ・・・・・

このお話を、穏やかで上品な鹿児島弁で、激するでもなく淡々と語られるんですよ。その穏やかさと、お話される内容のギャップがいまだにうまく消化できず、強烈な印象が残っています。Mさんは部隊の9割が亡くなった過酷な捕虜生活を生き延び、舞鶴に帰還しました。「日本を見るまでは死ねん!」が合言葉だったそうですが、舞鶴港についたとたん気が緩んで亡くなる仲間も多かったそうです。フィクションではない生の言葉。迫力。「やはり古老の言葉に耳を傾けねばならん!」つくづくそう思いましたですよ。

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