椿屋敷のお客様

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2008年3月15日 (土)

いくつかの空

Nec_0014 TVを見ないので柴崎コウは映画でしか見たことがありません。

「バトルロワイヤル」「GO」「案山子」「着信あり」ぐらいかな。「バトルロワイヤル」の鎌でクラスメートを殺して回る役がびっくり強烈で「凄い女優だなあ!」と。

「着信あり」は今ひとつピンと来なかったんですが、エンドロールでいきなりこの「いくつかの空」が流れてきて、このドスの利いた声の堂々たる歌いっぷりが柴崎コウ本人であると気づき、またまたびっくり。しかも曲がとても好み。

今回ベスト盤がでるので「いくつかの空」のミュージック・クリップを見ました。

自分でもびっくりした。泣いちゃったよ。

心が震えるほど感動してしまった。たった数分間の映像と音楽に。

日本のどこかの山村。靄がかかってはっきりしない空の下、風の音がする。「いくつかの空」のイントロが流れ出し、細い畦道の向こうから野辺送りの葬列が近づいてくる。木の棺を抱える男達。無表情に歩き続ける親族と思しき人々。全員が喪服。この地方の風習だろうか白い幟を何本も風にはためかせている。そこに血のように赤いニットドレスを着た柴崎コウ。

野辺送りの人々は柴崎コウがまったく見えない様子で黙々と通り過ぎる。つぶやくように歌い始める柴崎コウ。歌詞が盛り上がってくるとともに情感がこもり始める。このときの表情、身振りがとてもいいの。彼女を見ているだけで切なくなってくる。「そう、こういう風に人を愛したよな。これからもきっと愛するだろうな。」と思わせる。彼女のあのきつい意思的な目がそう思わせる。

にもかかわらず葬列はやはり黙々と通り過ぎ、後は白い幟だけが幻のように風にはためき消えていく。あの葬列は誰の野辺送りだったのだろう?あの棺の中には誰が納められていたのだろう?赤の他人なのか?それとも彼女がこれほど愛している人か?あるいは彼女自身なのか?

白い幟が消えたのは枯野かと思えば、柴崎コウがもう一度振り返ればそれは一面のコスモス畑。そして曲のクライマックス。

すでに歌を超えて祈り。何者へかはわからないけれども奉げずにはいられない切なくも強い、そして豊かなる祈り。

息を飲みました。

曲が終わると再び風の音。そして、コスモス畑の中の道を、振り向きもせず果てを目指して歩いて行く柴崎コウの後姿で終わるのです。

たぶんかなりの低予算で作られたであろう、ミュージッククリップ。はっきり言ってちゃちい携帯電話トリックホラーの映画本編より、桁違いに劇的でロマンティックで深い。そして柴崎コウの魅力を生かしきってます。一度ご覧になってください。http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0056452/でやってます。

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