椿屋敷のお客様

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2009年12月14日 (月)

恋愛的瞬間

091214 まさか自分が吉野朔美を手放そうとする日が来るなんて・・・・・・・・

時は流れ、人は変わり、心は移ろう・・・・・・少なくとも自分には永遠を約束することはできんな。恋が終わるときとそっくり。あんなに夢中だったのに。

「恋愛的瞬間」(全五巻・集英社)、「いたいけな瞳」(全8巻・集英社)、「子供は何でも知っている」(全5巻・集英社)・・・・・・・・今読み返しても、おもしろいし、鋭いと思う。でも夢中になれないの。なぜ?

デヴュー作の「月下の一群」から「少年は荒野をめざす」「グルーヴィー・ナイト」「HAPPY AGE」「王様のDINNER」「ジュリエットの卵」・・・・・全部持ってたよ。あのころ「ぶーけ」毎月買ってたもの。すごく好きだった。いまや「ぶーけ」も休刊して何年?もう知らない人も多いだろう。

なぜ?考えてみた。

自分が今夢中な女性のマンガ家を思い浮かべる。よしながふみ。羽海野チカ、二ノ宮知子。今市子。森永あい。あと女王一条ゆかりと巨匠槇村さとるね。あの人たちなんであんなしぶといかね。絵が嫌いだけれど矢沢あいもいるな。みんな主人公に必ず「生活力」を背負わす。「食べていく力」だ。「金を稼ぐ」でもよし「自分で作って食べる」でもよし、もちろん「ダークなことをして稼ぐ」でもいい。とにかく「自分の生活を自分で成り立たす」こと。みんなこれが重い。

この20年てのは、そういう20年だったんだな。20年前は「専業主婦」ってのが楽勝で存在した。なのに世の中は変わり「女も自分で稼がなければ生きていけない」時代になってしまった。そういうことだと思う。

吉野朔美の主人公たちに「何が何でも食っていく」という欲がない。短編集「いたいけな瞳」の中で「月の桂」という作品に、類まれな小説書きの才能を持ちながら田舎の廃屋に帰って世捨て人になろうとする(そしてその才能を妬む友人に殺される)男がでてくるけれど、そういう欲のなさは吉野朔美の主人公にはよくあることだ。その淡白さが潔く美しく見えて夢中だったのだけれど・・・・・・・・・

例外は「ジュリエットの卵」の蛍。美しい彼女が食べていくために絹糸のように美しく長い髪を、ばっさばっさとカットするCMを撮影するシーンは惚れ惚れした。そういえば彼女は吉野作品には珍しく、食べることに執着してたなあ。

なのにあの作品のラストで、双子の兄の水(ミナト)と寝て、水は自殺してしまう・・・・・・・このラストが、たまらんいやでなァ。何で死ぬ?

食べてかなきゃいかんのよ。生きてかなきゃならんのよ。世の中の余裕が無くなったといやあそれまでだけれど、それはそれでおもしろいし。ただ「生きていくことに意欲的でない」吉野作品に溺れることはもうできないんだなあ。

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