椿屋敷のお客様

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2009年12月12日 (土)

ぼくの地球を守って

091212 さて。

今何をしているかというとですね、持ってるマンガを半分に減らそうとしてるわけですよ。このままじゃ新しいものが入りませんから。幸い、今なら譲る処がありますんで。ブックオフで「ダンボール二箱¥200」とかじゃちょっと悲しいし。

んで。

読み返して「これは手放せるか、あれは残すか。」という判定をしちょるわけです。難しい。「手放す理由」を探しちょります。だから、今の評はちょっと厳しい。人であれマンガであれ別れるためには何かがないとね。

「ぼくの地球を守って」(全21巻・日渡早紀著・白泉社)です。これもブームになりましたねえ。前世ブームのさきがけ。かなり危ない思い込みの「前世好き」がはまってました。作者のところにもそういう危ないファンレターがかなり来てたらしいです。

1巻初版が1987年。世紀末がせまってた頃だもんなァ。しかもバブル直前と来た。お金だけはある。でも未来がない。そういう時代。だから「前世」か。

おもしろいと思うし、盛り上げる演出もうまい。だからこそ揃えたし今まで持ってたんだけれど・・・・・・・・

違和感があった。どうしても飲み込めない違和感。その正体が最後の21巻を読んだときにわかったんですわ

・・・・・・・・・・・以下ネタばれ注意。

それはね、前世の月基地で最後に残された紫苑の骸から、植物が生えている「衝撃の描写」といわれたシーン。あそこで謎が解けた。

「これはニセモノだ。ありえない!!」

だってね、「木蓮の植物を成長させる能力=歌」ってのがこの物語の原動力なんだけど、「植物の成長」ってのは「水と光と歌があればOK」ってわけじゃないよ。何百万、何千万、あるいは何億、天文学的な単位の虫だの鳥だの細菌だのウィルスだのの関与があって初めて草一本であれ成長するのよ。ありえないでしょ。そういう関与無しの環境で、いきなし死体から植物が生えてきて、んでそれが永遠に生え続けるなんて。

「植物によって地球を守る」ってのに、その植物がどーーーーも嘘くさい。なんかどれもこれもお部屋の中の観葉植物みたいな。作り物くさいというか。

まあ、鹿児島の田舎の山に住んで、隙あらば侵略してくる獰猛な緑に飲まれそうになってもがいてる人間が感じる違和感なんだけどさ。でも、この感覚はわたくしにとっては一番の芯だからねえ。

あとなあ・・・・・

紫苑と木蓮は月基地で「最後の二人」だったわけでしょ?ほんでもって「もうすぐ死ぬ」ってことがわかってる。なのに?なんで死ぬまで「お互い愛し合っている」ってことがわからなかったの?それを転生して持ち越すほどに執着があったのなら、なんで生きてるうちにちゃんとコミュニケーションをとらなかった?

ダメだよ~。生きてる今をちゃんと大事にしろよー。これを最初に読んだときから20年以上。確実にわたくしも死に近づいています。若いときなら許せた「転生して巡り合ってやりなおして愛し合いましょう。」みたいな逃げが、見過ごせないんだな。

やはり、これは手放そう。

・・・・・・・・ってここまで書いて思った。これって「ごく個人的な『事業仕分け』」なのか?

がびーーーーン!!「もっと冷静に『仕分け』やれやレンポー。下品だぞ」とか毒づいてたのに。人のふり見て我がふり直せ。せめて冷静に仕分けしよう。

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