マンションには住めない。気密性の高い設計の住宅もだめだ。「エアコンがだめ」「地面をいじらないと落ち着かない」「高所恐怖症」いろいろあるが一番の理由は「散らすから」。大阪で何年か公団4階の2DKに住んでいた。妹に「ここは豚小屋か?」と言われたほど荒れた。やれ恥ずかしや恥ずかしや。
とほほほ・・・
美意識が欠如していたのである。そう、美意識。「仏壇そうじ」の項目でも書いたが、わたしに信仰心はない。あるのは「カッコいいか?美しいか?気持ちいいか?」である。なかでも「エホバ」や「アッラー」など一神教を信じることは一生ない。肌に合わない。気持ち悪い。しかし、「水神」や「屋敷神(鹿児島で言うところのウッガンさあ)」や「便所神」など日本古来の八百万の神々は、信じないまでも居てくれたほうが都合がいいし、気持ちいい。カッコいいとすら思う。「正月には屋敷の神さあが床の間に来やったっで、そうじをせんな。」とか「井戸の周りは水神さあが居られるとこやったっでキレイにしっせえ塩を盛れ。」とか「東北の犬走りは疫病神さんが通っごわっで、キレイにしっせえ湿らすんな」と言われると、ただただ「清潔が大事よ」と言われるより、ぐうたらなくせに能書きたれのわたしには説得力がある。椿屋敷はその能書きに(わたしにしてはでき得る限り)そってそうじをしている。「どこがよー?」と言われると困るが、ま「当社比」ということでご勘弁を。
公団2DKは、人間が住む上で必要なものを効率よくコンパクトに収めてあったが、シンプル過ぎて能書きのたれようがなかった。八百万の神様も居なかった。よってそうじをする必要を感じなかった。おおっ、完璧な言い訳である。公団側としては「安い家賃でちゃんとした設備の部屋に住ましたったのになんちゅう罰当たりや。」であろう。すみません、田舎者には住みこなすのが無理でした。「今後二度と地面に足が届かないところには住むまじ。」ということをわからせてくださってありがとうございました、である。
浄土真宗西本願寺派である。日本で一番一般的な宗派だ。申し上げておくがわたくしには信仰心のかけらもない。にもかかわらず、毎朝ご飯とお茶を供え、お香を焚き、花を供えている。鈴を鳴らして手を合わせて拝み、野菜の初物も必ず供える。さらには、盆と正月には、掃除までしている(盆と正月しか掃除せんのか?)。なんだこりゃ?自分でもわからん。しかし最近「ひょっとして、わたしはこれがカッコいいと思っているのかもしれん。」と気づいてしまった。考えてもみなはれ。「アッツー、アッツー、たまらんー!」とかいいながら、ぐうたらぐうたらしてるより、おそらく自分ちの家具の中で一番値が張ったであろう、黒漆と金箔でギラギラの函をピカピカに磨きたて、嗅ぎようによってはまあいい香りともいえないこともない香を焚き(香道はお貴族様のたしなみであるぞよ)、自分ちの畑で一番派手な花と野菜をお供えする。盆などは提灯まで灯すのであるよ。はなはだ派手なイベントではあるまいか?実は正直なところたいへん罰当たりなことに「真言宗なら良かったのになあ。密教って派手だよなあ。」などと思っていたりしているのである。ま、浄土真宗でも充分派手だし。宗派変えるのめんどくさいし、仏壇は恐ろしく値が張るし、ありがたく、ご先祖様から受け継いだ宗派と仏壇を大切にしているのである。ありがたや、ありがたや。
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