椿屋敷のお客様

民俗・年中行事 Feed

2005年11月15日 (火)

新味噌

Nec_0041_4「そろそろ今年の味噌を食べてみようかい」と思い、樽から取り上げて今朝のお味噌汁に入れてみました。

例年よりちょっと遅れて作ったので、「どうかなあ、味」と心配でした。

どきどきどきどき・・・・・

・・・・・おお!うまっ――――!!

よかった―――、ばりうまでした。

ありがとう麹の神様。

2005年11月 1日 (火)

味噌作り・3

Nec_0030_1 うううん、今年は昨日あたりの朝が寒かったせいか、麹の様子がいまいち。一定の温度じゃないとまずいんだよなあ。ああ、断熱材入りの味噌蔵も欲しいです。

しかし、これ以上放っておくと黒くなってしまうので、もう練りにかかってます。麹の生えた麦をバラの上でつぶして練り、塩とあらかじめペースト状にした大豆を加えます。だいたい味噌状になったら防腐剤代わりの焼酎を加えます。今夜中に練らないと発酵が進みすぎるので、大急ぎ。Nec_0029_4Nec_0031_2 Nec_0032_2

おにぎりが握れるぐらいよく練れたら、空気が入らないようにたるに詰めます。味が出るように昆布を中に入れてます。

詰め終わったら表面を平らに均してカビ止めに塩と焼酎を振ります。きっちりビニール袋から空気を抜きながら封をして、1週間後から食べられます。

2005年10月31日 (月)

味噌蔵兼仏間

Nec_0026_1真っ暗けで何がなにやらおわかりにならないことと思いますが、今仏間を味噌蔵にして麹を発酵させている最中です。

風が当たるのも直射日光もいけません。出入りも必要最小限にして室温をできるだけ一定にするのです。もはや今朝は麹のいい匂いが家中に漂ってきました。このまま順調に生育してくれることを、神様仏様にお祈りするのみです。例年は稲刈りの声の直後に仕込むのですが、今年は諸事情で少し遅くなりました。うまくいきますように。一説によれば「麹を発酵させる部屋」にはその前年までの麹菌が残っているので、そこで発酵させる麹はうまくいきやすいし、その家独特の麹菌が育成されるので、それが「我が家の味噌の味」として反映されるのだそうです。「手前味噌」とはこのことなりか。

2005年10月30日 (日)

味噌作り・2

Nec_0022 Nec_0021_3 Nec_0023 麦の次は大豆です。

大豆は煮えるのに時間がかかるので圧力鍋を使います。祖母が使っていた6L入りのバカでかい圧力鍋で何回かに分けて煮ます。煮えたらこれも年代物の餅つき機に。(昔はこれも臼と杵でやってました。日置の家にはまだ臼があります)。

餅つき機で粉砕してペースト状になった大豆です。

味噌作り・1

Nec_0015_1 Nec_0016 Nec_0017 まず麦蒸しにかかります。麦と豆と昆布を洗って用意しておきます。

Nec_0018 蒸し器で蒸し、

(この過程をかまどと蒸籠でやりたいんだよう)

Nec_0019 蒸しあがったらバラに開けて耳たぶ程度(38℃)に冷まして麹を混ぜて、

Nec_0020_1

最近モロブタの変わりに袋に入れて3cm平均の厚さにして、蓋をします。風に当たるのは厳禁なので、仏間を締め切ってしまいます。

これの繰り返しです。

2005年10月29日 (土)

味噌作りの準備

Nec_0014_2 今年は例年より遅れましたが、そろそろ味噌作りに取りかかろうとしています。

6月の梅干作りと並ぶ年中行事です。自家製の味噌はおいしいです。

2005年10月18日 (火)

実録!スズメバチ抗争

Nec_0005_1 実家の家業が植木屋なもので、家族全員「蜂の恐ろしさ」は骨身にしみてます。

スズメバチ、オオスズメバチももちろん怖いですが、一見地味なクロスズメバチも畑の地面の中に巣を作っているので、うっかり踏み抜くと何十匹もの蜂に足を攻撃されます。よく見かける蓮の実状の巣を作るアシナガバチだって実は怖い。いつも気をつけているのですが「ふっ」と気を抜いた瞬間に樹にぶら下がったスズメバチやアシナガバチの巣を手で払ってしまうし、クロスズメバチの巣を踏んたびったりするのです。この巣はバジルの畝のすぐそばでもあり、「どら、そろそろバジルを摘んむしってソースを・・・」としゃがみこんで見つけたので、今回マジにラッキーでした。

蜂の巣の近くではとにかくしゃがむことです。「ヴヴヴヴ」というあの恐ろしい羽音と「カチカチカチ」という警告音がしたら、「わたしは石だ。わたしは石だ」と唱えて動かないようにしましょう。手で払ったり叩こうとしたりしたらダメです。たとえ体に止まってもピクリとも動かずにいれば攻撃せずにいつかは飛んでいきます。冷や汗が流れるような試練ですが刺されるよりましです。いっそ「南無阿弥陀仏」と唱えたほうがいいかもしれません。黒い服もダメです。あと香水や整髪料などの人工的な香料を含む化粧品類もダメです。山や藪に入るときはほんっとスッピンのほうが安全です。「山の神様は女だから、女が入っては嫉妬を呼ぶからいけない。」という伝承がそこかしこにあるのは、ひょっとしてこのことも踏まえているのではないかと思います。

なんにせよ素人が手を出すのは危ないので、植木屋35年の父に巣の出入り口から薬をかけてもらいました。薬は家庭用の殺虫剤で充分です。とにかく一吹きでもハチに当たるとハチは失速して落ちます。巣の出入り口に集中砲撃です。見ていると体長3cmぐらいの成虫がぼとぼと落ちていきます。危険なのは偵察から戻ってきたハチが後ろから襲ってくる事で、後ろからの気配がしても不用意に動いてはいけません。手で払うなどもってのほか。冷静にやり過ごして薬を吹きかけます。充分巣の中に薬剤が行き届いたら、1日以上放置しておきます。ここで、また別な疑問が・・・。チャドクガのときも家庭用殺虫剤で充分なのですが、チャドクガもスズメバチも瞬殺してしまう家庭用のピレスロイド系殺虫剤ていったいどんなんやねん?!実はかなりあぶねー薬なのです。

2005年10月16日 (日)

金木犀と銀木犀

Nec_0095_1 Nec_0096金木犀と銀木犀です。

数日前から「香りはすれども姿は見えず」だったのですが、お宮さんの庭に咲いてました。うちの老大木は夏に剪定してしまったので今年は花をつけないようです。

色を「『金銀』で対にする」というキンキンギラギラな発想はどうにも大陸的な匂いがします。

日本ならば『黒白』、もしくはおめでたくて『紅白』でしょう。

『金銀』で思い出すのは「西遊記」の「金角・銀角」です。ああいう派手派手しい悪党兄弟に金銀の名をつけるところが、いかにも大陸的。「ジャァァァ――――ン」と銅鑼の音が聞こえてきそうです。あ、そういや日本でも室町から戦国にかけての派手で婆沙羅な時代には『金銀』が流行ったのかな。「金閣寺・銀閣寺」。秀吉の「金の茶室」。金木犀が中国から輸入されたのも17世紀、戦国時代が終わろうとする頃?何にせよその頃輸入した人はちょっと気がきかない人で、日本の金木犀・銀木犀は雄木だけなので、花は咲けども実を結ばないのですって。そりゃせつねえよ。それとも「衆道全盛・ホモホモ天国」だった当時の日本にはふさわしかったのかな?

2005年10月 9日 (日)

熊手

Nec_0077「ローテク万歳グッズ」その3・熊手であります。

今しがた鶏小屋掃除を終えて、堆肥になるべき鶏糞混じりの草をかき集めたところです。ほんとうに単純な作りですがこういう作業をするのにこれほど適した道具はないでしょう。

よく神社で竹でできた熊手が「福をかき集める」縁起物として売られていますが、まったく納得です。土とか砂利とか集めたくないものはその歯の間からこぼれ落ち、草だの落ち葉だの必要なもののみを掬い上げてくれます。便利。

「熊手を持った翁と箒を持った媼」の長生きを祝う「高砂」の意匠には欠かせないグッズです。とことんおめでたいシンボルグッズのようです。

Nec_0078 実はこの熊手はちょっと優れものの熊手で、ネジ止めの金具を上下することで、櫛歯の間隔を調節することができます。ふふふふ(←自慢)。

2005年9月15日 (木)

036 木戸口に栗が落ちておりました。子供のころ「子供会」で、今ごろ栗と萩とススキを集めて束にし、それを部落(鹿児島じゃこの言葉に差別的意味はない)内に配って、「十五夜」行事に使うカンパ金を集めておりましたな。十五夜の夜、子供たちが集まって、小学校のグランドの土俵で相撲を取ったり(カンパは相撲の景品のノートや鉛筆になった)、肝試しをしたり、あの頃は「なんか不思議な行事じゃっどねえー」と子供心に思っておったことですよ。

大人になって「十五夜に相撲」というのは、われわれのご先祖さあが「隼人」と呼ばれていた遠い遠い大昔からの伝統行事であったことを知りました。もちろん時代時代にそって変化してきたらしいですけど。たまげましたね。今どうなってるんでしょうか?