椿屋敷のお客様

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2006年3月

2006年3月 6日 (月)

お宮さん

Nec_0032_9 歩いて1分のお宮さんであります。

鳥居と小さなお堂があるだけ、社務所もおみくじもないお宮さんですが、かなり大きい杉の木立があり、県でも1,2を争う大きさというムクノキもあります。ここは確かに鎮守の杜なのです。

特定の宗教の信者ではありませんが(葬式は西本願寺)、「八百万の神」はいると思っているので、毎朝のモモの散歩の途中に必ず寄って拍手を打って参拝します。やっぱ、できるだけツキが廻ってきてほしいもんな。

というより「柏手を打つ」という行為を「美しい」と感じているのですよ。朝早いお宮さんは静かで、「パン!パン!」という音が木立に良く響きのです。その響きが一種独特の清浄さを持っているように自分の中の「やまとごころ」が感じてしまうのですな。音が響く瞬間何もかもを忘れてしまうのです。一瞬でリセットされる心。薬もカウンセラーもいらんコストゼロの手法が、たまらん性におうとるのです。

・・・・・、と、実は最近境内の杉の落ち葉が掃き清められ、箒目が立っていることが多かったのです。7時には行くので、「誰がやっているんだろう・・・?」と謎だったのですが、今日30分早めに行ったらご近所のご婦人が帽子にマスクと割烹着で、持参の箒と熊手で黙々と掃いてらっしゃいました。――――――

「おはようございます」と挨拶すると照れたように会釈され、かき集めた杉の葉をお堂の後ろに固めてすぐ傍のおうちに入っていかれました。

おおお、美しい―――!!

ちゅうか、杉の葉が気になっとったんなら自分でやっとけや。反省。

2006年3月 5日 (日)

リンゴの芽

Nec_0031_10 リンゴの芽が出てきました。

おそらく品種は「ふじ」か「おうりん」のはずですが・・・。

つまりこういうことです。人間がリンゴを食べて(いつも「ふじ」か「おうりん」)その皮やら種を含んだ芯やらをそのまま地鶏くんご一家にやっておるわけです。また、鶏リンゴの皮や芯が大好き。

その地鶏くんたちのウンコが、餌入れや水入れにぼたぼたくっついてるので、外の水場で洗い流して横のカラーが生えている一画に「肥料代わりじゃ」とかいって流しております。ほぼ毎日。リンゴの芽はそのカラーの根元から出てきたのです。どうやら地鶏くんたちのウンコの中にリンゴの種がそのまま入っていたようです。そして春になって気温が上がってきたので発芽した、と。

―――――ううううむ。

まことにまことにありがたいことであります。生命の中にある「めざまし時計」というのはすごいものですな。そして、このあらゆる生物を巻き込んで動く巨大なる自然というからくりの巧妙さよ。

以前にも言いましたが、果実の種というのはリンゴにしろミカンにしろ種の周りの果肉に発芽阻害物質が含まれているため、なかなかそのままでは発芽しにくいのです。プロが大量に実生しようとするときには、種をアルカリで洗った上に酸で洗わばならず、なかなかの手間がかかるといいます。

ところが自然界では「鳥類」が存在します。鳥には歯がありませんが「砂嚢(さのう)」という強力な消化器官を持っています。この砂嚢の筋肉でもみにもまれた種は、少しも発芽機能を損なうことなく発芽物質(要するに果肉だ。鳥にとってはごちそう)を取り除いてもらえます。そのままの形で鳥のウンコとして出てきて、発芽したら今度はいいかげんにこなれた鳥のウンコを栄養として育つという段取りです。

なんという巧妙なシステムでしょう!

素晴らしい!!

2006年3月 4日 (土)

玄翁

Nec_0025_10 「ローテク万歳グッズ・その16」玄翁(げんのう)です。

当農園において「杭打ち」は必須科目です。樹木を支える杭を打つ、垣根を立てるのに杭を打つ、ヤギを繋ぐのに杭を打つ・・・・・もう、ありとあらゆることの最初が「杭打ち」だったりします。

ところがねえ、これがなかなか難しいのよ。だいたい直径8cm~10cmぐらいの木の杭の頭を玄翁で打ち付けて地面に杭を埋め込むんだけど、とてもとても最初はこの「杭の頭にまっすぐ玄翁を当てる」てのができないね。玄翁重いから、狙いが外れて空振りしたり、最悪の場合自分の足に当たったり。

最近になってやっと「とりあえずヤギを繋いでも抜けない程度の杭」は打てるようになってきたんだけれど、杭の頭はもう割れたりささくれたりボロボロ。つまり玄翁の打撃面がちゃんとまっすぐ当たってないから、杭の頭が荒れるわけ。はあああ。まだまだ修行が足りません。

餅つきのとき臼に杵をまっすぐ下ろすのと同じ要領なんだけれど、なにせ目標物がせいぜい10cmだからなあ。ものすごい集中力が要求されるし、玄翁を振り上げるときは腰を落として下腹に力を入れ、思わず「ホイショッ!ホイショッ!」などと気合をかけてしまいますね。おなごにはあるまじき姿ですが、一方では「これって結構カッコいいかも」などと思う自分がいたりして。

2006年3月 3日 (金)

桃の花

Nec_0024_10 桃の花です。

この間門松を立てたかと思ったら、はや桃の節句ですよ。

昨日今日とちょっと冷え込みましたが真冬の寒さに比べると過ごしやすいのが不思議ですな。庭中畑中ご近所中に、さまざまな花が咲き出しているからでしょうか。連翹の黄色もそうですが、この花桃のピンクもいかにも春の色です。優しい。

花桃は花を愛でる品種で、実を結びません。しかし、普通の桃でも鹿児島のような南国ではなかなか実を結ぶ木はありません。桜桃とか桃とかはそうです。だからこそ「暖地桜桃」という品種があるぐらいなのです。10本のうち1~3本ぐらいでしょうか、ときおりちゃんと実を結ぶ木があり、それはなかなか貴重な木です。

日置の家の隣のむっこちゃんのおうちに、それはそれは立派な水蜜桃の木がありました。かなり大きい木で夏になるとたわわに甘い桃色の実をつけました。むっこちゃんちに遊びに行っては水蜜桃の木に登って実をもぎ、甘い汁を滴らせながら齧り、種をそこらの畑にポイと捨てては、「石蹴り」や「かわら投げ」や「かかし」なんかの遊びを飽きることなくやり続けました。今思えばすごい贅沢な時間だったなあ―――。

あの木は鹿児島ではすごく貴重な木だったんだなあ。

今はむっこちゃんはお嫁に行き、おじさんが一人で住んでいます。家をバリアフリー仕様に建て替えて、そのとき桃の木はなくなりました。

季節は変わり、景色も変わっていきます。時の流れは誰にも止めることができないけれど、「あのときああすれば良かった。こうすれば良かった。」などと後悔はしたくないです。

2006年3月 2日 (木)

連翹の花

Nec_0023_5 だい好きな連翹(れんぎょう)の花が咲きました。

この新芽の萌黄色と花の黄色のバランスがいいのです。いかにも早春の色ではありませんか?

満開になると枝一面がまっ黄色になり、その間からちょぼちょぼと萌黄色の新芽がのぞき、なんともいえず「豊かな春」そのままな色になります。いいよなあ・・・・・。

植木屋35年の父から「連翹は油断すると藪になって庭を荒らすっで用心をするように」と注意されました。はい。気をつけます。実際ものすごく強い潅木で、挿し木をすると簡単につくし、根があっという間に張ってそこらじゅうが連翹だらけになってしまいます。春の花の時期はきれいだけれど、夏は藪以外の何ものでもないし・・・。コントロールが難しい。

何でもそうなのかな?

ここ何年か冬眠してるみたいな生活をしていたんですが、去年ぐらいから「え?え?え?・・・・・・?」という間に色んなことが始まってしまい、今まさしくそれらの基礎固めで目が廻りそうです。始めるのは簡単ですがそれを維持しつづけることは難しい。藪になって手におえなくなってしまうと「ちょっしめじゃった(しまった)。」ことになるし。

春の花の時期に浮かれていないで、夏を秋を来年の春のことを考えてコントロールしていかねばなりません。毎日のことを必死でやっていくしかないなあ。でも、食べることと寝ることは人一倍しっかりやってるんですけどね。おかげさまで健康でやっていられるのはありがたいことです。

連翹は実が漢方薬になります。利尿・消炎・解毒などに用いられると。今のこの忙しさが豊かなる実となりますように。

2006年3月 1日 (水)

乾燥ヤツデ

Nec_0022_7 乾燥したヤツデの葉です。

民間療法では、これを入浴剤にしてリューマチの症状を緩和します。

乾燥したヤツデの葉を洗濯ネット等の小袋に入れ、小鍋で濃い色の汁になるまで煎じます。そのままお風呂へ投入。入浴、という段取りです。

ユズの皮もリューマチの民間療法薬で、今干しているところなので、これと混ぜて(香りもよくなる)、リューマチの友人に進呈する予定です。