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2006年10月22日 (日)

ガマズミの実

Nec_0028_22ガマズミの実がなりました。

熟すとなんともいえないワインレッドになり、きれいです。大根や蕪の漬物の色付けに使う地方もあるそうな。さもあらん。いい色です。

利尿作用や疲労回復用のガマズミ酒を造ったりもするそうな。200~300gの果実、1.8Lのホワイトリカー、200gの氷砂糖をあわせて冷暗所で2,3ヶ月。それを漉して材料引き上げ。甘酸っぱい野生の果物の味がするので、これはおいしいかも。

そういえば今日は妙円寺参りの日。鹿児島県民なら誰もが知っている「関ヶ原における島津義弘公の活躍をしのんで行われる祭り」です。

この活躍というのが、聞くだに疲れるお話で。

知ってのとおり関ヶ原では徳川が豊臣を下しました。島津家は豊臣家にお味方しとったわけですが 、「いよいよあかん」と西軍総崩れとなったときに齢60歳を過ぎた島津義弘公がとった戦法はなんと「中央突破」。敵陣真っ只中を突き進み、総大将家康のすぐそばを突破して、そのまま関ヶ原を走り抜け、堺の港まで走っていったそうな。

いかにも薩摩武士らしい話でありましょう?

これにはまだいろいろおまけがついていまして、薩摩の国許で義弘公の危機を聞きつけた鹿児島中の郷士達が、取るものもとりあえず関ヶ原方面へ走って向かったのじゃと。その中でも出水兵児の中馬大蔵(ちゅうまんおおくら)は、そのとき畑を耕しておったのじゃが、ちょうど通りがかった関ヶ原へ走る鎧櫃持った郷士から話を聞き、そのまま鎧櫃を奪って関ヶ原へ向かったのじゃと。

敗走の兵たる島津軍は、そういう鹿児島中から駆け上った兵たちに守られて、なんとか堺の港からピストン輸送されて鹿児島に帰ってきたんじゃと。

・・・・・・なんちゅうたらよかとでしょうか。なんちゅうボッケな話でしょう。薩摩人は戦国の昔から薩摩人です。さらにボッケな話なのが、「その先人の苦労と勇気を忘れないために」えんえん400年以上も「妙円寺参り」と称して子供達が鎧兜をかぶって島津義弘公縁の伊集院町の寺に何十キロも歩いて詣でる習慣が続いている事です。義弘公の活躍を称える「妙円寺参りの歌」をエンドレスで歌いながらです。

まったくもって薩摩人のやることです。

今日はきっとたくさんの子供達が何十キロも歩いて疲れた事でしょう。未成年じゃなかったら疲労回復のガマズミ酒でも飲ませてあげたいぐらいです。

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