おおきく振りかぶって・7巻
というわけで「おおきく振りかぶって」(既刊7巻・ひぐちアサ・講談社)に夢中の最近なのであります。
そういや昔から野球マンガにはよくはまってたよな。サッカーマンガはぜんぜんだったのに。んで、前のエントリーにも書いたけれど「バッテリー」といい、この「おおきく振りかぶって」といい「女性が野球を題材に書いた‘本格派‘作品」に続けてはまってしまったので「なんでかな?」と考えてみました。
少女マンガじゃ昔から野球はご法度だったんだよね。泥臭くて。川原泉氏や亜月裕氏なんかがそういうところを逆手にとってギャグ仕立てで描いたりしてたりしたんだけれど、それはあくまでギャグであって、「野球の面白さ、それにまつわる楽しさと辛さ」を正面切って描いた作品ではなかった。女性誌ではそうだったし、男性誌で「女性が野球マンガを描く」ということもなかった。まあ、男性誌で女性が活躍することも今ほどなかったわけだけど。男性誌で「女が野球をギャグ化する」というのも許してもらえなさそう。それは今でもそうなんじゃないかな。これだけ野球の地位がサッカーに押されてもやはり野球とそれを取り巻く世界は「男の聖域」なんだろう。
それが「アフタヌーン」みたいなちょっとマニアックな雑誌で、女性が「本格野球マンガ」を描けるというのはいい時代だと思うし、なにより作者のひぐち氏の「何年も高校野球の追っかけをして丁寧に取材した」情熱が素晴らしいとも思う。
そして視点と切り口。
「バッテリー」のあさのあつこ氏も「おおきく振りかぶって」のひぐち氏も今まで男性作家が描き尽くしてきた野球とは、視点と切り口がまったく違うところから描いてきている。だからものすごく新鮮!
この二人はそれぞれ違った個性で勝負しているけれど、共通しているのは、男性の作家が「野球を描くならこれは弱さだ。だから切り捨てる」と判断したであろう「弱さ」を、丹念に拾って描いているところではないかなあ。
「バッテリー」の巧の手のつけられない孤高ぶりとか、「おおきく振りかぶって」の三橋のとんでもない弱腰とか、今までの野球マンガだったら(そうでなくてもスポーツマンガだったら)「根性がない・礼儀がなってない・スポーツマンの資格がない」で済まされていたと思う。あと「おおきく振りかぶって」で丹念に描かれる最新のメンタルトレーニングとかスポーツ医学とか。これマンガじゃなくても日本の「体育会系スポーツ界」って無視しがちなところだったでしょう?そうじゃなかったらなんでオリンピックみたいな大舞台で「あがりました。実力が発揮できませんでした。」のオンパレードになるわけよ?「努力と根性が足りん!」だけで済ませてきたところを、「弱いところは弱いのだから、正しい知識で日ごろの訓練によって効率よく克服する」という姿勢、好きだなあ。
こういう視点は、スポーツじゃないけれど「ヒカルの碁」(ほったゆみ・小畑健著・集英社)にもあったなあ。あがり症でプロ試験に受からない伊角が中国に武者修行に行って「精神のコントロールなんか、克服できないことじゃない。身につけることができる技術だ。」とさとされて開眼するというエピソード。
これだよこれ。
「根性と精神力さえあればなんでもできる」という考えかた大嫌い。これって一種の思考停止でしょ?無批判な宗教と一緒じゃん。「できないのは信仰が足りないからです」っていう。太平洋戦争の基本思想もこれだよな。「竹槍でB29を落とす」っていう。
勝利や現実のメリットを手に入れるのに必要なのは「信仰」じゃない。「冷静な現状分析と作戦と対策」でしょ?
最近はまった「野球」という使い古された題材でやたら新鮮な2作品に共通するもの。それはこの「現状分析と作戦と対策」を丁寧に描いているところじゃないか?と考えました次第です。
人生にも必要だよな、これ。
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