椿屋敷のお客様

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2008年3月27日 (木)

死の概念

Nec_0022 ヤスネコのジョー(16歳・ジジイ)は、何年か前から猫エイズキャリアであることがわかっていて(たぶんどこかの猫とケンカしたときに感染したのでしょう)、発症すると口内炎が治らなくなって餌はもちろん水もろくに摂れなくなります。最初のときは獣医さんで注射を打ってもらったら症状が治まったのですが、今回はどうもうまくありません。

もう飼い主としてできることは、できうる限り安静にさせて、思い通りに過ごすようにしてもらうしかありません。よく「猫は死の間際になるといずかたへとも無く去る」と言われていますが、今まで飼った猫の中には去るものもいれば手元で息を引き取るものもいました。猫の場合は本人(猫)にそれを選択させる以外仕方がないと考えています。

ところで、今3歳の甥っ子が鹿児島に来ているのですが、彼にとって「ジョーのねこ」はたいへんなお気に入り。うちに来たとたん「ジョーのねこはどこ?ジョーのねこはどこ?」と探し回る有様。妹に「死についてそのまま話していいのか?」と聞くと「がんがん教えてやってくれ」とのこと。

そのまま話します。

「春ちゃん、ジョーのねこはなでてやれば治るでしょう?」

「いや、今回は難しいかもしれん。」

「治るようにいえば治るでしょう?」

「もう、治らないんだよ。でも、どんな生き物もいつかはこうやって弱って死んでいくんだよ。」

死の概念を自分はいつ手に入れたでしょうか?それは理屈や書物やTVからではなく、小さい頃に飼っていた猫や犬の死があって初めて手に入れたものだったように記憶します。「生きていたものが死骸になる」というのはそれほど劇的な変化ですから。現実に目前にしてしまったらどんな子供でもそれはわかるでしょう。

ゲームじゃそれはわからないけどね。

あ、『だからゲームが犯罪の温床である』などと安易なことをいうつもりはまったくありません。ゲームに触発される奴は何を見ても犯罪に走るでしょう。問題は「そういうヴァーチャルなものしか身近に無い環境」でありましょう。

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