椿屋敷のお客様

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2008年3月26日 (水)

多く、長く、広い国

Nec_0024 今となっては遠い遠い昔のこととなりましたが、わたくし中国史が専攻でございました。あまりの多さ、長さ、広さに「こりゃあ、一人の人間の一代の頭じゃ無理」とあっと言う間に挫折したんですけどね。

今だってその「多さ、長さ、広さ」はまったく変わってないし。あと3,4千年は変わんないんじゃねえの?

あの国は何千年も昔から、自国の人民が何万、何十万飢え死にしようが、地震で死のうが、洪水で流されようが、あるいは軍隊に鎮圧されようが(チベット自治区ね)、しれしれっと「無問題」と言い切ることができる国なんですよ。それが「悪人国家」だとか「テロ国家」だとか言う気は毛頭ございやせん。「そうでなければ治まらない国だ」と申し上げておるわけです。こういっちゃあ怒られるだろうけれどたぶん未来永劫ね。たかだかフランス革命からこっち200年あまりしか歴史を経ていない、西洋式の議会制民主主義が、あの国に馴染むわけがないっちゅうの。

んで、何が言いたいかというとですね、「自国の民が飢え死にするのすら『無問題』な国なんだからイザって時に他国の民が飢えても平気だよ。」ってこと。今度の冷凍餃子問題でもまったく責任取る気ないでしょ?そういう国なんだってば。

わからないのはあの国とは邪馬台国の卑弥呼以来2000年近い付き合いの癖に、胃袋を全面的に預けるような真似をして平気だった、ってその感覚。こえええよおおおお。すでに紀元前には「兵糧攻め」って言葉が兵法として確立されてる国なんだよ。「人肉饅頭」が繰り返し何の抵抗も無く文学作品に出てくる国なんだよ。

それはちゃちい西洋的な善悪を超えた、徹底的な現実主義なの。理屈でその現実主義に勝てるはずが無い。

悪いことは言わないから、とりあえず目先の損得はさておいて、自分とこの食料は自分とこで作ろうや。いや、まじで。

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コメント

確かにね~、アレだけ広大な国土、膨大な人口を抱えている国にとっては今回の事故の事等、蚤の糞ぐらいの小さな問題なんでしょうね。
お隣の国とはいえ重箱の隅をつついて生きてきた私達日本人には理解は無理かもしれません。
中国から見たら、野菜の残留農薬には敏感でも、「キャー虫がいる!」といってバンバン殺虫剤を部屋の中にまく日本人も不可思議に見えているんでしょうね。

そうそう、感性が違うんですよね。どちらが正しいとか言うんじゃなくて。例えば、ぼくはクリスチャンだけど、そうでない人から見ると、かなり狂った感じに見えているハズ。なぜこんなことがいえるかと言うと、クリスチャンになる前のぼくは、クリスチャンって非科学的で狂った人たち、って思ってたからです。(ちなみのぼくはどの宗派にも属してません。教会にも行ってません。時々聖書を読むだけのいいかげんなクリスチャンです。汗)
世界観がハデに変わる経験をしたせいか、中国人についても、それほど違和感を感じません(笑) 世界には自分の感性が通じないところはいくらでもあるでしょうし。
関連したおもしろい記事があるので、よかったら覗いてみてください。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_4160.html
長々と書いて、ゴメンチャイ!

シャンユェンさん、
おっしゃるとおり、たぶん中国人からしたら「なんでそんな騒ぐの?」ぐらいの感覚だと思います。もちろんだからといって抗議はするべきですが・・・・・・交渉は長くかかると思うなあ。よっぽど気長にやらないと。

スプーンさん、
どうもありがとうございます!きっと世界は「感性が通じない」場所だらけではないかと(笑)。「違う」と思ってやってかないと全部合わせようとするとしんどいですよねえ。

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