椿屋敷のお客様

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2007年1月

2007年1月 7日 (日)

七草の考察

Nec_0018_25 全国でも「七草粥」行事が残っているところは珍しいらしいのですが、鹿児島は昔から「ななとこずし」と言って「7つになった子が隣近所の七軒を廻って七草粥をもらう」というしきたりがあります。

今もやっているところがあるんじゃないでしょうか?

いろんなお宅のいろんな粥があって、七草全部じゃなくて五草ぐらいだったり、七草の替わりにホウレンソウとかハクサイとかが入っていたり、餅が入っていてどろどろしていたり、いろいろでした。7軒分もあればたいがいの量になり、7日どころか8日までかかって飽き飽きしました。正直お粥より、一緒にお年玉がもらえるのがうれしかったな。でもあれはうちの親もよその子に渡していたので、どこの親も平等に大変だったということかな。

全国に比べてなぜ鹿児島で七草が残ったか、考えてみたのですが。

つまりですね、今の暦は太陽暦で旧暦に比べて正月が約一月早いわけですよ。この時期他の地方では露地では七草が揃わないんじゃないでしょうか?鹿児島は温かいから今でもう全部生えているわけですよ。現にうちの庭でも「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」全部OKですもん。

他の地方じゃこうはいかないんじゃないかな?

吉野町では20代から70代の4人の女性農家が七草を栽培していて鹿児島市におろしているらしいです。縁起物だからみなさん本物を食べたいのでしょうね。しかしこれらはほとんど雑草に近い植物。かなり丈夫なはずです。なかなかいい商売であるといえます。

やられた

Nec_0017_28 猫の爪というのはまことに鋭いもので、しかも連中毎日何回かはその爪を研がなければならない生理になっておるらしいです。

猫を飼ってらっしゃる方はご存知でしょう。障子、襖、籐細工、絨毯、・・・・・爪が立つものならなんにでも立ててくれよります。遠慮会釈もあったものじゃない!

まったくもって厄介ですが生理ならば仕方がない。

というわけで、我が家の襖にもダンボールで猫爪防止ボードを取り付けておりましたのですが、その努力をあざ笑うような緊急事態発生。

台所にドリアン(アメリカンショートヘアーのハーフ・13歳・ジジイ)とジョー(ヤスネコ・12歳・ジジイ)が行けないようにほんの二時間だけ襖を締め切っていたのですが、何を勘違いしたのか「入れろ~!入れろ~!」と大騒ぎした挙句、写真のような襖への乱暴狼藉。何でたった二時間で、ここまで無残なことにできるんだ?

まいりました。

今月末には東京と広島から妹たちが婿さんと子供たち連れで帰ってくるので、それまでに襖の張替えをせにゃならなくなったきたがな。

2007年1月 6日 (土)

冬の嵐

Nec_0016_23 今夜は日本列島全国的に大荒れのお天気らしいです。特に北日本。「台風以上に強烈な低気圧」が発生して冬の嵐。

猛吹雪になるらしいです。

吹雪とな。

鹿児島産まれの鹿児島育ちなので、台風なら結構強烈な体験がありますが、吹雪の経験はありません。聞くだに恐ろしい。台風の風ですらああなんだよ。台風はまだ雨なんだよ。あれが雪になるんだよ。雪を含んで風速30mとかだよ。身も凍るわ。

こういうの聞くと「南国に産まれてよかった」とつくづく胸をなでおろすのでありました。北国の人には悪いけれど。

さおだけ屋はなぜ潰れないか?

Nec_0012_23 わが椿屋敷農園のポリシーは「ローコスト・ローテクノロジー」です。

とにかく「コストをかけずに」「設備投資も最小限で」やっていこうと思ったのです。「最初から大もうけはしなくても、できることからはじめて10年、20年と淡々と長く続けていこう」と。

なんとか続いているのはほんとうにお客様のおかげです。ありがとうございます!

とかなんとかいいながら、今年もそろそろ確定申告の時期が近づいてきております。想像がつくかと思いますが、わたくしこれが大の苦手。「毎日こまめにつけておけば、ぜんぜん困らないよ」と会計の資質のある方はおっしゃいます。結局そういう毎日の地道な努力しかないようです。

なにはともあれとりあえず、会計についてさわりだけでも読んでみよう、と評判の「さおだけ屋はなぜ潰れないか?」(山田真哉著・光文社新書)を読んでみました。

むちゃくちゃおもしろかったです!

枕が「さっぱり売れているとは思えないのに、全国的に何十年も存続している「さおや~さおだけ~♪」のさおだけ屋の謎。あと住宅地にぽつんとある、お客がほとんど入っていない超高級フランス料理店の謎。とかね。「いったいどうやって商売の元を取っているの?」という商売のからくりを本当にわかりやすくおもしろく書いてくれています。もちろん会計のプロとしての視点から。

各章ごとのポイント・ワードがまとめられているのですが、それなど会計のみならず「そうだよな。人生って生活って、こうじゃなくっちゃな」と座右の銘になりそうな名言がぎっしり。

特にうーーーんと唸ったのが「名刺を配りまくっても人脈にはならない。100人の知り合いを増やすより100人の人脈を持つひとりの人物と深くしっかりとした関係を作れ。すでに知っている小数の人物を大事にするべし。」という言葉。

まったくそうだよなあ。

あと「ローコスト・ローテクノロジー」の考え方が、会計のプロから見ても正しい考え方らしいので、勇気百倍。

今後もぼちぼち淡々ながながと続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2007年1月 5日 (金)

日本水仙の花

Nec_0013_30  というわけで、春一番に咲く花日本水仙もいつの間にか咲いておりました。

あたりにいい香りが立ち込めています。大好きな花なのです。

カナリー諸島が原産地で、そこからヨーロッパ→中央アジア→中国→日本と伝播してきたらしいですが・・・・・

ギリシア神話で「水鏡に映った自分の姿に惚れ込んで、飢え死ぬまで動かなかったド阿呆」ナルシストの語源ナルキッソスが死んだ後に生えてきた花だと申します。ということは紀元前のギリシアには存在しておったわけですな。群生する花なので、かの国でも石灰岩とオリーブと遺跡の大地に群生しておるのでしょうか?もしそうならたいへん美しい光景であると思います。

日本でも越前海岸や房総半島、伊豆、淡路島などで大群生を作っているらしいです。すごいな。いちめんの日本水仙。美しいだろうな。

2007年1月 4日 (木)

梅の花のつぼみ

Nec_0014_24 いったい自分が上を向いてるんだか下を向いてるんだか、あるいは斜め右を向いてるんだか左後方を向いてるんだかさっぱりわからなくなるほどバタバタした年末が開けて新年。

「いかんいかん、畑がおろそかになっては」と大慌てで見回る昨今なのでございます。

はっと気がつけば梅干用に何本も植えてある南高梅の木につぼみがついているではありませんか!!

人間が(要するにわたしだ)、雑事に追われてわけがわからなくなっていても、けなげに次の季節の準備をおさおさ怠りなくはじめている・・・・・

なんと豊かで惜しみないことでしょう。

畑が、山が、そばにあるということはその逐一を自分が望むときに望むだけ観察することができるということなのです。これをありがたいと言わずしてなんとしましょう。

2007年1月 3日 (水)

ご近所門松巡り

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うちの近所は江戸時代から鹿児島市内に野菜や竹籠やなにやかやを売っていた近郊農業地帯です。

その伝統はいまだ健在で、竹山を持っている家も多いので「門松なんざお手の物」のじいさんやおじさんがごろごろいます。南天や千両や万両を作っている家も、金柑を作っている家も、葉牡丹を作っている家も、松がある家も、その全部を作っている家もあります。よって、ほとんどの家が自分のうちの材料でお手製の門松を作って門に立てています。

その家の特色が出てたいへんおもしろいです

門松で一番難しいのは「竹をきれいに斜めに切ってがっちり3本まとめて荒縄で縛る」ことなので、男手が門松に割けない家など竹を省略している家もあります。植木鉢に若松と南天と葉牡丹を盛っている家もあり、それはそれで正月らしい雰囲気がするものです。

なんにせよ、うちのご近所がみんな、買ってきた門松でなく自力で作った門松を立てているのが、なんとなくうれしいのです。

異界口

Nec_0003_26 井戸、川、湖、池、海・・・・・・そして辻、橋。民俗学でこれらは異界への入り口ということになっております。この世ならぬ場所へ通じる回路なのです。

実際「水の流れ」というのはちょっと想像もつかないようなルートを辿って流れています。大仰な洞窟とか地下水路とかでなくても、そこらの側溝とて思いもよらぬところに巡っていたり、通じていたり。

誰そ彼時や彼は誰時、月明かりの下でそういう側溝口が暗く口を開けているのを見ると時折ドキッとすることがあります。

「何かこの世ならぬものが這い出てきそうな」あるいは「ふらふらとそちらのほうへ引き込まれてしまいそうな」感覚。その感覚は本能的なもので脳の一番深いところから湧き立ってくるように思います。誰しもが多かれ少なかれこの感覚を持っているのではないでしょうか?

ジャパニーズ・ホラーとして一時代を風靡した「リング」も「井戸」というクラシックな装置を利用しておりましたね。「貞子が井戸から這い出てくる」恐怖、それが本来みなが持つ「井戸」という装置への恐怖心を刺激して絶大な効果をあげていました。

この感覚はどうも洋の東西を問わないらしく、スティーブン・キングなんかも使ってました。特に「It」。あれは側溝とか下水道とか給水塔とかに潜む邪悪を描いて、いやああ、怖かった怖かった。「キリスト教文化圏でもあの手の装置は怖いんだなあ。人類共通の恐怖なのかも」と思い至ったしだいでございましたよ。

写真はうちの畑の端にある側溝口です。夕方に撮ったのですが、写真のほうが怖いです。ここからどんどん下へ下へと下っていき、谷へと落ちていきます。ここから出てくるのは実は狸か鼬なんですけどね。

狸ご一家が側溝を通路にして走っているのをよく見かけます。

2007年1月 2日 (火)

鋼の錬金術師15巻

Nec_0004_23  太平洋戦争が日本の敗戦で終わった1945年、今の70歳は9歳かそこらだったわけであります。十分物心がついておりますので戦争について断片的にでも覚えてらっしゃいます。80歳、90歳ともなると青年期~壮年期、人生の盛りに戦争。

介護の仕事をしていたので、それはそれは多くのその世代の方たちと話す機会がありましたが、太平洋戦争を肯定的に語る方についぞお会いしたことがありません。南方戦線で、満州で、太平洋で、シベリアで、沖縄で、本土で、殺されたり、殺したり文字通りの極限状況を生き延びてきた方たち。その言葉は重い。現実の体験からくる真実だから。

ネット右翼とかファッション右翼とか、国際情勢や日本の現実と遊離した過激な戦争待望論を展開してみせる連中のセンスがまったくわかりません。まわりに70歳以上の人間はおらんのか?こんだけ高齢化社会となっておるのに。

もっともごくわずかですが満州国や太平洋戦争でおいしい思いをして、占領軍にもうまく立ち回った先代や先先代を持つ家というのもございますれば(こういうのがホントの売国奴でしょ)。そういう家のジジイは「戦争はいいぞ~」と教育するのでしょうね。誰とは言いませんがそういう家の二代目や三代目のおぼっちゃまくん。お話になりませぬわ。

というところで「鋼の錬金術師15巻」(荒川弘著・スクエアエニックス)です。

「こうきたか~!・・・・・・・」

と思わず唸る、重い重い内容です。なにせ全編「イシュヴァールの殲滅戦」だもん。息もできないほど重い。

マスタング大佐やホークアイ中尉がこんな過去を背負っているのなら、これは生涯かけてこの傷を乗り越えていく以外に生きる道はないわなあ・・・・・

「元気で勇気があって情が深い少年たちの冒険物語」だった当初からかなり遠いところへきてしまいました。とはいえこの巻はどうしても必要な巻でしたね。これが語られないと物語は先に進まない。歴史ってのはそんなもんだよな。

白千両

Nec_0001_28 白い千両が藪のなかに生えていました。

千両、万両、南天、クロガネモチ、ツルウメモドキ・・・・・

お正月を彩る実のものは数々あれど、全部赤い実です。「紅白」にできる白の千両は重宝されるのですが、いかんせん珍しい。

まーさかまさか、自分ちに生えていたとは思いませなんだ。この株は大事にしないと。