母方の祖父が残したたくさんの椿ですが、名札が全部だめになっていて同定をやり直さなければなりません。意外なことにマジックインキは日光や雨風に大変弱いのです。1年もたてば白いプラスッチック製のプレートに書いたマジックインキの名前は消えてしまいます。一年草の草花の名前を書いておくには適していますが、何十年、何百年も寿命がある樹木の名前を書いておくにははなはだ不向きです。プラスッチック製のプレートもすぐ劣化して長持ちするものではないので、一番いいのは植物園なんかでやっているように木の札に耐水性のペンキで(できれば彫りをいれて)書いて立てておくことだそうです。花が咲かないとまず同定はできないので、今度のシーズンにでき得る限り確認して木札を立てていこうと思っています。
「越の粧い」は富山の民家で発見された種です。日本の椿の原種には「ヤブツバキ」と「ユキツバキ」があり、北陸地方が原産地の「ユキツバキ」系はこんな感じの千重-列弁咲きをします。代表的なのは「オトメツバキ」でしょうか。ぽってりして優しい感じの花形です。雪の中ではさぞかし映えるだろうなあ。淡桃色で中輪、11月-4月が花期です。葉は楕円、中形、波曲。樹形は立性で強いです。1970年の発表で、別名「霜月」。別名もいい名前だなあ。
山茶花「立寒(たちかん)」の花が咲きました。最も一般的な山茶花で、それこそ公園や学校なんかの垣根によく使われているので、「山茶花」といえばこれを思い出される方は多いのではないでしょうか?
幣ブログではチャドクガをよく取り上げましたが、チャドクガが公共施設に植えられたこの木で大発生していて大変なことになってしまった今年でした。もちろん「立寒」に何の罪もありません。「農薬の全体散布でチャドクガの天敵まで抹殺してるからだ」ということは以前書きました。もう今年のチャドクガは羽化して成虫になってしまっているので被害は下火になりましたが、木に残されたサナギの殻にも毒針毛がついているので、まだまだツバキ類のそばを通るときは十分注意してください。かく言う私も今日ふっと気が付いたら肩の上にチャドクガのサナギが落ちてきていて、気が狂ったように粘着テープで肩と首筋を叩きまくったところです。
以前「芋虫」のエントリーで「カライモ畑から這い出た巨大芋虫の思い出」を書きましたが、その後日談を今日聞きました。あの悪夢のような巨大芋虫の大発生の原因はやはり農薬だったのです。あの年の前年にN協がカライモ農家さんに農薬の全体散布を奨めました。結果芋虫の天敵が翌年いなくなってしまい、前記のごとき大発生を招きました。それはそれは凄まじい大発生でカライモはもちろん地上部を全部喰われ尽くし、収穫はパー、這い出た芋虫が車にひき殺されて油でタイヤが滑って通行できなくなるほどだったということです。県下中のカライモ農家がその被害にあい、結局薬害だということで翌年から農薬の全体散布を止めたらぴたりと大発生が治まったとか。最近あの芋虫を見ないのは農薬をあまり撒かなくなったからなのです。なんともはや。日本の農林政策が失敗の連続だということはもはや周知の事実ですが(杉ヒノキ植林とかね。単一林で山の保水力は無くなる、土地が痩せる、杉ヒノキは売れない、何よりかにより莫大な人数の杉花粉症患者を作り出してしまった。)、こんなところにも失敗が。
椿「初嵐(はつあらし)」の花が咲きました。
「椿屋敷農園」の名は、17年前に亡くなった祖父が椿好きで、敷地内に(多分)150種ぐらいの椿があることからつけました。そろそろ椿、山茶花の季節が始まりますので、咲いた花をご紹介していこうかと思います。
「初嵐」は、すでに1847年の「剪花翁伝」には記載されているという古い品種です。白い色で、咲き始めは移り白、一重で筒咲きもしくはラッパ咲きで蕾は尖ってます。中輪で10月から3月にかけてが開花期です葉は長楕円で中形、網脈は陥没してます。樹形は立性で枝葉横に張ります。「初嵐」という風流な名にふさわしくイの一番に咲いてくれました。清楚で優しい雰囲気の花です。
椿は菊や朝顔や金魚なんかと同じで、江戸時代に大流行して多くの品種が作られました。もともと「椿」という字は日本でこの木のために作られたのだというぐらい昔からある木です。「ヤブツバキ」と「ユキツバキ」は日本原産です。「首が落ちるのを嫌って武士は庭に植えなかった」というのは、幕末に近く世情が物騒になってきてからの話。二代将軍徳川秀忠は椿好きで、諸国大名に献上させて愛でたというほど。もっともうちは商売人の家系だし、士族さあがどう考えようと知らんしな。遠慮なく椿を愛でさせていただいております。
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