椿屋敷のお客様

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2005年10月19日 (水)

スズメバチの巣大解剖

Nec_0011 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。

このスズメバチさんたちには何の恨みも無いのですが・・・。マジで「刺されると死ぬこともある、日本列島で一番危険な野外生物」なので、申し訳ないけれど成仏していただきました。

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六角形の穴の中に白い幼虫がみっちり詰まってい るのがご覧になれるでしょうか?白い蓋は繭で中に羽化する前の幼虫が入ってます。50―60匹ぐらいの幼虫が詰まってました。もしこれが全部成虫になっていたら・・・。とぞっとします。あとは鼠算式に増えていくのです。すでに30-40匹ぐらいの成虫が出入りしていたと思います。女王蜂の姿を探しましたが見つかりませんでした。薬をかけて放置していた間にどこかに落ちてしまったのでしょうか。何はともあれごめんね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。

そういえばスティーブン・キング氏の大傑作「シャイニング」の中で(キューブリックの映画、あれは全然別物)、スズメバチが「邪悪と恐怖の象徴」としてすごく印象的に使われてましたね。物語にも感動しましたが「おお、アメリカにもスズメバチがおるんか。んで、アメリカ人も困っちょっとじゃね。」とちょっと笑いました。

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2005年10月16日 (日)

金木犀と銀木犀

Nec_0095_1 Nec_0096金木犀と銀木犀です。

数日前から「香りはすれども姿は見えず」だったのですが、お宮さんの庭に咲いてました。うちの老大木は夏に剪定してしまったので今年は花をつけないようです。

色を「『金銀』で対にする」というキンキンギラギラな発想はどうにも大陸的な匂いがします。

日本ならば『黒白』、もしくはおめでたくて『紅白』でしょう。

『金銀』で思い出すのは「西遊記」の「金角・銀角」です。ああいう派手派手しい悪党兄弟に金銀の名をつけるところが、いかにも大陸的。「ジャァァァ――――ン」と銅鑼の音が聞こえてきそうです。あ、そういや日本でも室町から戦国にかけての派手で婆沙羅な時代には『金銀』が流行ったのかな。「金閣寺・銀閣寺」。秀吉の「金の茶室」。金木犀が中国から輸入されたのも17世紀、戦国時代が終わろうとする頃?何にせよその頃輸入した人はちょっと気がきかない人で、日本の金木犀・銀木犀は雄木だけなので、花は咲けども実を結ばないのですって。そりゃせつねえよ。それとも「衆道全盛・ホモホモ天国」だった当時の日本にはふさわしかったのかな?

2005年10月13日 (木)

モンキアゲハ

Nec_0091_1モンキアゲハが刀折れ矢尽きた風情で止まっていました。(もっともそうでなければ蝶々を写真に撮ることはできません)。

モンキアゲハの幼虫はミカン科の木の葉っぱを食べるので、彼女もうちのミカン科、レモン、かぼす、柚子、山椒etcに卵を産みつけていることでしょう。おお、来年が怖い。しかしここまで消耗しながらも目的を果たした姿、敵ながらアッパレ。弱っていてもつくづく美しい生き物であります。

山田詠美氏の小説の中で、幼い少女が同じように幼い想い人の少年に、蝶々をプレゼントされるシーンがあります。少年は少女を喜ばせようと、美しく大きな生きた蝶々の羽を毟り取り、鱗粉を撒き散らしながら細かくちぎって、紙ふぶきのように少女にかけるのです(!!!!!)。

これほど美しく残酷で強い表現があるでしょうか?少女は少年の自分への愛を知らされながらも、あまりの美しさに、残酷さに、言葉を失います。そして少年に感謝することも、責めることもできず、その場に突っ伏して嘔吐してしまうのです。―――ああ、こーんなちっこくても男は男で女は女だったんだなあ。少女が少年に求める愛と、少年が捧げる愛はすでにこんなに違う。その現実は残酷だけど、だからこそお互いがいとおしいんだなあ。――

短い簡潔な文章で、こんなにも的確に感動的に描写できる、山田詠美氏という人はすごいなあ。それ以来ずっと好きなのであります。

2005年10月 1日 (土)

貝殻

Nec_0048 今日の夕食に使ったハマグリの貝殻です。

「なぜ突然貝殻?」といぶかしく思われる向きもおありでしょうが、今、アサリ、シジミ、ハマグリなどを食した後の貝殻を、木槌で砕いて地鶏くんご一家(特に奥様方)のお食事に混入させていただいてるのです。もちろん奥様方がお産みになる毎日の卵の殻を(今でもかなり硬いのですが)硬くしてもらおうという魂胆です。おかげさまでどの鶏も食欲旺盛で、卵も初卵のときに比べて大きくなってきています。ときどき一日4個の時もあり、いよいよ来るべき秋冬に向けて、お待ち兼ねの皆様にご提供できるものと存じます。

などと、思いながらつくづくとハマグリの貝殻をながめておりましたのですが、また「古事記」のオオクニヌシノミコトの話を思い出しましてね。オオクニヌシ様はハマグリと赤貝の女神に命を救われているのですよ。

だいたい、オオクニヌシ神話には、そりゃもう徹頭徹尾女の影がつきまとうんですけどね。オオクニヌシ様には80人(すごい数です。ビンラディン以上です。ま、『多くの』ぐらいの意味ですか。)の兄上がいたんですが、この兄たちとともに美人と噂のヤガミヒメに夜這いをかけに行きます。その途中で会うのが有名な「因幡の白兎」。「かーわをむーかれて赤はーだか♪」で泣いているウサギちゃんなんて、もろ女でしょう。兄上たちがだまして塩水に漬けてひどい目にあわせたのに、オオクニヌシ様だけが体を真水で洗って「ガーマの穂綿にくーるまーれとー♪」教えてあげたので、ウサギちゃんオオクニヌシ様にほれ込み「あなただけがヤガミヒメを手に入れるでしょう。」と予言。その通りになって嫉妬しまくった兄上たちが、山から焼けた大岩を「赤イノシシだからしっかり捕まえろ」とか騙して転がし落とし(なんちゅう騙し方をするんじゃ)、オオクニヌシ様を焼き殺します。

それを嘆き悲しんだ母神様が、カミムスヒノ神に訴えて、キサガヒヒメ(赤貝ヒメ)とウムガイヒメ(ハマグリヒメ)を遣わしてもらうのです。キサガイヒメはわが身を削った粉を出し、ウムガイヒメは乳房から汁を出してそれを混ぜ合わせ、オオクニヌシ様の火傷に塗りつけます。するとたちまちオオクニヌシ様はよみがえり、元通りの美丈夫となりました―――。

とな。

ママがでてきて命乞い。遣わされた薬師は二人とも女。もろ肌脱いで我が身を小刀で削る女と、乳房からお乳を出してそれを混ぜ合わせる女、彼女たちが火傷をして裸で横たわる男にそれを塗りつけていく。最初読んだとき、そのあまりにエロティックなイメージでくらくらしましたよ。

この後もオオクニヌシ様はあっちこっちのヒメに妻問いをしまくり、そのたびにトラブルに巻き込まれて、またそのたびに女に助けられておるのですな。(女にもてるからこそのトラブル?もともと男に嫌われる男のタイプ?)例外はスクナヒコナノミコト逸話ぐらいですか。深読みすればあれも賢い少年を寵愛する話ととれなくもない。なーんかやることなすことどうもすけべえの匂いがする神様なんですね。だからこそ、出雲大社が日本一の「縁結びの神様」なんでしょうが・・・・・(恥ずかしながらあたしゃ5度も参拝してます)。

ハマグリはよく食べるんですがね。よくオオクニヌシ様の話を思い出すんですよ。「ハマグリは女性器の象徴」とは、民俗学じゃよく言うことですしね。

ましてや今日から10月、出雲に神様が集まって、それ以外の日本中が「神無月」、ちっとやそっとご無礼なことを考えてもバチは当たらんでしょう。

2005年9月27日 (火)

ネズミモチ

Nec_0038  台所の大黒様にお供えする木でございます。

「古事記」によれば大黒(オオクニヌシノミコト)様とネズミは深い縁があるのです。

オオクニヌシ様がお兄様たちの陰謀によって、草原で四方から火を放たれて、あわや蒸し焼きにされようかという危機に、ネズミが現れて「内はほらほら、外はすぶすぶ。」(ここは原文のままです。『ほらほら、すぶすぶ』って、『古事記』のくせにかわいいぞ)と申しましたそうな。とっさにオオクニヌシ様が足元を踏みつけると、地面に入り口が狭くて中が空洞になっている洞穴が出てまいりました。すぐその中に潜り込み、炎から身を遠ざけることができたのでした。それ以来ネズミはオオクニヌシ様の使いとなったのでございました。

「古事記」の中でもオオクニヌシ様の逸話が一番おもしろうございます。陰謀、智謀、恋愛、―――。恋に真剣で実に熱心に口説かれますが浮気者の子だくさんで、根はまじめなのにトラブルの絶えない、まことに人間くさいお方で―――。ネズミモチの実が強壮・強精の妙薬なのも暗示的でございます。

2005年9月14日 (水)

吉備津の釜

034 秋草の意匠は日本画や工芸品、着物の柄、茶碗の柄、とにかくありとあらゆるところにございますなあ。われわれ日本人の潜在意識に刷り込まれているといっても過言ではありますまい。ススキやメヒシバ、オヒシバ、小菊、萩、などなどの秋の野草が風に揺れる様を、細い線で描いている寂しい意匠ですけどね。だから、葬式関係のグッズには欠かせませんな。

江戸時代からそういう美意識はあったらしくて、幽霊絵のバックの、廃屋とか破れすだれとか破れ蚊帳にあしらって、凄惨な雰囲気を醸し出しております。怖いよー。お盆の暑い真っ盛りより今時分のほうが怖い。夏に栄えた草薮に衰えが目立ち、日の暮れるのが早くなる時期。思いもよらず遅くなってしまった誰そ彼時、廃屋の枯れかけた背の高い薮の向こうに見てはならないものがのそりと立っていそうな気がいたします・・・。

そういう「秋草のむこうの恐ろしさ」を刷り込んでくれたのが、上田秋成の「雨月物語」で、とくにその中の「吉備津の釜」であります。怖かったなあー。話そのものは岡山の吉備津神社の神主の娘の磯良が、遊び人と結婚してしまい、案の定夫は他の女と逃げ、恨みのままに死んだ磯良の亡霊が女と夫を憑り殺すというありがちな筋なのですが。なんかもう雰囲気が、じくじくじくじくしてて。しょっぱな結婚の吉凶を吉備津神社の釜で占うんだけど、「吉ならば釜はをんをんと吠え」「凶ならば釜は黙して鳴らず」で、湯気はもうもう立てどシーンとして鳴らず。その「シーン」とした沈黙がやなのよ。他の女と逃げた夫だったけれど、逃げた先であっという間に女は熱病で死ぬ。嘆いてその女を葬った墓参りをするんだけれど、それが秋草真っ盛りのシーズン。日が傾いて揺れる秋草の中で、他の墓に墓参している下女を見かけ、悪い癖でナンパする。誘われるままその女の家に行き、「病に伏している」女主人と対面。秋草模様の屏風の陰からのそりと現れたのは、なんと捨てた妻磯良!美しい顔の頬はこけ、顔は青白く、髪は乱れ、恨みにゆがむ。あまりの恐ろしさに気を失って、気が付けばそこは野中の秋草茂る廃屋の中。

走り逃げて徳の高いお坊様に泣き付き、なんとか磯良の恨みをやり過ごしたいと策略するのでありますが、最後の最後がまた凄まじかったです。結局憑り殺されたらしいのだけど、その「痕跡」だけが残ってるの。秋の清澄な月明かりの元、男の部屋の入り口に吹き出た血痕、そして竹の垣根に男の髻(つまりちょんまげ)だけが引っかかって、秋風にゆらゆらと揺れている・・・。ひー――――コワー―。

今時分の誰そ彼時、秋草の野は恐ろしいです。とても美しいと思うのに。いや美しいからこそですか・・・。

2005年9月 7日 (水)

ハリケーン

Nec_0182「野分」が「台風」のやまと言葉なら、大西洋岸のそれは「ハリケーン」。

台風14号とハリケーン「カトリーナ」でお亡くなりになった方々のご冥福と、行方不明の方々の一刻も早い救出をお祈りいたします。

たいへんな雨風であったが、我が家は無事。もっとも庭も畑もシッチャカメッチャカなので後始末を考えるとうんざりするが。後始末ができるぐらい無事で何よりであった。

台風で家にこもっている以外しょうがないとき、なぜかいつもスティーブン・キングを読んでしまう。去年の台風では「It」だったが、今年は「the Stand」である。(もちろん日本語訳。原書なぞ読めません)。大嵐の夜に、世界の破滅と救済をこれでもかこれでもかとばかりに俗な文章で綴っていくキングの小説はぴったりだ。

「the Stand」はカリフォルニアの軍事施設から致死率99.4%のインフルエンザウィルスが流出して(もちろん軍事用に開発されたもの)、2週間の間に合衆国全土が壊滅するところから話が始まっている。ここから話が始まるところが、実にキングらしいのだけれど。生き残った0.6%以下の人々が目を覆いたくなるような凄惨な現実から、ほとんど内戦に等しいような東と西の争いを経て、なんとか未来の希望を掴み取ろうとするところまでを、最初はSF、そしてファンタジー、ホラー、ロマンスあらゆる要素を総動員で描いている。なにせ上巻790p、下巻654pという「顔にかぶせて寝たら窒息するぞ」というほどの大冊なので、たとえ24時間嵐に閉じ込められても「もう読み終わってしまったよう。次は次は」と家を探し回らなければならない心配がない。

シニカルなキングは、合衆国の政府も軍隊もまったく信用していない。致死率99.4%というあまりにも危険なおもちゃを作り出しておきながら、その後始末がまったくできないどころかパニックを拡大していく無能を、一流のクールさで表現していく。こういう表現者が20年近くも「ホラーの帝王」として君臨し、ベストセラー作家であるところがアメリカという国の一筋縄でいかないところであると思う。今回の「カトリーナ」についてキングはどう思っているのであろうか?コメントを聞いてみたい。

「せやから京都議定書にサインせえゆうたやろ?ブッシュJr」と世界のあらゆる言語でツッコミがはいっているはずであるが・・・。はたしてキングは? Nec_0183

2005年9月 4日 (日)

野分

Nec_0178 源氏物語の「野分」は台風前後の話である。時の権力者となった光源氏の邸の台風見舞いにうかがった柏木は、折からの強風で巻き上げられた御簾の向こうに、美しい女三宮の姿を見てしまう。女三宮は形式上とはいえ光源氏の妻の一人。絶対に懸想してはいけない相手にもかかわらず、そこがつける薬がない恋の道、とうとう思いを遂げた柏木。案の定その一夜で女三宮は子を身篭り、光源氏の知るところとなる。激怒する光源氏だが、実は光源氏とて若かりし頃、義母に懸想してあまつさえ子を産ませ、その子が今上帝となっているのである。人のことを怒れた義理ではないのであるが・・・。怒りのおさえようもなく、柏木にありとあらゆる精神的プレッシャーをかけて死なせてしまう。残された女三宮は柏木の子を産み、光源氏はその子を我が子として抱く。「あのとき父上はどんなお気持ちだったのだろうか?・・・」と思いながら。

源氏物語はそりゃもう果てしなくエロティックな話である。「うおおっ、すごい!」ありとあらゆる性愛と背徳を描きながら、とてつもなく美しい。

高校時代に古文で習った源氏。あれ何?なんで日本が誇る大河ロマンをあんなずたずたに切り刻んで、しかも一番おもしろくないというかイントロというかそういうところだけピックアップしてるの?その上恋愛のセンスも美意識のかけらもない、「文法命」な古文教師だったもんだから、「これはお経か?」と拷問のようにつまらなかった。「高校生にエロスはいらん。」ということ?光源氏は12歳で年上の女と結婚してるんだよ。

大学時代の友達に薦められて読み返し、「だまされた―――!こげなおもしとか本じゃったかあああ!」と叫んだ。

2005年8月14日 (日)

ひょうたんの魔力3

Nec_0139 明治の文豪志賀直哉の短編に「清兵衛とひょうたん」という作品がある。清兵衛という少年が、ひょうたんを育ててその実を加工することに少年らしい熱心さで取り組み、大人顔負けの加工技術を持つようになるが、父親が彼の情熱をまったく理解せず、チクチク文句を言った挙句ある日清兵衛のひょうたんをすべてぶち壊してしまうという話であった。「明治の昔から、親ってのは子供が夢中になることを胡散臭くおもってたんだんだなあ・・・。」とその頃(今も)マンガばっかり読んでびりびり怒られていたので、親近感を持ったことである。さらに、その中で語られる清兵衛のひょうたんの加工テクがたいへんおもしろく印象的であった。

いわく、

「どぶに沈めて中を腐らせたひょうたんの口を切り、種を出し」「そのひょうたんを掘りごたつの中に入れて表面に汗をかかせ、」「すかさず父親の晩酌の酒の飲み余しで、丁寧にその汗を拭いていく」「それを、1週間以上続ける」というような内容だったと思う。おもしろそうだったので自分もやってみようと、ひょうたんの種を一袋植えた。が、お馬鹿な子供だったので、双葉が種の殻をかぶって出てきたのを助けてやろうとして種の殻を無理やり双葉から毟り取り全部枯らしてしまった。

志賀直哉は「日本文学史上NO.1の美男」といわれる作家である。確かにいいかげん爺になった写真でも、瞳がきらきらした美しい頭蓋骨の形をした顔が写っている。モテたらしい。さもあらん。

2005年8月11日 (木)

ひょうたんの魔力2

Nec_0133 ひょうたんには魔力がある。昔からひょうたんの出てくる話は妙に印象に残る話が多かった。「千夜一夜物語(いわゆるアラビアンナイト)」の中の「船乗りシンドバッドの航海」の中の「海の老人」の話の中にも出てくる。

航海で遭難したシンドバッドは無人島にたどり着き、そこで痩せこけた老人に出会い、「わしをおぶってくれ」と頼まれる。実はその老人は「海の老人」という妖怪で、日本でいう「おんぶおばけ」みたいなものだったのだ。老人はシンドバッドに肩車をさせたまま、一日24時間離れなくなってしまう。こわー。その上「あっちへ行け、こっちへ行け、」と好き放題に指図し、いうことを聞かないと落ちる寸前までシンドバッドの喉を太ももで締め付ける。このときの、シンドバッドの老人に対する肉体的な嫌悪感が妙にリアルでね。犯されてる感じみたいな・・・。結局ふらふらになったシンドバッドは、島にひょうたんと葡萄が成っているのを見つけ、老人の隙をうかがって、ひょうたんの中に葡萄をつぶして詰め込み、葡萄酒を造る。これがなあ、いかにもうまそうなのよ。わたしは酒が飲めないのに、匂いまでしてきそうだった。先に嫌悪感のリアルさがあるから、この鼻や舌の感覚もリアルに感じたんだと思う。案の定妖怪「海の老人」もそのひょうたんの中の酒にひかれて、シンドバッドから無理やり取り上げて、一杯やり始める・・・・・。

「千夜一夜物語」って大人向けの話だよねえ。まことに助平で残酷な話ばかり満載なのに、「子供向け」とやらに改悪して、一番おもしろいところをカットして読ますのはどうかと思うよ。世界的古典を「なんだこんなもんか」と思うのは返って危険だよ。危ないところを読ませたくないなら、最初から読ませるな。「大人だけが楽しめるのよ。早く大人になりなさい。」でしょ?