椿屋敷のお客様

Feed

2005年12月21日 (水)

西高東低の冬型

Nec_0008_9 夕方モモ(紀州犬雑種・女の子・4歳)がすごい勢いで家の中に飛び込んできて、「くうううん、くうううん、キャキャン!」と大騒ぎでした。また遠雷がなっているようです。

天気図で見る限りでは、日本列島に縦に10本ぐらい等圧線が走っているようなモウレツな東の低気圧と、大陸に高気圧が鎮座してました。典型的な西高東低の冬型の天気です。実はうち近辺ではすごい勢いで雪が降っているのですが、残念なことにカメラに写りません。

「鹿児島市のチベット」とはいっても所詮は南国鹿児島のこと、1mも2mも一晩で積もってしまう雪国の苦労は想像もつきません。広島の中国地方の山のてっぺんに嫁に行った妹のところでは、もうかなりな雪が積もっているそうです。というより前回の雪が溶けてないのですと。ひゃあああ。そういうお話、いっそ怖いです。

小泉八雲の「雪女」は美しくも恐ろしく神話的なお話ですが、あのお話の舞台は決して雪国ではなく、関東地方だそうです。だから雪の夜は雪洞を掘って潜り込むのが(雪国のかまくらのように)一番暖かく、雪国の人間だったらそれをよく承知しているのに、「雪女」の炭焼き二人は、一番体温の下がりやすい小屋に泊まってしまったのだと。

知らぬということは恐ろしいことです。

なんにせよ、子供の頃白紫池(九州で唯一天然氷のはる霧島の池)にスケートに連れて行かれ、あまりの寒さにものの十分も滑らぬうちに泣いて帰った経験のある身としては、その後「スキー、スケート、スノーモービル」などという「雪」とか「氷」とかいう単語のつくものには金輪際近寄らぬようにしています。スキーを知らずとも人生オッケー!君子危うきに近寄らず。

2005年12月11日 (日)

大根

Nec_0029_7 冬野菜のキング大根です。

お~い~し~ですよね~♪ななさんじゃないですが「日本人に生まれてよかった」です。

単純におろしてよし、ふろふきによし、おでんによし、薄揚げと深ネギとお味噌汁、おろしダレにしてお鍋に、豚や鶏の揚げたのに付け合せ、蕎麦に、うどんに、たくあんに、バリエーションに果て無し。さらに大根葉も栄養があっておいしい。浅漬けにしてカツオブシと混ぜたり、卵焼きに刻んで入れたり、巣篭り卵にしたり、ベーコンと一緒に炒めたり・・・・・みなさんも、ご自慢の大根料理がおありでしょう。よろしければお教えください。

大根といえば今昔物語で、こんな話がありました。

「一日二本の大根を焼いて食べれば、息災である。」と信じていた人がいて、その通り毎日食べていたそうな。みんな「何をあほなことを」と笑っていたが、ある日その人の家に強盗が入り、あわやという危機に、なにやら白い人二人が駆けつけて、強盗を撃退したそうな。あとでわかったがその二人は大根の精であったと。人々は「何事も信心一筋にすれば、いざというときに助けがはいるものであるよ。」とうわさしあったと・・・・・

・・・・・って「大根のガードマン」って、変。

確かに風邪よけになるし、胃腸の調子も整える栄養満点な野菜だけどさ。昔の人って変なこと考えるよねえ。

2005年11月30日 (水)

椿「西王母」

Nec_0038_2 椿「西王母」(せいおうぼ)が咲きました。

またこれがいい~花なんですよ。ぼってりしてるんですが、淡桃地のぼってりした花弁の外側になんともいえない微妙な紅のボカシが入ってます。色っぽい。Nec_0040_1

あああ、もうちょっと写真が上手だったらなあ・・・。

「西王母」って中国神話の仙女の親玉なんですよね。「西遊記」にもでてきます。3千年に一度だけ実がなって食べるといつまでも若く長生きできるという桃の木を持ってるんです。蟠桃会というそれのお披露目パーティで大暴れしたのが孫悟空。ちょいと年増だけどいかにもそういう桃の管理人らしい色っぽい姐さんが西王母。この椿にもふさわしい名前です。

一重、筒咲き、中輪、9月~4月が花期。葉はやや長楕円の中形。樹形は立性で強し。もともとは幕末に金沢でできた品種らしいです。いかにも古都金沢にふさわしい。金沢には「加賀侘介」という銘花があるのですがその自然実生との説あり。

2005年11月28日 (月)

椿「蔦紅葉」

Nec_0005_4 うわああ~!すみません、間違いました!!お客様の麦の花さんからご指摘がありました。(青い顔)

「お蔦・主税の湯島天神」は泉鏡花の「婦系図」で、下駄を履いて女を蹴飛ばすのは尾崎紅葉の「金色夜叉のお宮・寛一」ですと!主人公のカップルの名前を間違えてましたよ。恥ずかし~~~!みなさんでたらめは速やかに忘れてください。

本当にありがとう麦の花さん。(しかもメールで送ってきてくださるという奥ゆかしさ。感動しました。)これからも、おバカな間違いをしてたら教えてください。他のお客様のみなさまも、どんどこ教えてください。お客様の賢者の一人totto*さんのセリフではありませんが、愚かなる春であっても一歩一歩、日一日と「賢者への道」をみなさまのおかげで歩んでいけますのです。

というところでまたまた「蔦」の名を持つ花、椿「蔦紅葉」(つたもみじ)が咲いています。おもしろい花で桃色の花弁の1枚おきに白い雲状斑が入るのです。確認してみるとほんとにどの花も一枚おきに斑が入っています。「好き、嫌い、好き、嫌い」と花占いをするとおもしろいかも。一重の平開咲、サザンカ芯、中輪、花期は11~3月です。葉は長楕円で中形、樹形は横張り性。立寒と攸県油茶の種間雑種。新潟県原産で1988年発表です。これも、趣があって好きな花ですが、畑の奥に生えていて長い間忘れ去られていました。ごめんね。

ツタの紅葉

Nec_0029_6 ツタが紅葉をはじめました。

「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉、今のわたしにはいっそ死ねと・・・」

「お蔦・主税の湯島天神」、「金色夜叉」の中の一節らしいですが、原典を読んだことはありません。学生服・学帽・マント・高下駄の兄ちゃん主税が、着物のねえさんお蔦を砂浜で蹴飛ばしているシーンだけ知っています。いつも「それドメバじゃないの?」とか、「なんでそんな優男蹴り返さねえんだ?お蔦。着物だからキックできんのか?」とか「いっそ下駄を取り上げてはったおせ!」とか思ってしまう現代っ子なもので、食指が動かないんです。しかしこうまで片鱗が残っているということは、何か感動させるようなところのあるストーリーなのでしょうか?ご存知の方、最後まで読んだことのある方、よろしければお教えください。

なんにせよツタを建物に絡ませるのはよくありません。確実に建物が傷みます。「ツタの絡ま~るチャペールで祈り―をささーげた日~♪」という歌もありますが、たとえ煉瓦造りのチャペルでも絡ませすぎると煉瓦の接合部や煉瓦そのものにツタの根が入り込んで最終的には崩壊してしまいます。なよなよしているようでたいへんしぶとく生命力の強い植物なのです。

「金色夜叉のお蔦」も実はそんな女性なの?騙されたり泣かされたりした被害者は主税のほう?そういうお話明治にはいかにもありさげですけれど。

2005年11月25日 (金)

十二国記シリーズ(イラスト)

Nec_0024_4 絵であれ音楽であれ文章であれ、人の顔、体、建築物、数式、香りetc.etc.・・・・・、「何かを美しいと思うこと」は「運命」です。

それを「美しい」と感じることは誰にも止められないし、また誰かが何かを「美しい」と感じることを止めさせることはできません。おかげさまで「世界は美しいものにみちみちとる!」と感じまくっている毎日ですが、「美しいと感じるものが無い人生」というのはさぞかし空しかろう、と思います。

絵師・山田章博氏(イラストレーターより絵師)の絵は、昔からそらもう大好きで超絶美しいと思うとります。デッサン、構図、タッチ、色使い、なにより雰囲気。ワンパターンに決して陥らない絵描きとしての知性。・・・素敵。

この「十二国記シリーズ」(講談社X文庫・小野不由美著)のイラストは特に出色だと思います。(もっとも山田章博氏の絵に”はずれ”はないんですがね)。NHKでアニメにもなっている、いわずと知れた大ヒット作ですが・・・。この作品のイラストを、もう山田章博氏以外の誰が描けましょうや。主人公の赤い髪の慶王・陽子、陽子の宰輔・黄色い髪の慶騏(「十二国記シリーズでは、架空の異世界に十二の国があって、その国それぞれに『王を選び補佐する麒麟』がいるのであります)の人物デザインもいいですが、なによりこの表紙の二人、延王・尚隆と延麒・六太のデザインが出色。一目見たら惚れますぞ。ああ――自分の写真のド下手さが悔しい!

もちろん小野不由美氏の小説も素晴らしいですが、山田章博氏の絵はその魅力を陪乗してると思いますがねえ・・・。この作品がヒットした後、講談社は絵抜きの講談社文庫版を出してますが(大人向きって事?)、山田章博氏の絵は充分大人の鑑賞に堪える絵だと・・・いや、大人にこそ見て欲しい絵なんですがねえ。

2005年11月14日 (月)

ピラカンサスの実

Nec_0035_1 ピラカンサスの実です。

赤くてぷりぷりして一見おいしそうなのですが、これは毒草です。青酸系の毒を含み食べると激しい嘔吐と呼吸困難をおこします。コワ―――!

巷では毒物が話題になっていますが、怖い毒というものは身近になんぼでも存在しとるわけです。夾竹桃、レンゲツツジ、すずらん、シキミ、彼岸花、福寿草、チョウセンアサガオ、ポインセチアetc・・・・・全部普通にそこらに生えてます。だいたいジャガイモの芽からして毒だっちゅうの。こういう「身近な毒物を使った殺人」をよくテーマにしたのがアガサ・クリスティでしたな。ミス・マープルシリーズ大好きです。いかにもイギリス人らしい優雅でユーモアのある生活の中に、忍び寄る人の心の毒と現実の致死毒。ドキリとするような残酷さも流麗なクリスティの筆にかかるとある種の美しさすら感じさせてくれるのです。やっぱ「杉の柩」ですかね。あとどういうわけか「パディントン発4:05分」が大好きなんですよね。オクスフォードの数学科を主席ででたのに家政婦をやってる若くて美人のスーパー家政婦が大活躍します。どちらも毒物が使われてたな。「マッシュルームはたいへん危ないのよ」というセリフもでてました。あちらじゃ生で皮をむいて食べるのでよく中毒するらしいです。ああ、ここにも毒物。いくら毒物の管理を厳重にしたところで、殺意のある人間からこの世の毒物の全てを隠し通すことはできません。あとは身近な人間が「殺意をもっていない」こと、そして自分も「殺意はない」ことを信じ合うしか手はないのです。その信頼関係こそが社会というものでしょう。

2005年11月12日 (土)

菊花の契り

Nec_0037_2 黄色い菊の花のエントリーで、「菊花の契り」についてコメントしてくれたお客様の「大阪しまねこ」さんは、実は学生時代の同期なのです。

いつも親身になってくれたすごくいい人なのですが、 なんせ鹿児島のど田舎から関西に出てきて自分のことでいっぱいいっぱいだったお馬鹿ちゃんだったので、その恩に全く報いてません。しかも、大阪から鹿児島に帰ってきてばたばたしている間になかなか連絡もしてなかった無精者を、よくぞ見捨てずにいてくれたと思います。その間彼女も激動の人生でかなりハードなことがあったようなのですが、いつの間にか会社を立ち上げパワフルにやっている現在です。古い友人が元気なのはこれほど嬉しいものなのですね。

不思議なもので近所にいた時分は、好きな本とか趣味とかあまり深く話していなかったのに、こうしてお互いがブログでやり取りしていると「へええそうだったのかぁ、あれが好きなの、変なやつぅ(誉め言葉)。」と発見があり、「ネットとはこりゃすごいもんじゃのう。」と改めて思う昨今。そういえば「ネットやれば。」と奨めてくれた一人でした。ほんとうにありがとう。

表題の「菊花の契り」は上田秋成の「雨月物語」の中の1篇で、名目上は「互いの志を知る武士同士の命をかけた友情物語」ということになってますが、そこは上田秋成、なにせ「菊花」ですからねえ。もろホモホモ天国江戸時代を反映したお話になってます。主君の仇を討つために潜伏する男が、道中病に倒れて看病してもらった男と深い友情と兄弟の契りを結びます。「来年の菊の節句にお会いしましょう。」との約束を残して仇討ち男は旅立つのですが、待てど暮らせどやってこない。「今夜はもういらっしゃらないのか・・・」とがっかりしていたら真夜中にかの人がやってきた・・・。大喜びで心づくしの馳走と酒を振舞い友情を暖めあうが、翌朝にかの人の気配がふっと消える。実は約束のその日仇討ち男は拘束されていて、「このままでは約束を破ってしまう。せめて魂だけでも飛んでいきたい」と切腹して果てたのだ・・・と後に人づてに聞き看病男は大泣きしました―――。という話なのですが。いやあ、二人の男の会話がね、ネチコイのですよ。ベタベタしているのですよ。「ああ、いかにもその道の人たちの会話ね・・・。」って感じなんです。大げさで美意識全開。おもしろいんですけどね。

今日は白い菊が咲いていたので、なんとなく「ホモ話好きの友人」しまねこさんを思い出してしまいました。いや、しまねこさんとわたくしの間にはなんの「契り」もありませんよ。双方その方面に関してはいたってノーマル(のはず)。

2005年11月 9日 (水)

まぐわ

Nec_0028_2 「ローテク万歳グッズ・その8」まぐわです。Nec_0027_2

植木屋の父が砂に箒目を立てるときに(竜安寺の石庭のように)使っていたもので、だいぶ年季が入ってサビてます。しかし、めーの干草を集めたり、小屋を掃除したりするには充分なので大活躍中です。

まぐわといえば「西遊記」で猪八戒が武器にしているのが「八本歯のまぐわ」でした。正確には「馬鍬」なので、もっと大きいやつのことなのでしょうが形は一緒ですね。だいたい「西遊記」の中の武器はへんちくりんな物ばかりで、孫悟空が使っていたのは如意棒。あれなんか大昔の洪水のときに水位を測定したモノサシだったという設定。モノサシだのまぐわだのを武器にするか―――?あと一煽ぎで全てを吹き飛ばしたり火炎山の火を吹き消したりする芭蕉扇とか、投げつければどんなものでも縛り付ける帯(名前忘れました。大げさな名前がついてました。たしか観音様の帯だったよな。)とか、思いつくだけでも変な武器大集合。いかにも大陸の話らしい荒唐無稽でばかばかしいまでに大げさな話ばかり。「西遊記」大好きなんです。また読み返したくなってきました。

2005年11月 6日 (日)

百器徒然袋―雨―

Nec_0004_3 11月3日は「晴れの特異日」で、晴天の確率が高く前後に雨が降ることはほとんど無かったはずなのですが・・・。

どうしたことでしょう。clustrさんがそぼ降る雨の中行列の先頭で(すごいです)「おはら祭り」で踊って以降もぐずぐずしたお天気が続いています。なんだか体もだるいし、雨が降ると寝転がって(行儀はなはだ悪し)ミカンを食べながら本を読みます。

まあ、予想通りというかやっぱりというか京極夏彦氏の大ファンであります。「故獲鳥の夏」を初めて読んだとき、いやほんとに頭をガーンと殴られたようなショックでしたね。そして自分が日本語圏の人間であることを神と仏に感謝しました。日本語であってこそ表現できる世界だと思ったし、「翻訳や映像化は不可能でしょう」と思いました。スティーブン・キングの小説の映像化がうまくいかないのと同じで。案に反して「故獲鳥の夏」は映画になってしまいましたが観にいってません。どうかなあーと。原作のイメージってモノがあるでしょう。古本屋にして武蔵晴明神社の神主にして憑き物落としの京極堂役の堤真一、精神衰弱の小説家関口役の永瀬正敏、どちらも嫌いな役者さんではありませんが、どうかなあー。唯一華族出身にして長身美貌で頭脳明晰で破壊的性格な探偵の榎木津役が阿部寛と聞き「うむ!今の世ではこれしかあるまい!最高のキャスティング。」と膝を叩きました。榎木津、もぉー――大好きなのです。「京極堂シリーズ」はもちろん全部持ってますし、全巻最低5回は読み返してますが、いまだに榎木津が出てくるたび「出たぁ―――!」とか思いますもん。また出方がいちいち超ド派手なんですもん。歌舞伎の千両役者もかくやとね。

ですから全編榎木津大活躍の、「京極堂シリーズ」のいわば番外編「百器徒然袋―雨―」(講談社)は一番のお気に入り。京極夏彦の本は「分厚い、漢字が多い、難しそう。」と敬遠される向きがありますが、それは誤解です(いや分厚いし漢字が多いけど)。難しくないのです。実にわかりやすく明解な文章ですらすら読めるし、なおかつお馬鹿なのです。文字通りおもしろくて笑えるのです。特に本書は・・・笑いますぞ―――!「メフィイスト」という雑誌で連載していたとき立ち読みしていたのですが、思わず本屋で大笑いしてしまい、店員と店中の客の視線を集めてしまったという恥ずかしい思い出が・・・。榎木津お馬鹿パワー炸裂!「京極堂シリーズ」を最初から読まなくてもこの本からだったら入れるんじゃないかなあと思います。あ、それとこれも誤解されてますが決してホラーではありません。あくまで探偵小説なのです。