木戸口に栗が落ちておりました。子供のころ「子供会」で、今ごろ栗と萩とススキを集めて束にし、それを部落(鹿児島じゃこの言葉に差別的意味はない)内に配って、「十五夜」行事に使うカンパ金を集めておりましたな。十五夜の夜、子供たちが集まって、小学校のグランドの土俵で相撲を取ったり(カンパは相撲の景品のノートや鉛筆になった)、肝試しをしたり、あの頃は「なんか不思議な行事じゃっどねえー」と子供心に思っておったことですよ。
大人になって「十五夜に相撲」というのは、われわれのご先祖さあが「隼人」と呼ばれていた遠い遠い大昔からの伝統行事であったことを知りました。もちろん時代時代にそって変化してきたらしいですけど。たまげましたね。今どうなってるんでしょうか?
17年前に亡くなった祖父が椿好きであった。よってうちの庭と畑には、200種近い品種物の椿が生えているのである。椿、山茶花類は、秋から春にかけて花をつける。次から次へと色んな形、色、模様の椿が咲いていく様は壮観である。(わたしにはとてもとてもすべての種類を同定することはできんのだが・・・)かなりの貴重な名花も混じっており、銭になる、という種類のものではないが、これはこれでありがたい「遺産」かな?と。「椿屋敷農園」の名前は、これに由来する。家そのものは「屋敷」というほどの代物ではなく、築50年近い普通のボロ屋なのだが、ちょっと気取ってみたわけだ。この実は「卜伴」という美しい抱え咲きの黒椿の実である。
ひょうたんには魔力がある。昔からひょうたんの出てくる話は妙に印象に残る話が多かった。「千夜一夜物語(いわゆるアラビアンナイト)」の中の「船乗りシンドバッドの航海」の中の「海の老人」の話の中にも出てくる。
航海で遭難したシンドバッドは無人島にたどり着き、そこで痩せこけた老人に出会い、「わしをおぶってくれ」と頼まれる。実はその老人は「海の老人」という妖怪で、日本でいう「おんぶおばけ」みたいなものだったのだ。老人はシンドバッドに肩車をさせたまま、一日24時間離れなくなってしまう。こわー。その上「あっちへ行け、こっちへ行け、」と好き放題に指図し、いうことを聞かないと落ちる寸前までシンドバッドの喉を太ももで締め付ける。このときの、シンドバッドの老人に対する肉体的な嫌悪感が妙にリアルでね。犯されてる感じみたいな・・・。結局ふらふらになったシンドバッドは、島にひょうたんと葡萄が成っているのを見つけ、老人の隙をうかがって、ひょうたんの中に葡萄をつぶして詰め込み、葡萄酒を造る。これがなあ、いかにもうまそうなのよ。わたしは酒が飲めないのに、匂いまでしてきそうだった。先に嫌悪感のリアルさがあるから、この鼻や舌の感覚もリアルに感じたんだと思う。案の定妖怪「海の老人」もそのひょうたんの中の酒にひかれて、シンドバッドから無理やり取り上げて、一杯やり始める・・・・・。
「千夜一夜物語」って大人向けの話だよねえ。まことに助平で残酷な話ばかり満載なのに、「子供向け」とやらに改悪して、一番おもしろいところをカットして読ますのはどうかと思うよ。世界的古典を「なんだこんなもんか」と思うのは返って危険だよ。危ないところを読ませたくないなら、最初から読ませるな。「大人だけが楽しめるのよ。早く大人になりなさい。」でしょ?
ひょうたんには魔力がある。お知りあいのルルママさんなど、沖縄から種を取り寄せ、ベランダ栽培してしまうほどとりつかれてしまった。彼女いわく「加工する楽しみがあることと、縁起物だから」まあ、工夫次第でなんにでも加工できるなあ。そして縁起物。まず思い出すのはあれだ。「足を折った雀の怪我を治した老婆が、お礼にもらった宝のひょうたんの種」の話。ばあさんのところにある日手当てした雀がやってきて、ひょうたんの種を落としていく。
その種から生えてきたひょうたんは立派な実を成らせ、喜んだばあさんがそれを酒を入れる容器にしようと口を切ったら、中身が異様に重い。何事かと逆さに振ったら、さらさらと白いお米が尽きることなく出てくる。結局そのばあさんの生きている限り、ひょうたんのお米は尽きず、自然ばあさんの家は長者となった・・・という話。一番古いところで今昔か宇治拾遺物語あたりに載ってなかったっけ?時代が下ってくるとそれに「隣のいじわるばあさんが欲張って大失敗する話」がついてくるんだよね。教訓臭く。嫉妬したとなりのばあさん、わざと雀に石を投げて足を折り、恩着せがましく手当てして、「ひょうたんの種もってこい」と放す。雀のもってきた種を植え、そのひょうたんの口を切ると、なんと中からムカデやゲジゲジやマムシや蜘蛛がわんさかと・・・ってね。ひょうたんから尽きることなく出てくるお米のイメージ好きだなあ。景気がいいやね。でも、尽きることなく出てくる毒虫の数々もおもしろいやな。
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