まったくそこらの山より藪じゃ・・・(とほほほ)。もちろん植えたわけではなく、どこのどなたか存ぜぬ鳥様が、どこぞの山とも知れぬ山のアケビの実を食されて、我が家の畑にお寄りくださった際に、種混じりのウンコをひりだし遊ばされたのである。
茎は「木通」といい、花の時期に採取して干したものを腎臓炎や尿道炎、膀胱炎のむくみに用いるらしい。あと煎じ汁でおできを洗うとよい。それと果実の皮を油で炒めて食べる地方が多く、春先の若葉や若枝をおひたしや、胡麻和えにもする。
ま、難しいことはさておき、さっそく中の果肉を食べてみる。ほんのり甘い。で、調子に乗って黒い種を噛んでしまった。にっっっっっがあああ!ぺぺぺぺぺ。そうだったそうだった、果肉は甘いが種は激苦いんだった。ちゅうてもほとんどが種なんじゃがのう。うがいをしたり、お茶を飲んだりいろいろやってもなかなか苦味は消えなかった。
残りは地鶏くんたちにあげた。
葛やクローバーなんかもそうなんですが、マメ科の植物は根が地中の窒素を蓄えるために、たいそう栄養があります。(『空中窒素固定装置』なみ。「キューティーハニー」かよマメ科)。
よって野生の草でも、家畜や 家禽のいい餌になるので、昔から冬に備えて刈って干して蓄えていたようです。小さい頃斜め前のお宅が牛と馬を飼ってらして、そこのおじいさんが葛やクローバーの茎や葉を大量に刈って馬車(!)で馬小屋に運び込んでました。
それに比べればささやかですが、うちの藪に自生しているヤブマメを(藪払いも兼ねて)除草して、そのまま地鶏くんたちにあげると大喜びです。この小さなえんどう豆みたいな豆を争って食べます。 試しに自分でも食べてみました。枝豆みたいでなかなかいけます。しかしこの大きさでは百粒でも一口に足りますまい。
縄文時代の遺跡で、よく貝塚とか魚、鳥、獣の骨なんかと一緒に、栗、椎の実、橡の実、クルミなんかの殻が発見されるわけですが・・・。栗はゆでればOKですし、、クルミはそのまま食べてもおいしい。しかし椎、橡はねえ。かなりアク抜きがたいへんなようです。「殻を割って、粉に挽いて、水に何日もさらして・・・」それを、ろくな道具も無しにやるわけですからねえ。トンカチや石臼やタライやバケツのようなローテクグッズすら無い時代。打製石器、磨製石器、よくて素焼きの重たい縄文土器か。考えるだに大昔のまかないはたいへんだなあ。もっとも今と違って日本列島の人口は少なく、照葉樹林の原生林に覆われていたわけだから、原材料の入手は簡単ですか。どんぐり採集にいそしんでいたら、同じくどんぐりで冬に向けての脂肪蓄積に励んでいたイノシシどんかツキノワグマどんと鉢合わせとかしてそうですが。
インドの主婦が様々なスパイスを、平石の上にこぶし大の石をすり合わせるやり方ですり潰すのを見ますが、たいへんそうです。あれに比べればすり鉢ですら知恵と技術の集積ですね。すり鉢を焼成する温度は素焼きの温度とは比べ物にならないし。だいたいあんな丸い形に成形するにはロクロがいるでしょう。中の溝を切るのもたいへんそう。うわああ、そう考えると、現代の生活ってほんっとありとあらゆる技術の集積で成り立っているんだなあ。ありがたいよなあ。
よく「どんぐり笛」を作りましたが、あれはどんぐりの尻のほうの皮を根気よく石にすりつけて磨耗させないとできないんですよね。そのあと中の身をほじくり出して唇に当てて「ホー」とも「ピー」ともつかない音をたてる。この皮がなかなか固いんですわ。1時間も2時間もかかって途中で飽きて放り出したりしました〈あたしってやつは昔っからもー)。
おかげで、思わず「テクノロジーの歴史」などという柄にも合わないことに想いをはせてしまいました。
「古事記」によれば大黒(オオクニヌシノミコト)様とネズミは深い縁があるのです。
オオクニヌシ様がお兄様たちの陰謀によって、草原で四方から火を放たれて、あわや蒸し焼きにされようかという危機に、ネズミが現れて「内はほらほら、外はすぶすぶ。」(ここは原文のままです。『ほらほら、すぶすぶ』って、『古事記』のくせにかわいいぞ)と申しましたそうな。とっさにオオクニヌシ様が足元を踏みつけると、地面に入り口が狭くて中が空洞になっている洞穴が出てまいりました。すぐその中に潜り込み、炎から身を遠ざけることができたのでした。それ以来ネズミはオオクニヌシ様の使いとなったのでございました。
「古事記」の中でもオオクニヌシ様の逸話が一番おもしろうございます。陰謀、智謀、恋愛、―――。恋に真剣で実に熱心に口説かれますが浮気者の子だくさんで、根はまじめなのにトラブルの絶えない、まことに人間くさいお方で―――。ネズミモチの実が強壮・強精の妙薬なのも暗示的でございます。
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