小学校のとき「滑車を使った工作」という夏休み工作の課題が出ました。
作ったのは「お菊井戸」。「番町皿屋敷」であります。小学生が工作に選ぶテーマかよ?
うちに井戸があったしなァ。しかも釣瓶があったんです。夏は畑のスイカを釣瓶のバケツに入れて、20mぐらい下の井戸水面に下ろして冷やしたりしたもんです。身近でした。
でもはるか下の水面は子供心に怖かった。「落ちたらやだなあ」とマジで思いました。その頃小学校の図書館で読んだ「番町皿屋敷」に強烈な印象を受けたんだな。
・・・・・・・・夜な夜な、井戸の底から這い上がってきて、「いちまーーーい、にまーーーーい、・・・・・・・・」と足りない皿の数を数える女。怖かったなあ。夜になるとうちの井戸からも声が聞こえるんじゃないかと思った。夜には井戸小屋のそばに近寄れなかった。まあ、それでなくても父方の実家は築150年以上のお化け屋敷だったんだけどね。
今すんでるここは、母方の家。井戸は無いけれど、今となっては自分ちの井戸が欲しいなあ。お金ができたら井戸を掘ろうかなあ。
母は民謡(踊り)の師範で、祖母(母の実母)の介護をするまでは自宅で教室をやっていました。
発表会前など一日中「南部俵積み唄」だの「刈干し切り唄」だの「ハンヤ節」だの「少年田原坂」だの繰り返し繰り返し鳴り続け、覚えるつもりは無かったのにいまだに歌えます。
当時はまだ高度成長期で、踊りの世界も家元と金と芸能プロダクションが絡み、こんな鹿児島のド田舎でも、公共工事で作られた「市民会館」や「町民センター」で金に任せて歌手を呼んで催されたいろんな流派の発表会がありました。母はそこそこ人気のあるお師匠さんで、かなりのお月謝を稼いでいたはずですが、出て行くお金もかなりのものだったと思います。何につけてもあの頃はそういう時代だったのです。
時は流れて祖母が亡くなり、父と母は日置市の父方の家に帰りました。そして一度は止めていた踊りをまた始めたのです。
もう家元にも昔の威光は無く、結社にも大掛かりな催し物をする力は無いのです。それでそういうルートでのお話ではなく、なんというんですか「老人クラブの昼食会」とか「敬老会」とか「町内会の親睦会」とか、そういうご町内・村落レベルの地域共同体の素朴な催し物への参加のお呼びがかかるらしいのです。すでにそれでかなり牧歌的なお話なのですが、報酬がね・・・・・・・・。その土地の田んぼでとれたお米や餅米なのですよ。日置の実家の冷蔵庫や食料庫はもらったお米や餅米でいっぱいなのです。
「い、・・・・いい話やなァ。」
ちょっと感動しましたです。
「芸能の報酬にお米をもらう。」芸能の原点であり、実に日本的な慣習の復活だと思いませんか?祭りや神事に近い匂いがします。こういう話を聞くと「日本の田舎はまだ大丈夫だ」と思います。やはり土地に根付いて生活するということは、これほどまでに強いのです。
うちにもお米のおすそ分けが来ます。なんというありがたいことでしょう。
今をさることン10年前、関西の大学でできた大阪人の友人が、節分に女子寮の一室でいきなり巻きずし一本取り出して、黙々とかじりつきだしたときにゃ~~「いったい何事が始まったんじゃ?~~」とたまげたものでした。
それから月日が流れ今や「節分のまるかぶりずし」は超メジャーな日本の行事になってしまいましただよ。
いいことだ。所詮わしらは米食で世界屈指の海産物好きの民族、「節分に巻きずしを食う。」美しいではないですか!筋が通っているではないですか!!
少なくともクリスマスやハロウィーンやヴァレンタインデーよりは、この国の気候風土文化に無理なくマッチする年中行事でありましょう。(いやもちろんブッシュ・ド・ノエルもパンプキン・パイもガトー・ショコラも大好きなんだけどさ)巻きずしおいしいな。今年はいただいた巻きずしでしたが、キュウリも卵焼きもかんぴょうもシイタケも鯛デンブも、ちょびっとだけどアナゴまで入ったおいしい巻きずしでした。
これで今年も健康絶好調じゃ!!
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