うちはシラス台地のうえにあるのですが、10mも降りれば水が湧き出て田んぼがあります。そして今まさしくどこの田んぼも稲刈り三昧!!
どこのうちも親戚一同駆り集めて、稲を刈りいの、集めて束にしいの(まあ、ここまでは機械がやるにしろ)、その稲束を集めて馬にひっかけて干しいの、大仕事です。
このご時勢なのでいくら子供の代でサラリーマンでも、親の田んぼの手伝いに行かないと米をもらえないらしいです。まあ、当然ですか。米はこれから高くなるだろうしなァ。
うちの父方の日置の実家の近くにも、うちの田んぼ(荒れ放題)があるんだよな。母方の祖父の残したヒノキ山の中にも、棚田のあとがあるんだよな。ああ、なんとかしたいよう!!もったいないよう!
殺人的に暑い夏の日中なんて、立っても座ってても寝てても暑い。外出なんてもってのほか。冷たいフロアに敷いたさらに冷たい竹ゴザの上で、ぐうたら昼寝でもしたほうがマシ。すだれ越しの風が気持ちいい。
そう思うのは人間のわたくしだけではなく、モモ(紀州犬雑種・7歳・♀)もドリアン(アメリカンショートヘアーのハーフ・14歳・♂)もメロン(白黒猫・半年?・♂)も心はひとつらしく、そこらでみんなしてお昼寝。
あんたたちもみんな暑いんだなあ。
スペインでは午睡(シェスタ)という文化があって、夏の昼下がりは何はさておきお昼寝。老いも若きも男も女も何はともあれお昼寝。そして情事。らしい。なんと合理的ですばらしい文化だ!膝を叩きましたです。
でも日本じゃ導入されるとしても「サマータイム」だもんなあ。あくまで働くためのお上が作る制度。なんでだよお。みんなそんなに働きたいの?シェスタいいじゃん。シェスタ。都会では無理でも少し田舎なら、夏の昼下がりはクーラー切って窓全開で風を入れてシェスタ。
さすがに朝晩は涼しくなってきました。永遠に続くかと思われたあの暑さにも、どうやら終わりがくるらしいです。
とはいっても日中最高気温はまだ33℃だったりするんですけどね。
父方の曽祖父のニシロウおじさんは、スイカが好きで好きで大好きで、家業(網屋)もそこそこにスイカ作りに精出して、挙句の果てにはスイカの食べすぎで亡くなったそうです。疫痢だったとか。
なにせ4人奥さんがいた人なので、そこら中に、いったいどういうつながりなのかわからない親戚のばあさんやじいさんがワンサカいて「ニシロウおじさんは腐ったスイカぎい食べやってケ死んみゃった」などと子供のわたくしに教えてくれたものでした。子供に何を言うとかまったく。
自分が産まれる30年も前の曽祖父の死因など、聞いたそのときからおとぎ噺。続柄不明のばあさん、じいさんも今となってはほとんどが鬼籍に入りました。本当にあった話なのか、本当にあの人たちが語ったのか、おそらく法事の席であったろうあの場は本当にあったことなのか。すべてはわたくしの記憶の中だけのものとなりつつあります。でもこうしてブログに書いたりなんかしてるわけでして。
伝説ってのはこうやって作られるものなのね。たとえそれが大マヌケなスイカ食いのご先祖サアのお話であっても。
血筋なのでしょうか、わたくしも「この世で一番好きな食べ物」にスイカを上げるほどスイカ好きなんであります。たぶん、うちの血筋には夏場に膀胱と腎臓の機能が落ち気味になる遺伝子があるんじゃないでしょうか。よく夏場に「身が絞ったり」します。スイカは知る人ぞ知る膀胱と腎臓の妙薬、あの啜っても啜ってもつきない果汁を本能的に体が求めるのでしょう。
今年も盆が過ぎ、スイカも終わりが近いです。でもある限りは食べるぞ、スイカ。命までかける気は無いけどね。
どういうわけか今年は婦人会の班長(苦笑)なので、裏方接待をせねばなりませんでした。何のことは無い焼酎の酌です。
鹿児島の祭にはなんといっても焼酎。ポットに6杯分ぐらいのお湯で割った焼酎をヤカンに大量に作って待ち構えてましたが、次から次へとショチュ飲みに来る人が絶えず、あっという間に無くなります。
あらためてみると、ホント鹿児島県人ショチュ飲ンゴロが多いわ。
うちの近辺は山の中なのに、「どっからこんな人が湧いて出た?」というぐらい盛況な人手です。いまやワザワザよそのお祭に出かけてガソリン代使って消耗するより、近場のお祭ってことか?
それとも・・・・・・・・こういうお祭ではよく言うよな。「生きてる人間の中にこの世のものでないものが混じっている。」と。確かに魑魅魍魎が混じっていたとて不思議ではない雰囲気ではありました。
裏山の竹林の中、がけ崩れで途絶えてしまった道の途中に廃屋があるという話でした。「なんか気味悪いなあ。藪の中にさ」などと思ってたんですよ。ほき(鹿児島弁でシラス台地にできる谷の事)の底に通じていて、暗いし。
その廃屋、なんとうちの母方のご先祖さまが住んでた家らしい!!
あらまあ!衝撃の事実。
そう聞くと気味悪さがだいぶマシになるから不思議。
昔の屋敷は水の確保が一番の問題だったので、谷の底に近いほうが一等地だったのですと。ほんでそのご先祖の家は水は豊かに出るわ、その割にはからりと乾いているわ、田んぼには近いは、昔の郷士の家としてはとてもいいポジションだったそうな。だから母方の家は戦前までは結構いい暮らしをしていたらしい。そこらの土地は全部母方の親戚の土地で固められてるもんな。
ただ戦後の農地改革でぜんぶとられちゃって、見る影もなくなっちゃったんですと。ふーーーーん。栄耀栄華も一夜の夢の如くなり、ってか。儚いもんだなあ。
なにはともあれ、以前ほどこの場所が疎ましくなくなったのは事実。人間の感覚って現金だよ。
年初めに埋めたヤギの墓が何者かに暴かれました。たぶん狸かなにかの仕業かと思われます。まあ彼らが楽しく骨をしゃぶれたんだったら、良しか。
それにしてもびっくり。まだ半年も経っていないのに、かなり白骨化しています。やはり昔ながらの「土に埋める」という埋葬法は、かなり合理的なのでしょう。
なんというか、死体ってまだ腐乱の途中だと気持ち悪く恐ろしく感じますが、白骨化してしまうとカラッとした感じで怖くないよなあ。これわたくしだけの感じ方かなあ?どうだろ?
まだ幼い頃、父方の墓から歴代のご先祖さあの骨を堀上げて、納骨堂に収めるという家族行事がありました。骨はだいぶ黄色くなってたりしましたが、怖くなかった。
生き物が死んだら、ちゃんと他の動物や虫や細菌に食べさせてやる。それとても正しいことじゃないかなあ?現代日本は防疫の観点から火葬に移行しちゃったんだけど。なにかとても大事なものをその途中で落っことしてるような気がするよ。
京都の鳥辺野は、土に埋めるどころか死体を放置して犬や鳥に喰わせたといういわくつきの場所ですが(日本にも鳥葬の習慣があったという事例にでますね)、あれぐらいの都の規模だったら合理的だったんだろうなあ。累々の腐乱死体や白骨ってのは壮絶な風景だろうけれど。
さて、「宗教にも信仰にもまったく興味なんかない」などと嘯いていたはずなのですが、気がついてみれば朝一番に仏壇にお茶とご飯をお供えし、「南無阿弥陀仏」と唱え(うちは浄土真宗西本願寺派)、週に一度はお墓の花を替えております。
これって客観的に見れば、かなり仏教徒ですよね~~(もちろん日本の大乗仏教ってことで)。
かといって教義を知っているわけでもなく、お経の一本も読めるわけでもなく、ただただ親の真似をしているだけで、御仏の心を理解しておるわけではありません。
つくづく、江戸幕府はうまいこと仏教をコントロールしました。なんの宗教的な熱狂もなく、日本の庶民は(あたしのことだ)土着的なアミニズムと入り混じった風習として仏教を飲み込んでしまいました。仏飯も仏花も歯磨きと同じ、習慣なのです。めんどくさいけれどやらないと落ち着かない。
春の彼岸がやってきます。今母方の墓を管理していますが、彼岸と盆には加えて父方の墓にも供花します。そうでないと落ち着かないのです。まあ、いいことだと思うんですけどね。
最近のコメント