椿屋敷のお客様

気候 Feed

2005年12月 5日 (月)

初雪

Nec_0004_4 うわあああ!もう初雪ですか!!

Nec_0003_5 「鹿児島市のチベット」ですので、たとえ下界に雪のかけらもなくてもうち近辺にだけ積雪があったりします。うちの木戸の前の坂だけが凍結していて、車を出すのに四苦八苦したというのに、100mもいけば普通にただ濡れているだけの道路になったりして、「ありゃりゃりゃりゃ・・・・・。」

夏は涼しくていいんですけどね――。「夏涼しければ、冬寒い。」まあ、順当なことでしょう。

2005年12月 2日 (金)

モモ、雷様におびえる・3

Nec_0044_1 薩摩地方は今日一日冷たい雨が降り続きました。

人間の耳には聞こえませんが、どうもどこぞで遠雷がなっているらしいです。というのも、モモ(紀州犬雑種・女の子・4歳)がたびたびおびえて家の中へ中へ駆け込んでくるからです。晴れの日に足音もかろく駆け抜けてめーさん(ザーネン種ヤギ・女の子・9ヶ月)を追う雄姿が嘘のようです。

モモは高いほうも低いほうも人間の耳よりはるかに広い領域の音を聞き取ることができる耳をもっているはずです。その耳をもってしてうちの番犬兼地鶏ご一家の守番の役目も果たしてくれているのですが、時にその優れた耳が仇となります。雷だめ、花火だめ(打ち上げ花火だけでなく、それこそ線香花火でも嫌みたいです)、掃除機だめ、草刈機だめ・・・何かが「良すぎる」ことは反面どこかでリスクを背負うことなのですね。雷がなるたびに恐れおののくモモを見て、今ひとつ危機感をもてない我が身を省み「野生動物だったらこの鈍感さでは生きていけんだろうけどなぁ。人間社会じゃこれぐらい鈍じゃないと神経衰弱になっちまわぁ。」などと開き直るのでありました。

2005年11月25日 (金)

はるかなり富士の峰

Nec_0023_1 「日本人なら富士山を極めなくちゃ!!」という友人N嬢と一合目から富士山に登ったことがあります。

当時まだあった富士山頂のレーダー測候所に行きたかったので、「よっしゃ、わかった!」とN嬢と「天文気象山岳同好会」を結成。軽登山靴とデイバッグとヘッドランプを購入。8月のお盆休みを、登山決行日に、その年の3月から8月始めまでの毎週末、「自主トレ」と称し関西の1000mまでの山を登りまくりました。もちろん「歯をくいしばってがんばるぞ」ではなく関西の山の上には必ずある寺社仏閣詣でと観光を兼ねたお気楽ハイキングです。

んで、決行日の前日に御殿場の気象台に「天文気象山岳同好会ですが・・・」とレーダー測候所の見学を申し込みました。測候所には電話がなく、無線で連絡してくださるということでした。富士吉田市の宿から朝一番にN嬢とてくてく歩きで出発し、今は皆5合目まで車で行くので荒れ果てた1合目から4合目まであまり変わらない山道をとことこ登り、5合目の宿で一泊。日の出前に出発して、満月を堪能し、7合目でご来迎。8合目は良かったが9合目で高山病の症状が出てきて酸素ボンベをシューシュー吸いながら、午前十時の予定が午後二時に測候所にたどり着きました。

測候所の職員さんは常時五名で、3ヵ月ごとの交代。他に何もない富士山頂のこと、みなさん退屈してらっしゃったらしく、上をも下をも置かぬ大歓迎をしてくださいました。1ヶ月に一回キャタピラで上げてくるという貴重な食料庫のスイカや水羊羹まで出してくださり、レーダー観測機器や居住区はもちろん、基地のあらゆるところを見学させてくださいました。本当にその節はありがとうございました。特に「日本で一番高い所」剣が峰の肉眼観測場に登らせていただいたときの景色といったらもう・・・。あれは一生忘れられません。(実は高所恐怖症)

「今日は帰らないで測候所に泊まっていきなさいよ―――。」と熱心に引きとめてくださるのを丁重にお断りして、実り多かった富士山頂を後にしました。これには後日談があり、その年の今頃でしたか、富士山頂に単独登山した人がいたらしく、やはりレーダー測候所に寄ったそうです。で、職員の方たちの大歓迎を受けて下山されたそうですが、おりしも降り出した雪の中行方不明になってしまったそうです。そのニュースをN嬢と「わかるわ―。職員さんたちすごく熱心に引きとめたんでしょうね。いっそ、一泊したら大丈夫だったでしょうにね――」と話したものでした。

何年か前、富士山頂の測候所は閉鎖され、N嬢は旦那さんの仕事の都合でイスラエルに行ったまま、行き違いで連絡が取れなくなっています。もしこれを見ることがあったら連絡してくだされ。

2005年11月24日 (木)

椿「吾妻絞」

Nec_0022_1 椿「吾妻絞(あずましぼり)」が咲きました。

我が家近辺では昨日の朝など放射冷却で霜が降りていました。オンボロの軽のエンジンがかかりにくくなり往生しました。季節は確実に冬になっていきます。でも冬来たりなば春遠からじ!大好きな春がくるまでやることはどっちゃりあるのだ!

庭、畑のどこに、どんな椿・山茶花が咲き出すかわからないので、毎日の見回りは油断なりません。花が咲かないうちは椿の木を椿と認識してなかったりします。築山のグランサミアナの奥にも高さ3m以上の椿か山茶花の木が5,6本生えていますが、夏はどれも一緒の木に見えます。それが時期になるとああ――ら不思議。それぞれが色も形もちがう花をつけて個性を主張しだすのです。「吾妻絞」もその中の一本です。「絞」の名にふさわしく、白地または淡桃地に呉服生地の絞にそっくりな絞り模様が入っています。一重、ラッパ咲き、筒しべで中輪。花期は11―4月。葉は長楕円で大型。樹形は立性で強いです。なにせ花の枝に届かないぐらい高くなっています。古い尾張の花で来歴はわからないのですと。この花も好きだなあ。飽きがきません。

2005年11月 6日 (日)

百器徒然袋―雨―

Nec_0004_3 11月3日は「晴れの特異日」で、晴天の確率が高く前後に雨が降ることはほとんど無かったはずなのですが・・・。

どうしたことでしょう。clustrさんがそぼ降る雨の中行列の先頭で(すごいです)「おはら祭り」で踊って以降もぐずぐずしたお天気が続いています。なんだか体もだるいし、雨が降ると寝転がって(行儀はなはだ悪し)ミカンを食べながら本を読みます。

まあ、予想通りというかやっぱりというか京極夏彦氏の大ファンであります。「故獲鳥の夏」を初めて読んだとき、いやほんとに頭をガーンと殴られたようなショックでしたね。そして自分が日本語圏の人間であることを神と仏に感謝しました。日本語であってこそ表現できる世界だと思ったし、「翻訳や映像化は不可能でしょう」と思いました。スティーブン・キングの小説の映像化がうまくいかないのと同じで。案に反して「故獲鳥の夏」は映画になってしまいましたが観にいってません。どうかなあーと。原作のイメージってモノがあるでしょう。古本屋にして武蔵晴明神社の神主にして憑き物落としの京極堂役の堤真一、精神衰弱の小説家関口役の永瀬正敏、どちらも嫌いな役者さんではありませんが、どうかなあー。唯一華族出身にして長身美貌で頭脳明晰で破壊的性格な探偵の榎木津役が阿部寛と聞き「うむ!今の世ではこれしかあるまい!最高のキャスティング。」と膝を叩きました。榎木津、もぉー――大好きなのです。「京極堂シリーズ」はもちろん全部持ってますし、全巻最低5回は読み返してますが、いまだに榎木津が出てくるたび「出たぁ―――!」とか思いますもん。また出方がいちいち超ド派手なんですもん。歌舞伎の千両役者もかくやとね。

ですから全編榎木津大活躍の、「京極堂シリーズ」のいわば番外編「百器徒然袋―雨―」(講談社)は一番のお気に入り。京極夏彦の本は「分厚い、漢字が多い、難しそう。」と敬遠される向きがありますが、それは誤解です(いや分厚いし漢字が多いけど)。難しくないのです。実にわかりやすく明解な文章ですらすら読めるし、なおかつお馬鹿なのです。文字通りおもしろくて笑えるのです。特に本書は・・・笑いますぞ―――!「メフィイスト」という雑誌で連載していたとき立ち読みしていたのですが、思わず本屋で大笑いしてしまい、店員と店中の客の視線を集めてしまったという恥ずかしい思い出が・・・。榎木津お馬鹿パワー炸裂!「京極堂シリーズ」を最初から読まなくてもこの本からだったら入れるんじゃないかなあと思います。あ、それとこれも誤解されてますが決してホラーではありません。あくまで探偵小説なのです。

2005年9月11日 (日)

後始末

Nec_0186 ・・・・・・後始末しなくちゃ・・・台風の後始末・・・・・マンガに逃避しとる場合じゃないんだけど・・・・もうすぐ秋の彼岸で、植えるもんがいっぱいあるんだけど・・・・・畑倒れまくりだし・・・・(ボソボソ)

「まだ、後始末しとらんのかよ?」そうなんす。いや、今日こそは気合をいるっぞよ。合間に選挙いくけど。

2005年9月 7日 (水)

ハリケーン

Nec_0182「野分」が「台風」のやまと言葉なら、大西洋岸のそれは「ハリケーン」。

台風14号とハリケーン「カトリーナ」でお亡くなりになった方々のご冥福と、行方不明の方々の一刻も早い救出をお祈りいたします。

たいへんな雨風であったが、我が家は無事。もっとも庭も畑もシッチャカメッチャカなので後始末を考えるとうんざりするが。後始末ができるぐらい無事で何よりであった。

台風で家にこもっている以外しょうがないとき、なぜかいつもスティーブン・キングを読んでしまう。去年の台風では「It」だったが、今年は「the Stand」である。(もちろん日本語訳。原書なぞ読めません)。大嵐の夜に、世界の破滅と救済をこれでもかこれでもかとばかりに俗な文章で綴っていくキングの小説はぴったりだ。

「the Stand」はカリフォルニアの軍事施設から致死率99.4%のインフルエンザウィルスが流出して(もちろん軍事用に開発されたもの)、2週間の間に合衆国全土が壊滅するところから話が始まっている。ここから話が始まるところが、実にキングらしいのだけれど。生き残った0.6%以下の人々が目を覆いたくなるような凄惨な現実から、ほとんど内戦に等しいような東と西の争いを経て、なんとか未来の希望を掴み取ろうとするところまでを、最初はSF、そしてファンタジー、ホラー、ロマンスあらゆる要素を総動員で描いている。なにせ上巻790p、下巻654pという「顔にかぶせて寝たら窒息するぞ」というほどの大冊なので、たとえ24時間嵐に閉じ込められても「もう読み終わってしまったよう。次は次は」と家を探し回らなければならない心配がない。

シニカルなキングは、合衆国の政府も軍隊もまったく信用していない。致死率99.4%というあまりにも危険なおもちゃを作り出しておきながら、その後始末がまったくできないどころかパニックを拡大していく無能を、一流のクールさで表現していく。こういう表現者が20年近くも「ホラーの帝王」として君臨し、ベストセラー作家であるところがアメリカという国の一筋縄でいかないところであると思う。今回の「カトリーナ」についてキングはどう思っているのであろうか?コメントを聞いてみたい。

「せやから京都議定書にサインせえゆうたやろ?ブッシュJr」と世界のあらゆる言語でツッコミがはいっているはずであるが・・・。はたしてキングは? Nec_0183

2005年9月 4日 (日)

野分

Nec_0178 源氏物語の「野分」は台風前後の話である。時の権力者となった光源氏の邸の台風見舞いにうかがった柏木は、折からの強風で巻き上げられた御簾の向こうに、美しい女三宮の姿を見てしまう。女三宮は形式上とはいえ光源氏の妻の一人。絶対に懸想してはいけない相手にもかかわらず、そこがつける薬がない恋の道、とうとう思いを遂げた柏木。案の定その一夜で女三宮は子を身篭り、光源氏の知るところとなる。激怒する光源氏だが、実は光源氏とて若かりし頃、義母に懸想してあまつさえ子を産ませ、その子が今上帝となっているのである。人のことを怒れた義理ではないのであるが・・・。怒りのおさえようもなく、柏木にありとあらゆる精神的プレッシャーをかけて死なせてしまう。残された女三宮は柏木の子を産み、光源氏はその子を我が子として抱く。「あのとき父上はどんなお気持ちだったのだろうか?・・・」と思いながら。

源氏物語はそりゃもう果てしなくエロティックな話である。「うおおっ、すごい!」ありとあらゆる性愛と背徳を描きながら、とてつもなく美しい。

高校時代に古文で習った源氏。あれ何?なんで日本が誇る大河ロマンをあんなずたずたに切り刻んで、しかも一番おもしろくないというかイントロというかそういうところだけピックアップしてるの?その上恋愛のセンスも美意識のかけらもない、「文法命」な古文教師だったもんだから、「これはお経か?」と拷問のようにつまらなかった。「高校生にエロスはいらん。」ということ?光源氏は12歳で年上の女と結婚してるんだよ。

大学時代の友達に薦められて読み返し、「だまされた―――!こげなおもしとか本じゃったかあああ!」と叫んだ。

2005年8月20日 (土)

恵みの雨

Nec_0151 久しぶりにまとまった雨が降ってくれたですな。ありがたやありがたや。今朝は庭や畑の緑も生き返ったように濃くなっております。乾くのはいかんよ。人も緑も。