母方の祖父は、呆っけもんで変わり者で多趣味であった。趣味の一つが刀剣収集で、これは残されたうちの一本である。(ちゃんと美術品として許可をもらっているので銃刀法違反ではない)
といってもここにあるのは鞘だけで、刀身は別のところに保管している。なんといっても日本刀は錆びやすいのである。
祖父は気が付けばいつも、口に懐紙をくわえてポンポンで刀身に砥粉を振って手入れをしていた。美術品としての刀でもときには砥ぎにださないと、刃が曇って価値がなくなるらしかった。
時代考証に詳しい方ならご存知だろうが、刀で生身の人間の体を斬ったら、5人も斬れば刀身に血と油がまわり、皮も斬れなくなるらしい。あと、骨にあったったら刀身が曲がったりとか。時代劇で「正義の味方が次から次へと何十人も悪党を斬り捨てる」あれはまったくの嘘っぱちなのだ。それほど「人を殺傷する」ということはたいへんなことであり、「殺傷するための道具」を「いつでも殺傷できるように手入れしておく」ことには、莫大なコストと手間がかかるのだ。
古今東西を問わず「魔を払う神通力を持つ剣」のファンタジーがある。冗談じゃない。剣が魔を払うのじゃない。「殺傷できる能力を持つ剣」を鍛え上げるにも「その剣の能力をメンテナンスし続ける」にも、恐ろしいまでの集中力と精神力がいる。そういう精神には魔を寄せ付けるスキがない。それだけのことである。もっとも、そういう集中ができる偏執的な精神は別の意味で恐ろしいとも思うが。
ま、武器を「持つ」のは簡単だけど「持ち続ける」のはとんでもなくたいへんだよ――!ということ。維持できないんだったら最初から持たないほうがそりゃもう安全である。武器の大小を問わず。
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