椿屋敷のお客様

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2005年12月19日 (月)

手鋸

Nec_0002_6「ローテク万歳グッズ・その11」手鋸です。

剪定バサミと並ぶ植木屋の必需品です。刃渡り20cmぐらいの小型の鋸ですが、かなり大きな木も切り倒せるし、枝も落とせます。竹垣を組んだりする細かい細工もOK。折畳式なので携帯にもすごく便利。植木屋さんはこれと剪定バサミケースをベルトに通していつも腰につけてます。山仕事で藪を払うときにも必需品。

Nec_0003_6 今歳末の庭手入れ中なので、たいへんお世話になっています。

鋸はやすりでうまいこと研ぐと、かなり長いことよく切れます。同じ角度で同じ力で同じ方向に軽くリズミカルに研ぐ。そのほうがしんねりむっつりしつこく研ぐよりはるかによく切れる鋸になるのです。う~~~む、なんだか考えさせられる話だぞ。

いよいよだめになったら、なんと替刃もあるのです。徹底的に便利。

2005年12月 7日 (水)

冬の足元ファッション

Nec_0018_1 といっても、真夏以外はこれを履いているような気がするのですが(笑)。

ローテク万歳グッズその10・長靴です。「鹿児島市のチベット」はたとえ下界にかけらの雪もなくても雪は積もるし、氷も張るし、霜も降りるので、これは必需品です。まだその恐ろしさを舐めていたある冬、どうしても市内に下りなければならないのに、うちの木戸口だけ15cmほど雪が積もってしまい、道路まで50mほどを雪かきしたことがありました。「まあいいや」と普通のスニーカーでやったら、南国のボタン雪のこと、もちろんぞっぷり濡れました。「うわぁ――足冷たぁ。」「でもいいや、車のヒーターで乾かせば。」甘かったです。もう車を運転してるうちにゾクゾクしてきて、「生涯これほどひどい風邪をひいたことはない。」というひどい風邪をひき1週間ほど寝込みました。自然を舐めてはイカンです。特におなごは足を冷やしてはイカンです。カッコもなにもありません。それ以来の愛用品であります。足が大きいので(24.5cm)、メンズの農作業用をニシムタで購入しました。鶏やヤギのウンコ掃除や畑作業の必需品。

2005年11月24日 (木)

剪定バサミ

Nec_0019_1 「ローテク万歳グッズ・その9」剪定バサミです。

実家が植木屋(今や開店休業状態ですが)なので、剪定バサミや手鋸の類は商売道具としていつも身の回りにありました。とにかく何かあったら「ハサミ、ハサミ、ハサミ」なのです。剪定はもちろん挿木、接木、藪払い、なんにでも使います。使い慣れると直径3cmぐらいの枝もこれで落とせるようになります。

ほんとうはこれも自分で研げるようになるといいのですが、ハサミの砥ぎはとにかく難しいのですよ。なにやらμ単位で両方の刃を合わせなければスカスカになって役立たずのハサミになってしまうのです。父が修行時代、とにかくハサミの砥ぎからだったそうです。大工さんも鉋砥ぎからだといいますね。「できるようになりたいなあ・・・。」と思いながら時間が過ぎていってます。いかんよそんなことじゃ。

2005年11月 9日 (水)

まぐわ

Nec_0028_2 「ローテク万歳グッズ・その8」まぐわです。Nec_0027_2

植木屋の父が砂に箒目を立てるときに(竜安寺の石庭のように)使っていたもので、だいぶ年季が入ってサビてます。しかし、めーの干草を集めたり、小屋を掃除したりするには充分なので大活躍中です。

まぐわといえば「西遊記」で猪八戒が武器にしているのが「八本歯のまぐわ」でした。正確には「馬鍬」なので、もっと大きいやつのことなのでしょうが形は一緒ですね。だいたい「西遊記」の中の武器はへんちくりんな物ばかりで、孫悟空が使っていたのは如意棒。あれなんか大昔の洪水のときに水位を測定したモノサシだったという設定。モノサシだのまぐわだのを武器にするか―――?あと一煽ぎで全てを吹き飛ばしたり火炎山の火を吹き消したりする芭蕉扇とか、投げつければどんなものでも縛り付ける帯(名前忘れました。大げさな名前がついてました。たしか観音様の帯だったよな。)とか、思いつくだけでも変な武器大集合。いかにも大陸の話らしい荒唐無稽でばかばかしいまでに大げさな話ばかり。「西遊記」大好きなんです。また読み返したくなってきました。

2005年11月 7日 (月)

電動鉋

Nec_0007_4「 ローテク万歳グッズ・その7」電動鉋です。

ヤギ運動場の整備と、めーに屋根を蹴り壊されたモモ小屋(ヤギは高いところが好きなので、めーがモモ小屋に飛び乗ったところ古くなっていた屋根が陥没)の再建と、急がねばならない普請があります。Nec_0008_6

板の表面がザラザラのままだとそこに湿気やカビが溜まり持ちが悪いそうなので、鉋をかけてツルツルにせねばなりません。普請道楽だった祖父の時代は手鉋でしたが、今は電動の鉋があるので大助かりです。これをアイロンがけの要領で板の上を滑らしていくのです。

二枚目の写真上がかける前、下がかけた後。素人がかけてもこの違い。しかしなかなか「鏡のようにツルツル」というわけにはいきません。いやいや、なにごとも練習練習。

2005年10月24日 (月)

ハガマ

Nec_0032_1  「ローテク万歳グッズ・その6」ハガマです。

祖母が使っていたものですがこういう単純な構造のものは本当に長持ちします。

土鍋で炊いてらっしゃるべにこさんはよくご存知だと思いますが、ハガマの利点はおいしく炊けること、おこげができること、後始末が簡単なこと、あと意外ですが炊き上がる時間が短くて済むことです。これで3合炊いて20分もあれば炊き上がります。早いです。

2005年10月15日 (土)

サイフォン式コーヒー沸かし

Nec_0095 「ローテク万歳グッズ・その5」サイフォン式コーヒー沸かしです。

真夏でも熱い日本茶の日本茶党ですが、朝食の後にだけはコーヒーを飲みます。城南町のAプライス(鹿児島の食いしん坊の方たちならよくご存知では?)で、『深煎り仕立て(豆)』というお買い得のブレンドを買ってきて、コーヒーミルでがりがりと挽き、サイフォン式のコーヒー沸かしに水を計ってセットして、アルコールランプでぽこぽこ沸騰させて・・・。理科の実験みたいでやめられないのです。

きっとコーヒーのプロの方から見たら言語道断なこともやっているのだろうけれど・・・フィルターも本式の布のやつじゃなくて使い捨てのペーパーフィルターだし。ま、楽しいからいいや。

15年ぐらい使っているコーヒー沸かしですが、耐熱ガラスの上ボールも下ボールもそれぞれ割れるたびに、金物屋さんにメーカー取り寄せしていただいて使い続けています。使うほどに愛着が湧きますですねー。

2005年10月10日 (月)

草刈機

Nec_0081 ローテク万歳グッズその4です。

My草刈機が修理から帰ってきました。もう言い訳はできません。奥の畑の藪を払わなければいけません。

エンジンの調子が悪かったのですが、良くなってます。カセットボンベを燃料にしてるタイプで軽くて扱いやすいのです。この手の機械は昔ながらのモーターを紐で引っ張って起こすしくみなので、最初はエンジンが起こせなくて苦労しました。最近は慣れて一発でかかるようになりました。新しい技術の習得はうれしいものです。

Nec_0074 秋の終わりに彼女の分の食い扶持が増えるので、今から草を払って干草を準備しとかなきゃ、なのです。小屋も作らなきゃ、運動場も・・・。ぐうたらしとる場合ではないです。

2005年10月 9日 (日)

熊手

Nec_0077「ローテク万歳グッズ」その3・熊手であります。

今しがた鶏小屋掃除を終えて、堆肥になるべき鶏糞混じりの草をかき集めたところです。ほんとうに単純な作りですがこういう作業をするのにこれほど適した道具はないでしょう。

よく神社で竹でできた熊手が「福をかき集める」縁起物として売られていますが、まったく納得です。土とか砂利とか集めたくないものはその歯の間からこぼれ落ち、草だの落ち葉だの必要なもののみを掬い上げてくれます。便利。

「熊手を持った翁と箒を持った媼」の長生きを祝う「高砂」の意匠には欠かせないグッズです。とことんおめでたいシンボルグッズのようです。

Nec_0078 実はこの熊手はちょっと優れものの熊手で、ネジ止めの金具を上下することで、櫛歯の間隔を調節することができます。ふふふふ(←自慢)。

2005年10月 7日 (金)

日本刀

Nec_0073 母方の祖父は、呆っけもんで変わり者で多趣味であった。趣味の一つが刀剣収集で、これは残されたうちの一本である。(ちゃんと美術品として許可をもらっているので銃刀法違反ではない)

といってもここにあるのは鞘だけで、刀身は別のところに保管している。なんといっても日本刀は錆びやすいのである。

祖父は気が付けばいつも、口に懐紙をくわえてポンポンで刀身に砥粉を振って手入れをしていた。美術品としての刀でもときには砥ぎにださないと、刃が曇って価値がなくなるらしかった。

時代考証に詳しい方ならご存知だろうが、刀で生身の人間の体を斬ったら、5人も斬れば刀身に血と油がまわり、皮も斬れなくなるらしい。あと、骨にあったったら刀身が曲がったりとか。時代劇で「正義の味方が次から次へと何十人も悪党を斬り捨てる」あれはまったくの嘘っぱちなのだ。それほど「人を殺傷する」ということはたいへんなことであり、「殺傷するための道具」を「いつでも殺傷できるように手入れしておく」ことには、莫大なコストと手間がかかるのだ。

古今東西を問わず「魔を払う神通力を持つ剣」のファンタジーがある。冗談じゃない。剣が魔を払うのじゃない。「殺傷できる能力を持つ剣」を鍛え上げるにも「その剣の能力をメンテナンスし続ける」にも、恐ろしいまでの集中力と精神力がいる。そういう精神には魔を寄せ付けるスキがない。それだけのことである。もっとも、そういう集中ができる偏執的な精神は別の意味で恐ろしいとも思うが。

ま、武器を「持つ」のは簡単だけど「持ち続ける」のはとんでもなくたいへんだよ――!ということ。維持できないんだったら最初から持たないほうがそりゃもう安全である。武器の大小を問わず。