椿屋敷のお客様

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2006年8月

2006年8月16日 (水)

トウモロコシ

Nec_0031_21 けなげにトウモロコシが実をつけてます。

なにせまだ苗のうちから、めーさんとチビのザーネン種ヤギ親子がちょっとした隙を見つけてはトウモロコシ畑に仁王立ちになってもぐもぐムシャムシャ齧っておりましたもん。敵は身内にあり。

「あー――今年もトウモロコシは食えないかも知れん。」

涙にくれておりました。昨年は3日連続で雷が鳴ってモモ(紀州犬雑種・5歳・女の子)が役立たずだった晩に、忍び込んできたどこぞの野獣(たぶんアライグマか狸)に根こそぎやられて人間の口にはほとんど入っていなかったのです。

しかし今年、半分以上はヤギ親子にやられたものの、残りの半分はなんとか実をつけてくれております。これは・・・・・まあ、これだけ口に入れば良しとするか。

もう少しすれば収穫。でも、この「あと一週間で食べ頃♪」という時期が一番大事。今年は食うぞ~~~!トウモロコシ!

2006年8月15日 (火)

嗤う伊右衛門

Nec_0030_15 「ヒュ~~オオ~~~」不安定な和笛の音程。

「どろどろどろどろ」静かにでもおどろおどろおしく鳴り響く和太鼓。

「ああ、幽霊がでてくる。幽霊がでてくる!!」

あれはよくできた効果音ですよね~。江戸時代に歌舞伎で使われていた効果音が、いまだに使われているわけです。怖いよ~~~。

「東海道四谷怪談」は傑作の多い歌舞伎の怪談話の中でもダントツの怖さだといいます。主人公のお岩様はとんでもない怨霊で、四谷怪談を舞台化したり映画化したり小説化したり、とにかくお岩様を表現するときには四谷のお岩稲荷にちゃんと詣でてからでないと、必ずや祟りがありましょう、ってんだからとんでもない。お岩様は著作権協会か?・・・・・・いやいや不遜な事は申しますまい。祟らないでね。パン!パン!(拝みました)。

「嗤う伊右衛門」(京極夏彦著・角川文庫)です。京極氏はこれを上梓するにあたって四谷稲荷に詣でたのでしょうか?

この作品は今まで伝えられてきたお岩様像とはまったく違う、美しく、素直で愛情深く、恨みのかけらもない誇り高い女性像として描いているのだけれど、・・・・・・でも、詣でたんだろうな。そういう作法をいかにも大事にしそうな京極氏。

「京極堂シリーズ」が大好きで、もちろん全部持ってるし、それどころか十回以上は読み返しているというぐらいのファンなんだけれど、「嗤う伊右衛門」を読んだのはずっと後でした。なにせ既存の「お岩様像」があまりにも強烈で。あまりにもどろどろベタベタじめじめして怖すぎなあの話を、どう料理しても「理不尽な不幸に、より理不尽な怒りで対抗する救いのない話」になるんだろうと思っていたので。

杞憂でした。これを読んでさらに「京極夏彦は凄い!!」と。

理不尽さはまるでなかったです。いや、不幸な理不尽はお岩様や伊右衛門殿に降りかかってくるんだけど(その元凶は伊東喜兵衛。こいつがまあどこをとっても救いようのない大悪党)、その理不尽に対して恨みを持ってこないの。なんというかクールなの。お岩様と伊右衛門殿が淡々と乾いた対応をして(伊右衛門が大工仕事が上手で寡黙な職人肌なのもポイント高し)、それがさらにより大きな理不尽の呼び水になるんだけれど、最後の最後まで二人は不幸ではない。それどころか「ああ、これはハッピーエンドなのだわ。」と思わされてしまう。普通には「ここまで陰惨な結末はないだろう」といえる狂気の沙汰な最後なのに。

読み終わった後に泣きましたね~。

「世界の蜷川幸雄」が小雪と唐沢寿明で映画化したので、これは見ねばならんと見ました。

わたくし的には「今まで見た邦画ベスト3」に入る感動作です。

主役の二人も美しかったですが、大悪党伊東喜兵衛を椎名桔平が怪演。衣装や調度の美術の趣味もよくて、伊東喜兵衛が持っていた人間が入りそうな大花瓶を欲しくなったほどでした。

歌舞伎の「四谷怪談」は今のシーズンの出し物。そう、この「嗤う伊右衛門」も今の時期にお薦めでございますよ。

鶏頭の花

Nec_0027_16 赤い鶏頭の花をお墓に持っていって供えました。

鶏頭の花はほんとうに鶏のトサカにそっくりで、「なんで夏の墓花にはこんなグロテスクな形のもの飾るんだ?」とずっと思っていました。

そうでなくても夏のお墓は、ウンコの匂いのするオミナエシとか、しけた千日紅とか、なんとも地味~なコーンフラワーとか、なんでこんなもの飾るんだ食べ物だろうの色つき唐辛子とか、あまり美しいとはいえないものばかりが供えてあります。

自分でお墓にお供えするようになってわかりました。

鹿児島の夏の日差し、しかも石造りの墓地の上、普通の花じゃ半日も持たない。

自然、鶏頭や千日紅みたいに、花弁が固まって水分が蒸発しにくい構造になっっている乾燥に強い花を選ばざるを得ないのです。

百合やトルコギキョウなんかのように花弁はふわふわしていないけれど、一応赤や紅やピンクの色がついています。墓の花に緑の葉ばかりを入れるわけにもいきませんしね。このちょっとした色を添えることが夏場の墓にはありがたいのだとわかってきたら「やっぱ夏の墓花用に鶏頭か千日紅ぐらいは植えとくか・・・」と、考えが変わってきました。

だってさ、お盆の花は高いよ~~~。

2006年8月14日 (月)

盆提灯

Nec_0028_21 全国的にお盆なので、納屋からごそごそと盆提灯を出してきました。いつみてもド派手なデザインです。

まあ、これをめがけてご先祖サアが帰ってこられるそうなのでド派手なほうがいいのでしょう。「ご先祖サアは蛾の仲間かよ?」と思わんでもないですが。

うちのは何の変哲もない既製品で、中身は蝋燭じゃなくて電球です。もう亡くなったお知りあいは「オーダーメイドの家紋入り盆提灯セット」ってのを持っていて、「うおう!本当の贅沢ってこれね!!」とうなりましたね。本物の竹ひごに美濃和紙を張り、鷹の羽紋が入っていて、枠は漆塗り。中身は当然蝋燭で、それが和紙に燃え移らないように、お庭の柿の葉の生葉を二枚採ってきて蝋燭の下に互い違い十文字に敷いておく。たとえ夜中に蝋燭が燃え尽きても、水気の多い柿の葉で火は消えて提灯は燃えない。蝋燭の炎はゆらゆらと揺らぎ、つけっぱなしの電球とは醸し出す雰囲気がまるで違う。他の明かりを絶やして盆提灯だけになった暗闇は生き物のようで、「なるほどこれなら死んだ人も帰ってきとるわ。」と納得させられる怪しさ。

何事も舞台設定だよなあ。

「百物語」ってあるじゃないですか。「青い紙を張った行灯に、百の灯心を入れてその周りで百の怪しい物語をする。一つ物語が終わるごとに一つ灯心を消していく。九十九話までは何事もないが百話終えると必ず何事かの怪異が起こる。」ってあれ。

あれも「行灯」で「灯心」じゃなければいかんでしょう。そしてやはり「明り障子」で「畳」の部屋が望ましい。明り障子の外にはきしむ板張りの「縁側もしくは廊下」がなければ。

いまやこのすべてが普通の家で揃っている事は稀になりましたが、もしこれをすべてお持ちの方、やはり今のシーズンにやってみるべきでしょう。「百物語」。

やってみてください。そして百のお話の後に何が起こったか教えてください。あ、教えてくださるだけで結構。ご招待は謹んで辞退申し上げます。

2006年8月13日 (日)

ハチミツとクローバー・9巻

Nec_0026_19数えてみれば今までの人生で8回引越ししています。うううううむ。

もう二度としたくないです。わたくしに「フーテンの寅さん」は無理。だから農園を始めました。

「場を移る」事にはたいへんなパワーがいると骨身にしみました。実際に物を移す物理的ストレスはもちろん、がらりと変わる風景と人間関係、すべて精神的なストレスの原因となります。年をとればとるほど辛くなります。

というところで「ハチミツとクローバー・9巻」(集英社・羽海野チカ)です。

この傑作マンガは「キューティー(宝島社)」→「ヤングユー(集英社)」→「コーラス(集英社)」と2回も掲載誌が変わっています。原因は掲載誌の休刊。こんなにも素晴らしいマンガなのになぜ?出版界、ほんとうに不況らしいです。「ヤングユー」が休刊になったときはたまげました。女性誌で天下とってた雑誌なのに。もっとも「ハチミツとクローバー」が傑作であるからこそ、2回の変更にも耐えて生き延びることができたのでしょう。しかし著者の羽海野氏「かなりつらかった。特に2回目」と今回のあとがきで書いています。そりゃあつらかっただろうなあ。うむ、うむ。

9巻は急転直下といいましょうか「うおおお!!」というような大事件がはぐちゃんに起こります。いわく「終わりの始まりの幕を上げよう」。

同じ頃、もう一人の天才森田にも人生の一大事が。これまでもちょくちょく登場していた森田兄と森田が抱え続けていたナゾが判明。「なぜこの兄弟がこんなにも守銭奴になったか?」・・・・・・ううううむ、こういう答えだったのね。わたくし的には兄弟の回想シーンで出てくる森田父がたいそう好みです。こういう物作りのぶっ飛んだ天才、いいよねえ・・・・・(ホウッ)。前も書いたけれど「ハチミツとクローバー」のいいところは、この手の物作り野郎のカッコよさをなんのてらいもなく正面から描いててきたところ。今までなかったよ~。女性誌でこのタイプ(物作りの天才肌・職人肌)を主役クラスに持ってきたマンガ。でもこの父はその後登場しないけれど、どうなったの?まさか、亡くなったってことなの?ちょっとそれはいやだな。

なにせこの巻は「終わりの始まり」であるからして、今まで錯綜していたいろんな片思いがそれぞれなりの決着をつけようとしています。実はコーラス本誌ではこの間最終回を無事迎えてました(よかった。よかった。3度目はなかった)。年上のリカに片思いしていた真山の恋は実り、真山に片思いしていた山田さんは失恋したけれど真山の元上司野宮とくっつきそう。そして肝心かなめの森田と竹本から恋されていたはぐちゃんは・・・・・・?

これがまた「ええッ!?そうきたか!!!」とあっと驚く恋の顛末。

でも、教えねえ―――。コミックス派は次のコミックス(おそらく最終巻)が出るまで待ちましょう。

凄く感動的なラストでした。これだけは保証します。

そういや、この作品映画化されるんですってね。チラッと写真をみましたが花本先生役の堺雅人さんが「えええん、もーどうしたらいいの?」ってぐらい素敵です。

ムクゲの花

Nec_0024_19 ムクゲの花が咲いています。

お隣の大韓民国の国花です。お隣からの密入国者の方が「国境の島対馬に、ムクゲを地道に植えて領土権を主張している」らしいです。凄いですね――――。いろんな意味で。

中華人民共和国、大韓民国、ロシア、日本はご近所さんと軒並み海上の領土権問題でもめています。このへんの畑の境界とか田んぼの水争いと原点は変わりなし。建前は双方「愛国心」「歴史の由緒」カッコいいこと言ってますが、なあに結局は漁業資源と何より海底資源の確保ですよ。それがすべて。

去年の六月にこのブログで申し上げましたが、原油の価格はもう下がりません。上がる要因はあっても下がる要因は無いです。今、ほとんどの石油を海底400mから堀り上げているんです。「海底400m」ですよ!!すでに大陸棚ですらない。あとはそれより深海の油脈を探していくしかないのです。地上の油脈を探すのとは大違いのハイコスト。石油資源の限界がもうそこに見えているため、水素やメタンハイドレード、エタノールなどの次世代資源の開発に必死ですが、それなんかをエネルギーとして使う状態にするのにもエネルギーが要るわけです(水素を固形化するにも、固形のメタンハイドレードを気体化するにも)。もう火ダルマ!

砂糖の値段が最近上がってることにお気づきの方も多いと思いますが、それはサトウキビから次世代エネルギーのエタノールをとるから。そっちのほうが最優先なのです。

人類の文明は「エネルギーと食料の確保」これがすべてでしょう。今の政府発表が盛んに「景気回復・いざなぎ景気を超えた!」と吹聴しています。しかし、どうにも「平成の大本営発表、つまりインチキ」臭いのは、この「エネルギーと食料」の問題をきれいに無視しているからです。「原油価格の高騰は懸念材料だが・・・・・」ってそれが一番重要事項でしょうが!!

ことさらに「エネルギーと食料」の問題を過小評価しているところに、作為と情報操作の臭いがプンプンします。

ご存知のように第二次世界大戦で日本が中国侵略・東南アジア侵略をしたのは一にも二にもエネルギーが欲しかったからです。そして太平洋戦争でアメリカと戦う羽目になったのは、石油資源の輸入ルートを絶たれたからです(ABCD包囲網ね)。「愛国心」でも「アジア人民の独立を守る」でもないぞ。そこらあたりを絶対間違うんじゃなねえ!同じ轍を二度も踏むんじゃねえぞ!

国家が「エネルギーと食料の確保」のためにあらゆるカードを切って尽力するのは当たり前なんだよ。だけど戦争は最低最悪のカードでしょう。なにせハイリスク。しかもノーリターンの可能性大。「大韓民国が対馬の領土権主張のためにムクゲを植える」エグイ手だとは思うけれど、それぐらいはするだろう。あっちにしてみりゃお遊びのカードの一つぐらいなんじゃないか?気になるのは、たぶん「木を自分で植えた事すらない、土すら触った事ない」ような連中が国家とマスコミの情報操作に踊らされて底の浅い「愛国心」とやらでイシレン(しょうもない)事をせんだろうな、ってこと。勝負に勝つのは「クールに自分を見失わずやるべき事をやってきた」奴でしょう。いいカッコは必要ありません。

あああ、美しいムクゲの花をだしといて、たいそう生臭い文章になってしまいました。ムクゲの花は乾燥させると下痢止めの薬に。木の皮は水虫の薬になります。花の美しさに似合わずなんと現実的な薬効でありましょうか。切花としては水を吸わず役に立たないというところも。繁殖力旺盛でよく花をつけます。こういう花を国花とする国はたいへんなリアリストではないか?と思います。

2006年8月12日 (土)

オナモミ

Nec_0022_21いわゆる「引っ付き虫」です。秋が深まるとこの実が熟して、セーターなんかに引っ付いて往生します。機雷か撒きビシのごとく四方八方につきでた頑丈な引っ掛け鉤を持っている実です。まだ青いうちからその鉤はもう備わっていて、「こんな暑さ厳しいうちから植物は着々と秋の実りの準備をしているのであるなあ」と気づかされます。こっちは暑さで青息吐息、秋のことなど想像もつかない状態なのになあ。

ところでオナモミは中国では栽培植物だそうです。これから油を採るのですと。しかもその油はリノール酸を60~65%も含み、ベニバナ油につぐ高値なのですと!!(まあ、最近リノール酸信仰にも?がでてきたりしてるらしいですが)んで、味はどうなんすかね?

世界中の路傍で生える雑草の最たるものなのに、それを敢えて栽培する中国。さすが「四つ足なら テーブルでも料理する。」といわれるほど食い意地のはった国のことだけあります。

カイヅカイブキ

Nec_0025_211960年代から80年代にかけて、「ブロック塀にカイヅカイブキの生垣」が大流行しました。どこの家並みにもこれ。ブロック塀が「下品だ」と大嫌いだったので、その憎しみがカイヅカイブキにも向けられてあまり好きな木ではありませんでした。

月日が流れて存外耐用年数のないコンクリートが風化して(ブロック塀の倒壊事故、新幹線トンネルの崩落事故、あれ全部高度成長期のコンクリートの耐用年数が切れたってこと。30年持たないんだよ。特に海砂を使ったコンクリートは)、ブロック塀は姿を消しましたがカイヅカイブキの生垣はときどき残ってます。中には30~50年たって4~5mの高さの生垣になっているところもあり、そうなると「火焔樹」ともいわれるカッコいい樹形も映えて、「おお?!」と目をひく堂々たる風格。

「そう捨てたものでもない木だったんだなあ・・・・・」と今は思います。

実はうちの敷地の北側の生垣が、その手の何十年もたつカイヅカイブキの生垣なのですが、いかんせんいまいち手入れが・・・・・。遠目にはカッコいいのですが・・・・・。

鹿児島ではカイヅカイブキをお盆や彼岸の墓花の緑に使います。よってときどきうちのカイヅカの生垣に目を留めた業者さんが、「カイヅカの枝を採らせてください。」とよくいらっしゃいます。その方たちがハシゴで上のほうの枝を採ってくれるので(上のほうがまっすぐなのだ)そのときに剪定してもらってそのまま。

やっぱたまには自分でも剪定すっか・・・・・。

2006年8月11日 (金)

若鶏小屋

Nec_0023_15 アロウカナ×烏骨鶏夫人と英国産ジェントルマン夫婦のもとから若鶏を独立させました。今のところうまくいっているようです。

ここは山の中なので、鼬、狸、ヘビと鶏を狙う動物は山ほどいます。実際、ご近所でも鼬が一匹小屋に忍び込んだせいで全滅したというお話はよく聞きます。鼬は鶏の首に噛み付いて次から次に血を吸うのだというので始末が悪い。

こういうときは、とにかくモモ(紀州犬雑種・女の子・五歳)が頼り。人間ではとても不寝番などできないし、野生動物の忍び寄る気配も察知できないので、マメに鶏番をするモモは得がたい宝なのです。

しかし、あまり誉めすぎて調子に乗ったモモが、脱走した若鶏の一羽をちょっとこっぴどく折檻して羽をむしってしまいました。

こらあ!!

誉めるとこれだから。

その一羽は別室で養生させてます。また鶏の群れというのが、怪我した仲間の傷をむしって食べる連中なので、用心のために。まあ、一週間も入院してれば大丈夫かな。

2006年8月10日 (木)

お嬢さんたち

Nec_0020_19トカラヤギのシロさんと、ザーネン種のチビです。

どちらもまだ一歳にならないぴちぴちのお嬢さんたちです。

角突き合わせてます。はや、女の戦いか?

チビはあっという間に大きくなって、もうシロさんやクロさんよりでかいです。三月生まれなのでまだ五ヶ月しかたってないのに。お母さんのお乳を飲んで、草を食べているだけなのに。今さらながらヤギ乳って栄養あるんだなあ。

もっともこの図体でいまだにお母さんのお乳を飲むわけですが、飲むときはもー―たいへんな勢いで飲みます。凄い勢いで吸い込むので、たぶん1Lぐらい入っているお乳でも、あっという間にしぼしぼとしぼんでしまうのです。 その間5秒もありますまい。油断していると全部飲まれてしまいます。とにかく昼の間はめーさんと引き離しておかないとならないのですが、これがなかなかたいへんなのです。