椿屋敷のお客様

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2006年8月

2006年8月21日 (月)

乳と蜜の流れる土地

Nec_0015_17元来、縦のものを横にするのも「メンドくさか」ようなナマケモノなので、「乳と蜜の流れる土地(旧約聖書でいうパレスチナの事だ。ドンパチ派手にやっているぞ)」だの「桃源郷」だの「ユートピア」だのがほんとにあるなら行ってやる、と長年思っておりました。

わかった事は一つ。「行くまでがものすごくたいへんだ。」

ユートピアがたとえあったとしても、ナマケモノはそれまでの道のりでまず挫折します。それで考えを変えました。「『乳と蜜の流れる土地』を自分の手で作る。」これですよ。これ。しかもよく考えてみればわが鹿児島は「乳と蜜が流れる」状態にかなり近い。そのものといってよい。亜熱帯に近い気候。降水量も多い。日本でも有数の過疎県で緑地も耕地もいやというほど残されている。水がうまい。温泉まで湧いてでる。伝統的に農林水産業で日本一のものが多い。実際に乳牛だって蜜蜂だって多いぞ。黒豚、黒牛、焼酎・・・・・

結構ほっといても、種や苗を植えさえすれば食べるものが(しかもうまいものが)できてくる。ありがたやありがたや・・・・・・・。

でもね・・・

気候が温暖なのはありがたいのだけれど、この夏みたいに暑いと、草の成長がはやすぎるのがたまにキズ。「台風来るしな」でゴロゴロしていた先週のツケが今一気にまわってきました。

縦のものを横にもしないナマケモノなのですが「このままでは家も畑も草とカズラに飲まれてしまう!!」と恐怖を覚え、ついにMy草刈機をだしてきてやっとかっと畑の1/3を草刈しました。草刈した草はヤギ餌と鶏餌です。暑かった!

「乳と蜜の流れる土地・・・」「乳と蜜の流れる土地・・・」

口の中で唱えながら、その道のりを歩んでおるのであります。

蝉の死骸

Nec_0013_22 力尽きた蝉の死骸が、林の中の道路じゅうに散らばっています。

日本の蝉の寿命は、地中7年地上7日。地上にでたら大急ぎで羽化して、鳴いて鳴いて鳴いて鳴きまくって恋をして卵産んで、・・・・・・たった7日のうちにそれを全部済ませなければなりません。それは力尽きるというものです。

はやこの蝉の死骸には蟻がきています。そのうち少しづつ分解され、蟻の巣に運ばれて食べられてしまう事でしょう。

生けとし生けるものかくあるべし、です。

2006年8月20日 (日)

口惜しや

Nec_0014_19 わたくしはねえ、心が狭い人間なんですよ。特においしいものがからむと恥も外聞もありませんわ。

「大人げない」といわれようが「義理も人情もない」といわれようが好物を最初に他人に分けてやるような真似いたしません。とりあえず自分のために確保。鼻や目からはみ出そうなぐらいお腹いっぱい食べて、しかるのち渋々「腐らせるのもなんだしな・・・・・」とかつぶやきながら、未練たらたらスズメの涙程度にお分けする、という餓鬼畜生もかくやと思われる人生を歩んできたんですわ。いつも申し上げるように「おいしいものをローコスト・ローテクノロジーで(自分が)たらふく食べる事ができるように」農園をやっておるわけです。

虫けらに食べさせるような枝豆はうちにございませぬぞ!!

口惜しや、台風の通過前後が第二弾枝豆の食べ頃ぷりぷりだったのですが、「台風来るしな」と室内でトドのごとくゴロゴロ転がりマンガなど読んでおりました隙に、どこぞの虫がうちの枝豆の一番肥え太った莢を食い散らしておるではありませんか!!

むむむむむ――――!!

もはや犯人の影も形もなく、むなしく空になった莢を握りながら地団駄を踏みました。地団駄って久しぶりにやったなあ。それほど口惜しかった。

今後枝豆は決して枝の上に残さず、熟し次第どんどん莢を採ってすみやかに自らの胃の中に納めていこうと固く決意しました。

へクソカズラの花

Nec_0012_18 今年もヘクソカズラの花が咲きました。万葉の昔から咲いておるわけです。んで、万葉の昔から「糞葛(クソカズラ)」だったわけです。

いつも思うのですがそんなにひどい臭いかなあ?確かに臭いよ。臭いけど屁や糞というほどのひどさではないとおもうけどなあ?

花そのものは微妙なオフホワイトの花弁に臙脂色の花芯で、しかも蕾と一緒にこぼれるほどたくさん咲くので、絵になる花なんだけどなあ。

ま、名前はどうあれ繁殖力のあるカズラなので、これには苦労させられているんですがね。

2006年8月19日 (土)

モモ、花火におびえる

Nec_0011_16今日は錦江湾で九州最大級の規模の花火大会の日、この山の上までドンガドンガと音が響いてきます。

モモ、おびえるおびえる。

やはりこの世の終わりのような音がしているらしいです。犬ってたいへんだなあ。

そういえばベトナム戦争とかで「戦闘犬」とかいって戦場で動けるように訓練された犬たちがいたらしいけれど、やっぱりストレスで短命だったそうな。雷や花火どころじゃない、当たれば本当に死んでしまうドンガドンガの中をよりによって犬に走らすか~?そげなことを考えつく奴はまったくもってヒトデナシです。まあ、人間もシェルショック(戦争神経症)とやらになったそうなので、ほら見れ~、なんですけど。

このときだけはモモ部屋に入れてやります。音が反響しない壁の中に入れてやらんとイカンらしいです。「できれば防音壁完備がいい」・・・・・といわれましても。そのうちがんばって漆喰壁の蔵でもたててやるか?

知り合いの獣医さんから「雷なんかのときは気をつけてあげてください。おびえないようになだめてコミュニケーションをとってあげてね。レトリーバーの子がびっくりして二階から落っこちて前足を折る大怪我をしたりしてるんですよ。」と注意事項が。

・・・・・それは、一大事です。っていうか、ほんと犬って猫と違うんだなあ。猫ならばキャット大回転で着地するところです。

アルジャジーラ

Nec_0010_17開き直って寝転がって本とマンガを読みまくった昨日でありました。その姿氷上に転がるトド、アザラシの如し。人さまには見せられず。

ずっと読みたかった「アルジャジーラ」(ヒュー・マイルズ著・河野純治訳・光文社)です。

イラクで日本人が人質になったり、残念ながら殺されたり(ご冥福をお祈りいたします)、した時に、必ずこのアルジャジーラという衛星TV局がゲリラに向けて人質解放の呼びかけを放送してくれましたよね。「BBCでもCNNでもない、カタールの小さな民間放送らしいのにアラブ世界には凄い影響力があるんだな。」と俄然興味をひかれました。

そういえば9.11事件以降トチ狂ったブッシュ・ジュニアが「アルカイダ殲滅、オサマ・ビン・ラディン抹殺」を唱えてアフガニスタン侵攻したとき、 世界のメディアの中でアルジャジーラだけが「ビンラディンのインタビュー(というかアメリカへの宣戦布告)テープ」を放送したし、アメリカ軍がただでさえギリギリの生活をしているアフガニスタンの民間人の施設を爆撃してるのもすっぱ抜いてるし、「フセイン逮捕」を唱えてイラク侵攻したときもやっぱりアメリカ軍のイラク民間人への攻撃や虐待をすっぱ抜いてたし、パレスティナのイスラエル軍の暴挙も出すが、自治政府(故アラファト側ね)の腐敗ぶりもすっぱ抜いていたんですよね。

中東についてまったく詳しくありませんが、世界の中でも有数にドンパチの多い地域だという認識はあるし興味もあります。それでまあ、手に入るニュースはそれなりに注意してみていると必ずでてくるのがこの、アルジャジーラ。

日本人人質事件のとき、日本政府が「自己責任」という「その使い方間違ってねえか?」な言葉で事実上同胞を救う何ら有効な手立ても打てなかったときに(アメリカだって役に立ってなかったじゃん)、あまり縁のないペルシャ湾の小国(天然ガスで裕福らしいけど)の放送局が、一肌も二肌も脱いで救出の呼びかけをしてくれて、香田証生さん以外は助かっている。「ありがたいこっちゃ」と思いませんでしたか?

もっとも中東に情報ソースの少ないNHKが、アルジャジーラの映像をかなりの高額で買っているらしいので、そこらあたりのご縁もあって尽力してくれたのかもしれませんが、それにしてもね。イスラム原理主義だのシオニズムだのインティファーダだの、余所の地域にはわからない、首を突っ込めないことが多すぎる中東で、民間人はもちろん政府関係者、ゲリラにまで信用されている放送局って何?

その疑問にこの本は答えてくれましたです。

要するに「アラブ人のアラブ人によるアラブ人のための真に民主的な放送局」なんですわ。

アルジャジーラは今でこそ名声を得ているけれど、とにかく設立当初から敵が多かった。周り中すべてが敵だらけ。なんとアラブ諸国ことごとくに敵視され、そのたびカタールは外交圧力をかけられたそうな。一般人には最初から指示されていたけれど民主的とはいいがたい他の国の首長にはたいそう煙たい存在だったらしい。自国の首長や政府にも噛み付いているらしいからそこのところ徹底してます。

アルジャジーラの基本方針は「一つの意見があれば違う意見もある」で、たとえばパレスティナ問題を出すときは、パレスティナ側、イスラエル側双方のもっとも過激な論客をだしてくる。そしてアルジャジーラはあくまで中立でどちらも裁くことをしない。報道機関として正しい、実にアッパレな姿勢ですが、これがパレスティナ、イスラエル双方に敵を作る。パレスティナ側は「イスラエルの犬」といいイスラエル側は「テロリストの味方」とののしる。なんだかなあ。

すべてがこの調子で、「どちらか一方にだけ肩入れしない」というその姿勢が「治安を乱す」と憎まれた。アメリカはその際たるもので、アフガニスタンにおいてもイラクにおいてもアルジャジーラの記者を理由なく逮捕したり拘束したりしたというから目も当てられない。それどころか支局を爆撃したり、記者を狙撃したりしている。もちろん名目は事故。あのなあ。アルジャジーラは最初から「アメリカ側の言い分も言ってくれ」と要請してるのにそれは無視して頭から「テロリストに味方する放送局は許せん!」の一点張り。「ファシスト国家を潰す」とか言ってる奴のほうが「ファシスト」じゃん。自由の女神が泣くぞ。

どんな妨害にも圧力にもめげず、アルジャジーラは揉め事の双方の意見を放送し続けました。結果「正確な情報をアルジャジーラだけは流してくれる」と一般の支持を得て、アラブ世界では№1の放送局となったわけです。たいした心意気じゃありませんか!

新聞の書評で「元気のいいトップ屋集団、それがアルジャジーラ」とありましたが本当にその通り。日本でもアルジャジーラの放送が見たいのに、なぜかスカパーでやってたのがなくなってるの。なぜ?

なんか都合の悪い事、隠してるんじゃないでしょうね?

2006年8月18日 (金)

鋼の錬金術師13巻と14巻

Nec_0009_17 このごろやたらマンガと本のレビューが多い幣ブログでございます。

35~36℃という体温以上の外気温では、お外にでるとあっという間にスルメになってしまうので、中に。今日は今日とて台風で降り続く大雨、やっぱり家の中に。必然的に手持ちのマンガを読んで体力を蓄え、秋の彼岸の冬もの春ものの植付けシーズンに備えようかと。いいわけじゃのう。だけど体がついていかないんだもん。

というわけで「鋼の錬金術師13巻と14巻」(荒川弘・スクエアエニックス)です。

・・・・・・・これは、どっちへ行くんでしょうか?この物語。

あいかわらずおもしろいのですが、(今回一番おもしろかったのは14巻のあとがき4コマ、ホークアイ中尉と傷の男スカーが銭湯に行く話でした)・・・・・ここへきて今まで張りまくっていた伏線が一気に表に現れてきて、頭がこんがらがってきます。

もう結末は決めてあるそうなので、これから設定の数々に始末がついていくのでしょうが、13巻、14巻はややこしかった。

ホーエンハイムおやじとそっくりの「お父様」?この二人はどうやら時を越えて生きているらしい。何者なの?クセルクセス遺跡を滅ぼしたって?それでその住民を賢者の石にした?人間ベースのホムンクルス?それでリン・ヤオ(お気に入りだ)がグリード(これもお気に入りだ)の中にいる?シン国のお家騒動はどうなるの?エルリック兄弟は体を取り戻せるの?軍上部まで真っ黒の中、マスタング大佐はクーデターできるの?スカーの復讐はどうなるの?イシュバールで何があったの?なんでホークアイ中尉の背中にいかにも錬金術なイレズミがあるの?・・・・・・・

まだまだあるけど、ざっと思いつくまま並べても、こんなにわからない事だらけ。どうなるの?どうなるの?とりあえず次の巻で「イシュバールで何があったか?」と「ホークアイ中尉の背中のナゾ」は解明されるはずなんだけれど・・・・・

11月か。待ち遠しい~。でも、

「耐えねばならんのだよ。」

2006年8月17日 (木)

ニガウリ心配

Nec_0002_22 どうやら台風10号は雨台風らしく、風はそれほど強くないらしいです。一安心。

今日は朝からばたばたばたばた、ヤギ小屋や鶏小屋に風や雨が入らないようにしたり、屋根が吹き飛ばないようにしたり、雨の間に食べる草を小屋に積み重ねたり、走り回りました。なんといっても今年はスズメバチの巣が低いところにできているのです。「蜂の巣が低かときゃウカゼ(大風)が吹く。」と鹿児島では昔から言うのです。どうも蜂にはその年台風が来るのがわかるらしい。巣が吹き飛ばないように低い位置に作るそうな。その伝でいくと、今年は台風の当たり年らしいのです。

動物方面はある程度準備ができましたが、困ったのはニガウリです。ニガウリは風にたいへん弱いので、ちょっと吹くと蔓がヘニョへニョになってしまいます。

だいたい今年はニガウリの芽が出てくるのがたいへん遅く、八月に入ってからやっといつもの年に追いついてきたところなのです。

頼むよ~。飽きるほどニガウリを食べ尽くすまで、台風よこないでくれ。

ナスと豚の味噌炒め

Nec_0006_18刻みニンニクと豚三枚肉の脂を少し焦げめがつくぐらいに炒めて、豚肉投入。

酒と味醂1:1を投入。なじんだら味噌1を投入。

味噌が少し焦げたら、切って水にさらしたナスを投入。ざっと混ぜてしんなりするまで炒めて火を止める。

今朝のおかずはナスと豚の味噌炒め。ほのかに焦げたニンニクと味噌が香ばしくて、食欲が出ます。糸瓜と揚げのお味噌汁、卵、納豆。

力をつけて台風の準備しなくちゃ。今日は大忙し。

2006年8月16日 (水)

夕立

Nec_0005_17 ここ数日夕立が降ります。必ず雷も伴っているので、そのたびモモ(紀州犬雑種・5歳・女の子)は大騒ぎ。

と、ここで稲妻の一つも写真で出せればたいへんカッコいいのですが、そんなものを撮れるような根性も技術もなく、激しい雨を受けて震える藪を撮るのがせいぜいです。

お昼をいただいた後「ウヒー―!こりゃたまらん!体から脂が出るー!」と炭火で焼かれたうなぎのごとく、あまりの暑さにだ~らだらだ~らだら汗をかいていると、三時を過ぎたあたりから、突然遠くの雷(たぶん東シナ海あたりで発達した積乱雲から発しているのであろう)がだんだん近くなってきて、モモが家の中に飛び込んできたな、と思ったら大粒の雨が降り出してきます。

驚くなかれ、雨が降り出したとたんに、寒暖計は3℃ほど下がっています。いきなりひんやりとする空気。これこれこれよ~。夏の午後はこうでなくっちゃ。

夕立がくるたび「熱力学の第二法則」ってやつを思い出します。「熱は熱いほうから低いほうへと移動して、その逆はない」ってやつ。つまり「宇宙の最初は超高熱のビッグバンで、それからどんどんどんどん冷め続けていて、最終的には絶対零度になって平均化する。」エントロピーの増大。

突出してエネルギーを溜めてしまった雲は、必ずいつかそのエネルギーを開放するために雨を降らす。自然は、宇宙は、結局突出したものを許さない。にもかかわらず生命体は生まれ、多大な熱量を放出し続ける。いつの日かすべての熱量が移動して活動を停止するそのときまで。

厳しいけれど美しい、掟。