椿屋敷のお客様

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2009年8月

2009年8月 5日 (水)

夕間暮れのハマユウ

Dvc00162 ご近所の空き地が藪になっていて、その藪の草を刈ってヤギに食べさせてます。

今日も藪をかき分けてたらいきなり芳香と夕間暮れにも鮮やかに光るハマユウの花が。

びっくりした。昨日まで気がつかなかったのに(たぶん蕾だったんだな)、今日は花。物事が世に現れるときって、こんなものなのかもしれないな。

蕾の時には気がつかない。もちろん葉だけの時なんかまったくわからない。花が咲いて初めて「オオッ!」と思う。そして、ここがもともと屋敷跡で、ハマユウがそこの庭に植えられていたのだと知る。屋敷がなくなってもずっと何十年もそこにあったのに。花が咲くまでは無いのと一緒。季節が過ぎて花が枯れたら、来年の今頃までまた、ハマユウの存在は忘れられる。

それでいいんだ。

2009年8月 4日 (火)

飴と鞭

090804 前々からそうじゃないかと思ってたんだけれど、とみにそうだと思い知らされた真理があります。

「世の中飴と鞭」です。

飴だけでもダメ。鞭だけでもダメ。ここんとこの匙加減がすべてを決めるよなあ。

夕方のヤギの小屋入れ、ずっと苦労してたっす。「ヤギってお馬鹿ちゃん。犬とは大違い」などと、いつも鞭ばかり(ロープで引っ張る、犬で追いかける)使って、飴を忘れてたっす。ごめんねヤギたち。

でもね、ヤギにも魂があるからさ、脅されてばっかりじゃ肝心なところでゆうこと聞かないのよね。

ヤギにも自分にも一番楽な方法は、犬たちに追いかけさせつつ、群れの進む方向を決める雌ヤギたちにカライモやニンジンのかけらを食べさせながら誘導する、という方法です。まさしく飴と鞭。

これは楽だ。しかもヤギたちに恨まれない。それどころか感謝されてる(ような気がする)。

犬のしつけと一緒だよな。「おすわり」できたら即ジャーキー。「伏せ」できたら即ジャーキー。しつけてるのに嫌われない。それどころか愛される(てると思う)。

ああ、結局人間もそうなんだよな。人付き合いも飴と鞭。どちらか一方だけじゃダメ。

実は「ダメ亭主と別れました」と、よく聞く昨今。お話聞けばまさしくこれ。まあ、亭主の場合「飴ばかり与えて甘やかしすぎました。」というお話ばっかですけどね。

2009年8月 3日 (月)

夏休み工作のおもひで

090803 小学校のとき「滑車を使った工作」という夏休み工作の課題が出ました。

作ったのは「お菊井戸」。「番町皿屋敷」であります。小学生が工作に選ぶテーマかよ?

うちに井戸があったしなァ。しかも釣瓶があったんです。夏は畑のスイカを釣瓶のバケツに入れて、20mぐらい下の井戸水面に下ろして冷やしたりしたもんです。身近でした。

でもはるか下の水面は子供心に怖かった。「落ちたらやだなあ」とマジで思いました。その頃小学校の図書館で読んだ「番町皿屋敷」に強烈な印象を受けたんだな。

・・・・・・・・夜な夜な、井戸の底から這い上がってきて、「いちまーーーい、にまーーーーい、・・・・・・・・」と足りない皿の数を数える女。怖かったなあ。夜になるとうちの井戸からも声が聞こえるんじゃないかと思った。夜には井戸小屋のそばに近寄れなかった。まあ、それでなくても父方の実家は築150年以上のお化け屋敷だったんだけどね。

今すんでるここは、母方の家。井戸は無いけれど、今となっては自分ちの井戸が欲しいなあ。お金ができたら井戸を掘ろうかなあ。

2009年8月 1日 (土)

ミョウガの食べるとこ

090801 恥ずかしながら大人になるまでミョウガのどこを食べてるのか知りませんでした。だって子供の頃ってミョウガなんかおいしいとも思わないでしょう?興味まったく無かったです。

「夏にミョウガ、欠かせないわ!」「そばにそうめんにお味噌汁にお寿司に冷奴に、何でもありよ!」などと血眼になってミョウガの藪を這いずり回るなど、子供の頃には考えられません。

幸いにしてうちの庭には、18年前に亡くなった祖父が植えたかなり大きなミョウガの群生があり、あと、庭に自生する三つ葉とセリと紫蘇を使えば自分ちの薬味は事足ります。あ、そういや山椒の雄木も雌木もあるか。まったくもって贅沢な生活じゃ。ありがたいことよのう。

というわけで今日もミョウガを掻き分けてミョウガの子を採ってきたのですが・・・・・・・

こんなとこにこんな風に生えてきてるとこが、あの売ってるミョウガだと知らない人多いんじゃなかろうか?それとも大人になるまで知らなかったのあたしだけ?