わたしが植えたわけではない。祖父母の代から耕している畑なので、残った種芋から毎年勝手に生えてくるのである。まっこちまっこちありがたかことよ。畑を手入れしだしてから、「地だがあることのごちありがたかことはなかねえ。」と思うことしきり。葬式仏教徒の浄土真宗であるが、初物を仏壇にお供えするようになった。やっぱりねえ・・・。自分の力じゃない何かの力が大きいもん。
サトイモは小学校の横の畑がよく作っていて、学校帰りに雨が降り出したときなど、よく大きな葉っぱを失敬して傘代わりに使った。絵なんかで河童や蛙がさしているあれである。直径50cmを超える大きさもあるので、傘としての使用は不可能ではないのだが、いかんせんくぼみに雨が溜まると重みで葉っぱが裏返り、ザバアと頭に雨水がひっくり返ったりした。
わたしが小学校に上がる前の今頃の季節、祖父の弟、つまり大叔父にあたる吉おじさんが亡くなった。それが人の死を覚えている最初である。吉おじさんは長崎に原爆が投下されたとき、長女が長崎の軍事工場で働いていて、爆心地だったので行方不明になり(今にいたるも行方不明)、投下の三日後娘を探しに長崎に行き、そこで灰の浮いた水を飲んで被爆した。しかし原爆症として認定はされなかった。一生白血球の不足や内臓の不調に悩まされていたのだが。いつも新聞や本を読み、賢いのにとぼけたことを言う、人のよい大叔父であった。その大叔父が夏場は家や畑の周りの土手にカボチャをたくさん植えていた。カボチャもほったらかしでもよく育つ。吉おじさんもほったらかしで、でも土の按配がいいのかよく成っていた。吉おじさんの口癖は「展覧会に出すっとじゃ違うでや。」であった。吉おじさんあなたの薫陶を守り、テゲテゲでカボチャを作ってます。おかげさまでよく実がついてます。しかもたくさん植えたので、台風とかで大被害が出ない限りごろごろ成るでしょう。楽しみです。
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