椿屋敷のお客様

« 2005年8月 | メイン | 2005年10月 »

2005年9月

2005年9月30日 (金)

どんぐり

Nec_0047_1 椎の実、いわゆるどんぐりであります。

縄文時代の遺跡で、よく貝塚とか魚、鳥、獣の骨なんかと一緒に、栗、椎の実、橡の実、クルミなんかの殻が発見されるわけですが・・・。栗はゆでればOKですし、、クルミはそのまま食べてもおいしい。しかし椎、橡はねえ。かなりアク抜きがたいへんなようです。「殻を割って、粉に挽いて、水に何日もさらして・・・」それを、ろくな道具も無しにやるわけですからねえ。トンカチや石臼やタライやバケツのようなローテクグッズすら無い時代。打製石器、磨製石器、よくて素焼きの重たい縄文土器か。考えるだに大昔のまかないはたいへんだなあ。もっとも今と違って日本列島の人口は少なく、照葉樹林の原生林に覆われていたわけだから、原材料の入手は簡単ですか。どんぐり採集にいそしんでいたら、同じくどんぐりで冬に向けての脂肪蓄積に励んでいたイノシシどんかツキノワグマどんと鉢合わせとかしてそうですが。

インドの主婦が様々なスパイスを、平石の上にこぶし大の石をすり合わせるやり方ですり潰すのを見ますが、たいへんそうです。あれに比べればすり鉢ですら知恵と技術の集積ですね。すり鉢を焼成する温度は素焼きの温度とは比べ物にならないし。だいたいあんな丸い形に成形するにはロクロがいるでしょう。中の溝を切るのもたいへんそう。うわああ、そう考えると、現代の生活ってほんっとありとあらゆる技術の集積で成り立っているんだなあ。ありがたいよなあ。

よく「どんぐり笛」を作りましたが、あれはどんぐりの尻のほうの皮を根気よく石にすりつけて磨耗させないとできないんですよね。そのあと中の身をほじくり出して唇に当てて「ホー」とも「ピー」ともつかない音をたてる。この皮がなかなか固いんですわ。1時間も2時間もかかって途中で飽きて放り出したりしました〈あたしってやつは昔っからもー)。

おかげで、思わず「テクノロジーの歴史」などという柄にも合わないことに想いをはせてしまいました。

芋虫

Nec_0046正真正銘、カライモ畑から這い出てきた芋虫くんである。

浅学にしてこの種類の芋虫が何という蛾の幼虫であるかは知らない。こういうのに詳しい人は詳しいなあ。尊敬いたしますです。

と、ここからはご飯前の方はご遠慮ください。ご飯を召し上がってちゃんと消化してからごらんください)

小学校の近所に大きなカライモ畑があって、今から10月ぐらいまでに、大人の親指ほどの太さで10-14cmはあろうかという巨大芋虫が道路に這い出してきていた。もう、あまりのでかさに「通常の芋虫とは違う生物であろうか?」と一瞬錯覚するほどである。でかさもでかいが、その色と模様が・・・。赤、緑、黄色、オレンジ、茶色、黒、ありとあらゆる極彩色の模様がその巨体を彩っていた。 ホラー映画の悪夢の生き物のようである。最悪なのは何十匹も道に這い出したきゃつらを、通りすがりの車がひき殺していくことである。いくら巨大とはいえ所詮は芋虫、あえなくつぶれて緑色の体液を飛び出させた死骸が道路中に残ることになる。げええええ。

小学生の頃、その道路を通ることがイヤだった。しかし家への道はそこしかなく、芋虫の死骸をよけよけジグザグに通って帰った。

このごろ、あの巨大な芋虫を見ない。農薬の影響だろうか。あんなにイヤだったのに、みなければみないで淋しいような・・・。カライモを作ってらっしゃる方からは、ふざけるなと怒られることだけれど。文字通り丸坊主になってたもんな。

2005年9月29日 (木)

移植ゴテ

Nec_0045 「ローテク万歳グッズ・その2」であります。

移植ゴテ便利です。文字通り植物の苗の移植、ポット植え、ちょっとした草取り、追肥、堆肥のかき混ぜ、種や苗を植えるライン決め、ジャガイモなど根菜類の堀上げ、ありとあらゆることにこき使っております。

今しがたモモの散歩のお供の際に、これがモモのウンコ〈失礼)の始末をしてきました。たいへん丈夫で長持ちな働き者です。

ステンレスの表面に「第35回・熊本営林局植樹祭」というマークが入ってます。いまや「35回」が何年のことなのか、「熊本」のどこの「植樹祭」だったのか誰にもわかりません。

紫苑

Nec_0043 紫苑の花が咲いた。

お知りあいからいただいた株なのだが、台風で倒れたのにもメゲず花をつけてくれてうれしい。

「紫苑」といえば、昔「やおい」今「ボーイズラブ」という少女マンガの一分野の創生期に、同人誌やなにやかやで、やたらめったら「紫苑」という名前の美少年が出てきてたような・・・。あと「ぼくの地球を守って」(日渡早紀著・白泉社)の「紫苑」ね。なんでこんな可憐な花の名前を、あんな暗くて屈折して世をすねた少年たちの名前に付けるんじゃ?と思うてました。今はさすがにそんなこともないですが。

(ご本人及びご親族ご友人の名前が「紫苑」の方、ごめんなさい。暗くて屈折して世をすねているのは、あくまでマンガの登場人物のことなので・・・。)

2005年9月28日 (水)

陰明師

Nec_0021 京都に住んでいた頃、祇園祭の日に町衆の家の娘さんに、客としてお呼ばれしたことがある。ホイホイと行って出されたご馳走をたいらげて帰ってきた。今考えてみてもつくづく恐ろしい。学生というものは、田舎者というものは(というよりわたくしは)、ほんとうに世間知らずであった。「京都人に『ぶぶ漬け食べとくなはれ』と言われたらそれは『帰れ』の意味である」という常識を知らなかったのである。その家は応仁の乱(!)から祇園の町衆(!!)を続けている家で、祭りの日に通りに向けて戸が開け放たれ、素人目にも何やら由緒ありげな屏風とか、陶器とか、掛け軸とかが飾られていた。鱧の吸い物と節竹入りの羊羹を生まれて初めて食べた。ありがたいご好意であり感謝しているが、どうしても「あとで『せやから田舎モンの子ォは・・・。』と言われたんじゃないか?」と思ってしまう。長く住むうちに裏がだんだん見えてきたのだ。

その京都の美意識を完成させたのが平安時代であり、平安京である。「陰明師」(岡野玲子著・全12巻・白泉社)は、平安京を描いた傑作だ。

大ヒットしてしまったので、その後雨後の筍のように「陰明道もの」がでたが、これを超えるものはない。それほど綿密であり、思考は深く、なおかつ美しく強い。その強さを支えるのが主役二人のバランスの妙だ。「陰明師という職業柄、常にクールでニュートラルであり続けなければならない」阿倍晴明だけではこの強靭さはありえなかった。「楽の申し子であり鬼や妖異にすら決して揺るがない純粋さを持つ(ときにそれは暗愚にすら見える)」源博雅の存在があって、初めてこれほど強く深く美しい表現をなしえたのである。

やっぱなあ、クールでカッコよくて洞察力がある人間だけじゃ、話に深みがなくなるわけよ。博雅みたく良くいや純粋、悪くいや鈍感な人間があって、初めて洞察に意味がでてくるし話も進むってもんよ。世間知らずの田舎者だからこそ怖いもの知らずで町衆の家なんかにノコノコご馳走食べにいけたわけだし。って言い訳してどうする。博雅ほど純粋じゃないくせに。

晴明の妻となる見鬼(鬼を見る能力者)のくせにリアリストの真葛、藤原氏の頂点を狙ういかにも京都人らしい貴族の中の貴族兼家、晴明に懸想し続ける陰明博士賀茂家の嫡男保憲などなど、脇役もみな魅力的。岡野玲子氏のマンガは、絵も言葉も視点もキャラ設定も氏独特の色とリズムがあり、はまるとこれがたまらん味になるのである。

味と言えば、でてくる平安時代の食べ物という食べ物がそりゃもうおいしそうなのである。鮎とか銀杏とか茸とか栗とか真桑瓜とか、当時の食生活をかなり正確に再現しているのだが、むちゃくちゃおいしそう

晴明と博雅が、雨乞いのために瓜を持って、北は若狭から南は吉野まで水の霊場を巡る旅をする8巻「太陰」が一番好きである。               

ナナフシ

Nec_0042 ナナフシである。

パプア・ニューギニアだったか(うろ覚え)、孟宗竹並みの太さで30-50cmの長さの巨大ナナフシがいるそうだ。しかも現地ではそれを蒸し焼きにして食べるそうだ。「淡白でうまい」のだと。カニみたいなものか?同じ節足動物だし。食べてみたくはあるぞ。

うち近辺のナナフシは、爪楊枝程度、せいぜい竹串である。捕まえるとぽろぽろ足が取れる。かわいそうなのでほっとく。するとときどき家の中にも出没する。

2005年9月27日 (火)

秋ウコン

Nec_0037

ウコンの花が咲きましたです。

ハマユウに似たいい香りがします。

秋に花が咲く種類は「秋ウコン」と申しまして、いわゆる「ターメリック」です。カレー粉の黄色成分です。肝臓の薬、二日酔いの薬としてあまりにもメジャーになってます。試みにYahoo検索してみたらスポンサーとショッピングサイトだらけでした。ほえええ。

今のところ家族内に肝臓を患っているものもなく、わたくしも酒を嗜みませんので二日酔いも知らず、根を掘り返したことは一度もありません。カレーは大好物ですが、ウコンを掘り返して混入するほどの根性も執着もなく、「インドカレー」のルーか、「カレー粉」を使用しております。凝るのは投入する野菜のほうですかね。かぼちゃ入れたり、トマトとナスで夏野菜カレー、豆カレー、ほうれん草・・・。

よって、うちのウコンはもっぱら観賞用です。ほったらかしともいいます。

17年前に亡くなった祖父が植えていた株です。うううむ、つくづくありがたいことです。

ネズミモチ

Nec_0038  台所の大黒様にお供えする木でございます。

「古事記」によれば大黒(オオクニヌシノミコト)様とネズミは深い縁があるのです。

オオクニヌシ様がお兄様たちの陰謀によって、草原で四方から火を放たれて、あわや蒸し焼きにされようかという危機に、ネズミが現れて「内はほらほら、外はすぶすぶ。」(ここは原文のままです。『ほらほら、すぶすぶ』って、『古事記』のくせにかわいいぞ)と申しましたそうな。とっさにオオクニヌシ様が足元を踏みつけると、地面に入り口が狭くて中が空洞になっている洞穴が出てまいりました。すぐその中に潜り込み、炎から身を遠ざけることができたのでした。それ以来ネズミはオオクニヌシ様の使いとなったのでございました。

「古事記」の中でもオオクニヌシ様の逸話が一番おもしろうございます。陰謀、智謀、恋愛、―――。恋に真剣で実に熱心に口説かれますが浮気者の子だくさんで、根はまじめなのにトラブルの絶えない、まことに人間くさいお方で―――。ネズミモチの実が強壮・強精の妙薬なのも暗示的でございます。

2005年9月26日 (月)

廃屋

鹿児島市北部山中の廃屋であります。この一角3軒とも誰も住んでません。昔の造りなので、柱も梁も大きくて、天井も床も高いです。いい板使ってます。周りは森なので夏場は涼しくクーラー要らず。静かでペット飼い放題。それなのに見捨てられたこういう家が鹿児島中、日本中にあるんだろうな。家がかわいNec_0034そうで泣けてきます。

Nec_0036Nec_0033

日置の家が放りっぱなしだったとき、一番心配だったのは火事。鍵なんか掛かる家じゃなかったので、「誰かが入り込んでうっかり火でも焚かれたらどうしよう?」「漏電だって心配だ」「子供が入り込んで火遊び」・・・

「子供」といえば、なにせ畳ごと床下地面に落ちるぐらい床が腐っていたので、「ご近所の子供さんが探検に入って、床下に落ちたり釘を踏み抜いたりで怪我したらどうしよう?」という心配もあったな。あと、考えるのもイヤだけど「不埒なこと目的に子供さんを連れ込むバカがいたらどうしよう?」とか。

仏壇の花を常に新しくする習慣が身についたのはこのときからです。花が新しいとその家の人間がこまめに来てるとわかるでしょう?線香の匂いだって人の気配になる。侵入者は長居できませんよね。

不動産屋の回し者でもなんでもないですが、「田舎の家」ブームなのはすごくいいことだと思います。「週末田舎」でも「月2田舎」でもいいから、そういう家を持つ人が増えて、廃屋になりかけている家が甦ってくれる。地域も安全になる。持ち主も都会の憂さを忘れることができる。いいことづくめ。

柄杓(ひしゃく)

Nec_0032 市立科学館でプラネタリウムを見ていたら、北斗七星の説明がありました。

「――最近は『柄杓(ひしゃく)』という言葉も通じなくなってきて・・・」まじっすか?このシンプルな形、なのに多機能なお役立ちぶり、ローテクノロジー万歳ちゅうかそれしかできません人間としては、重宝で大好きな道具なんすけど。

これは祖母の代から20年使っているブリキに木の柄のついた何の変哲も無い柄杓ですが、玄関の打ち水に、植物の水遣りに、モモや地鶏の水桶の水追加に、さらには卵回収のときの地鶏くんの「キック攻撃」や「突くじり攻撃」を撃退しつつ、届かないところの卵を引き寄せてくれるという優れものです。

納屋には汲み取り用の大柄杓と天秤棒に汲み取り桶二つ、というスペシャルな道具もあり、「ローコストで畑を肥やすということは、これも使わんないかんいうことかのう・・・」と思う昨今であります。いや、マジで。