椿屋敷のお客様

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2006年9月

2006年9月12日 (火)

黒い蜘蛛

Nec_0068_1 夜中に目覚めてトイレにいったらば、トイレの前廊下にアシダカグモのメスが卵嚢を抱えてうろうろしていました。その大きさ優に手の平サイズ!あまり真夜中に見たいシロモノではありません。

アシダカグモは実はゴキブリを食べてくれる益虫。いじめると噛み付いたりするけれど、基本的には恐ろしげなカッコウに似合わぬ平和主義者。だいたい蜘蛛の仲間で人死にが出るほどの毒を持つのはセアカゴケグモぐらいといいますね。タランチェラもカッコばかりで、それほど危険ではないそうで・・・・・。

でも特に西洋じゃ、蜘蛛って嫌われてるみたいだなあ。昔、「黒い蜘蛛」(スイスの牧師・ゴットヘルフ作)って小説を読んで、むちゃくちゃ怖かった覚えがあります。あんまりキリスト教圏のホラーって怖いと思う事がないんだけれど。これはマジで怖かった。

横暴な領主に苦しめられるスイスの農村が舞台で、その領主の過酷な治世に疲れきった農民たちが、一時的に税と苦役を逃れるために悪魔と取引をしてしまう、と。代金は洗礼前の赤ん坊。みなこれが罪だとわかっているんだけれど、「悪魔なんかごまかせばいい。いざとなったら自分たちが苦しむより、何も知らない子供を差し出してしまえ。」と、危険な契約を交わしてしまう。よくある集団心理よな。その契約書は村の一人の女の頬に悪魔がしたキス。そのあと子供が産まれるたび、二回三回と悪魔を欺くたび、女の頬のキスの痕に大きな黒い蜘蛛の形のあざが浮かび上がってくるわけよ。

やれオソロしや、その女は頬の蜘蛛に突き動かされて、村に産まれた新生児を悪魔に引き渡そうとする。その現場を神父様に押さえられ、聖水をかけられたところが体がちぢんで黒い蜘蛛になって!!

それからその村では、家畜が人が、黒い蜘蛛に襲われるようになってしまう!蜘蛛が触ったものすべてが、黒く焦げて高熱を発し、体中が真っ黒になって死ぬ・・・・・(今にして思えばこれは黒死病の暗喩?)。どんなに逃げようとしても黒い蜘蛛からは逃れられない。逃げた先で黒い蜘蛛は静かに待ち構えている(この待ち伏せの描写が怖かった)。むちゃくちゃを言って村民を苦しめた領主や騎士たちも、ある日城に現れた蜘蛛の一走りで全滅。悪魔は契約の履行を迫っている。「洗礼前の子供を引き渡せ。」と。

恐怖に震えるのみの村人たちの中で、ただ一人子供を思う母親だけが立ち上がった・・・・・。

なにせこちとら仏教徒でございますからして、キリスト教の神や悪魔がいまいちピンとこないんで。「悪魔払い」とかちーとも怖くないんですが。この場合敵が「蜘蛛」でござんすからねえ。うちにはアシダカグモがうろうろしているし。じわりじわりと静かに村人を追い詰める蜘蛛の描写がか~なり怖かった。

大人になってから読み返してみると、村人たちの集団心理、とくに「スケープゴートを出せば済む」とか「自分さえ良ければ他人はどうでも良いエゴイズム」とか「契約の怖さ」が細かく描かれていて、こういう人の心の恐ろしさがあって初めて蜘蛛が恐ろしいのだと、やっとわかりましたです。

本当に怖いのは化け物全とした蜘蛛ではなく、人の心。こわ~~~!

腕枕

Nec_0067_2 今朝などだいぶ涼しゅうございました。

猫というものはほんに身勝手なもので、明け方気がついたらドリアン(アメリカンショートヘアーのハーフ・13歳・じじい)もジョー(ヤス猫・12歳・じいい)も断りもなしに布団の中に潜り込んでいやがりました。

昨日まではだらだら寝転がって呼んでもきやしなかったくせに、猫など身勝手なものです。もっともこちらも夏でも毛だらけの頭やら腹やらを押し付けられるのは勘弁して欲しいので、両者の思惑は一致してはおるわけです。

今朝は夏掛けの布団では寒かったので、猫の体温はありがたいといやありがたかったな。ただ、ドリアンは甘やかして育てたせいか「だってボク枕ないと眠れないもん」などと人の腕を何が何でも枕にしようとするのであります。勘弁してくれ。ドリアンは小柄だけれどそれでも3kgはあるのです。3kgといったら漬物石ですよ漬物石。肩に漬物石を載せて眠れますか?その上ジョーは人の腹の上に乗って眠るのがお気に入り。ジョーは4kg以上あります。みぞおちに乗られると消化不良になるわい。

久々に猫と寝て、ぼんやりと目覚めた今朝。多少まだ涼しいのでこうやって座っていても、いつの間にか猫が膝に座っています。

猫の変節。

これまた季節の移り変わりを肌で感じさせてくれる、風物詩ではございますよ。

2006年9月11日 (月)

MOONLIGHT MILE・13巻

Nec_0065_1HⅡ-Aロケット10号機の打ち上げが成功しましたね! こいつはもうハナから「偵察衛星である」と日本政府が公言する衛星を打ち上げるためのロケットでした。

とりあえず情報を手に入れようとする姿勢や良し。情報無くして外交無し。ろくな情報も無しで武器を持つほど危ない事は無い。それこそキチガイに刃物。必要なのはいたずらに強大な軍事力でなく、「必要で正確な情報を収集分析して応用する力」でしょう。

スペースシャトルの打ち上げも成功し、5年ぶりに宇宙ステーションの建設も再開されるのですと。ンマー――、まんまMOONLIGHT MILEの世界やん。わたくしが生きてるうちに一般人も月に行ける世界になるのかね。ちゅうても今のところあまり行きたいとは思いませんが。MOONLIGHT MILEで吾郎のおかあちゃんが言ったように「月が普通のおばちゃんがうようよ住めるような」社会になったら考えないでもないけど。うううううむ、こういう表現ができる太田垣康男氏、やっぱり只者ではないんだよな。

というところで「MOONLIGHT MILE・13巻」(太田垣康男著・小学館)です。

この話の中ではHⅡ-Aが、主人公の吾郎を乗せて日本発の有人ロケットを成功させてますね~。おめでとうございます。プロジェクトX的ロケットバカオヤジたちの執念も実り、巨乳自衛官のかおりちゃんと、エンジニアの耕介くんはいつの間にか仲良くなっちゃって(ほんといつ仲良くなったんだ?)打ち上げを見ながら手なんか握り合っちゃってるし。

いつの間にかと言うならば、ファティマが地上勤務から復活して、またまたロストマンの愛人兼秘書官になっちゃってるし(ロストマンてほんとに非情なの?甘いじゃんよ。それともただの女好き?)。概してこの巻はつなぎの巻みたいな話の薄さだったな。いや、充分感動的は感動的なんだけれど。なにせ太田垣氏のストーリーテリングぶりはいつも凄いから。「最後の最後にだいぎゃ~くてん!」てのが今回無かったのが、印象の薄さの原因かしら。

次の巻では「理代子アンドベビーと吾郎月で感動の対面!」てシーンが来るだろうから文句無しに盛り上がるだろうけれどね。なんか、その前に吾郎月の保安官役をロストマンから押し付けられております。おやおやビルディングスペシャリストから保安官かよ。

実はスペりオール誌上では、月に中国も進出しようとしているところで、例のあのキャラが再び登場しています。激突するアメリカ宇宙軍と中国宇宙軍?どうなるのかしら?そんな中で「人殺しをしない吾郎」がほんとにお巡りさんみたいな汚れ仕事ができるの?理代子は帝王切開でベビーを産むらしいし、ジャーナリストのマギーはあいかわらず切れる頭でいろいろ画策しているらしいし、こりゃ次巻の盛り上がりに期待だな。

紫苑の花

Nec_0064_2 今年も紫苑の花咲く季節になってまいりました。

去年も申しましたが「紫苑」の名は、一昔前はよく怪しいボーイズラブマンガの根暗な一癖ある美形少年の名前に使われていました。「なんでこの花の名前がゲイの話にこんなに使われるんだろうか?」といつも考えておったのですよ。(まったくくだらんことに頭を悩ませることよ)

漢字の字面が「紫」と「苑」なのも、そこはかとなく高級感やノーブル感を漂わせていますが、なにより「シオン」という言葉の音の感じが「反逆の美少年・ちょっと国籍不明の異教徒っぽいよ。」という意味を誘発しておるのではないかという結論に達しましたです。

なんといっても「シオン」は、「シオニズム」の語源にもなったイスラエルの聖地「神殿の丘」の別名です。旧約聖書に出てくるぞ。一説によれば「祇園神社」の「ギオン」の語源にもなったといわれる世界史的に年季の入った言葉なのです。

ご存知のように、ユダヤ人は国を失ってから2千年世界中を彷徨った民族です。いろいろひどい差別も受けたし、異教徒として虐殺の憂き目にも遭ってます。にもかかわらず昔から知恵とか富とか(要するにノーベル賞とか銀行とかダイヤモンド市場とかね)の動く場所を占めていて、カバラやオカルトの神秘主義の秘密も知っている(と思われているらしい)。

そんなこんなの二千年に渡って積み重ねられてきたイスラエル的な意味が、この「シオン」という言葉には込められておるのではないかと。

その意味の濃さが醸し出す雰囲気が、日本のボーイズラブを愛好する女たちの琴線に触れたのでありましょう。なにせボーイズラブの分野ほど「『お耽美』がすべて」で「宗教やイデオロギーが話の味付け以外の何の意味も持たない。はっきり言って無効」になる世界はないからなあ。重い言葉であるはずの「シオン」が軽くなる、軽くなる。いや、その無責任さこそが「平和である」ということで実に素晴らしいことだと思っているんすけどね。

2006年9月10日 (日)

うっきうき

Nec_0063_1秋の植付けシーズンがやってきますねえ!

もう、うっきうき!

今日は鹿児島市吉野町近辺の園芸者御用達の店、ホームセンター滝の神に苗と種を買いにいきました。とりあえず9月に植えるものを。来月には木市も出るし、楽しいシーズンの始まりです。

種買ってきたのはいいんだけど、畑の草とって耕して肥料入れなくちゃ。夏の間に鶏とヤギのウンコを溜めてあります。今こそこれを使う時がきたのじゃ!

ドミノ

Nec_0062_3昔京都に祇園会館とみなみ館という名画座があり、学生時分毎週末にオールナイト3本立てを観に行ってました(当時は徹夜も大丈夫でした)。 一生で一番映画を観た時期でしょう。

すでに重症のマンガ・ジャンキーで活字中毒者だったので、自分が好きなマンガや小説を「どうやったらおもしろい映画にできるかなあ。」と、勝手に監督や俳優をキャスティングして楽しんでました。映画好きがよくやる遊びだよなあ。

今はもう映画どころかTVもほとんど見ない生活になってしまいましたが、マンガと本はあいかわらずなので「これは!」という作品に当たると「ええっと、映画にしたほうがおもしろいかな?それともTVドラマにしてじっくり見せたほうが・・・」などと勝手な事を空想することはよくあります。それで、今一番「映画化したらおもしろいのに~!」と思うのがこれ。

「ドミノ」(恩田陸著・角川書店)。

これはね――――!おもしろいよ――――!!文字通り大笑いするぞー――!!

SF作家筒井康隆氏が始めた、スラップスティックという群像ドタバタ劇とでもいうべきジャンルがあります。「ドミノ」はそれの無二の傑作です。恩田陸氏の作風は通常ホラーやミステリーに近いので、こげなお笑いの傑作を書けるとは本当にたまげました。恩田氏いわく「恐怖と笑いは近いところにある感情」なのだそうですが。

群像劇なので登場人物がやたら多いです。しかし、この小説の真の主役は迷路のように入り組んだ構造を持つ東京駅。その東京駅の構内で、夏のある一日に起こった世にも稀な大騒ぎをいろんな切り口でいろんな視点からあますところ無く書くという手法をとってます。

なにせこの事件に関わったのが

  1. 営業成績に追われる保険会社の社員たち
  2. その保険会社の契約書を届けてくれる元暴走族の千葉のピザ屋たち
  3. そのピザ屋を追いかける千葉県警の巡査たち
  4. その保険会社主催のミュージカルのオーディションを受けている子役志望の女の子たちとその親たち
  5. 別れ話を東京駅の喫茶店でしようとしている銀行員と青年実業家と画廊に勤めるその従妹
  6. 学生ミステリ連合会の会長の座を争う学生たち
  7. 熱狂的ファンを持つアメリカ人のホラー映画監督とそのペットと通訳を務める霊感女
  8. TVキャスターとそのスタッフたち
  9. ネット俳句の会の茨城の農家と元警視庁OBたち(全部じじい)
  10. 時限爆弾を東京駅に仕掛けようとしているドジなテロリストたち

ざっと、数えただけでもこれだけの登場人物。普通これだけ人間が出てきたら話がごちゃごちゃして訳がわからなくなるんだけどなあーー。恩田陸はすごいぞ!すべての登場人物と状況を、生き物の内臓のように入り組んだ東京駅の構内で絡み合わせ、ダイナミックに動かし、さらなる大笑いの渦に叩き込んでくれるぞ。それでありながら非常にシンプルでわかりやすい。タイトルの「ドミノ」は、このたくさんの登場人物たちが、まるでドミノ倒しのように関わり合い干渉しあいながら、とんでもない方向へ状況を運んでいくことからつけられたのでありましょう。

恩田氏も「リストの端から端まで」読んでしまうリスペクトする作家ですが、こんなお笑いモノが書けるとは思っていませんでした。小説を読んで思わず声を出して笑ったのは本当に久しぶりです。とにかく読んでみてください!このおもしろさをぜひ誰かと分かち合いたい。

それで誰かこれを映画化してくれないかな?ほとんど東京駅構内の話なので予算もかからないと思うんだけれど。あああッ日本だと公共の場での撮影の許可がでにくいのか?なんとかそれをクリアーして、誰か、誰かこれを映像化してくれえええ―――!!

2006年9月 9日 (土)

葛籠はいずこ

Nec_0059_2今年もアオツヅラフジの実がなっておるんであります。

アオツヅラフジは「青葛籠藤」で、要するに葛籠(ツヅラ)をこれで編んでおったわけですよ・・・・・って久しくツヅラを見ません。舌切り雀のお話の中ぐらいにしか出てこなくなりました。「欲深ばあさんは雀のお宿からしめしめと大きい葛籠を持って帰りました。家で開けてびっくら仰天!葛籠の中から百足や蛇や蜂などのたくさんの毒虫があふれでました・・・・・」というやつ。当時はごくごく一般的な家庭道具だったんでしょうな。そらそうだ。アオツヅラフジなんてそこらの山にわんさか生えているもの。籠編みの技術さえあればタダでどんどん作ることができたんでしょう。

今ツヅラに近いものは100円ショップにありますね。材質はコーンやヤシや籐やいろいろですが、おそらくインドネシアやベトナムなんかの東南アジアから二束三文で買い叩いてきたであろう籠製品の数々。無造作に山積みしてあります。

「籠を編む」作業はかなりの熟練と手間がかかる仕事で、ちょっとしたゴミ箱を編むのもそうそう簡単にはできるもんじゃないです。山積みにされている籠も全部とても綺麗に仕上げてあります。かなり神経を使った手仕事です。

むこうは日本以上にこの手の蔓草が繁茂しているでしょうから、材料はタダみたいなものでしょうが・・・・・なんだかね。そんなふうにあちらさんの人や自然を浪費して大丈夫かよ。気がつかないうちに「欲深ばあさんの強欲」やってるんじゃないか?「あるもの全てを根こそぎするとロクなことが無い」という教えだぞあれは。

祟りがくるぞ。

2006年9月 8日 (金)

タラノキの花

Nec_0061_1 うちのタラノキのおおもとは、もう6年ぐらい前に1mぐらいの木をもらってきて植えたやつなのです。それがいまや3mを超えていて、春のタラの芽シーズンにもとてもとても手が届かない高い場所に新芽がでるので、ほったらかしにしております。

すると花が咲くんですよね。今もまったく手の届かない場所に、白く細かい花がわんさかと咲いています。この花がもうすぐ黒い種になってそこら中にばらまかれ、来年の春にタラノキとして芽吹くわけです。おかげさまでこのタラノキの周りは、特別に手をかけているわけではないのに春にはタラの芽だらけになります。まったくもってありがたいことです。タラの芽の天ぷらは春に飽きるほど食べました。おいしかった。

来年もまた、じゃんじゃか芽をだしてね。

実生の茶の木

Nec_0060 夏の終わりにはっと気がつけば、去年ばらばらと蒔いておいた茶の実から芽がでているではありませんか!忘れた頃に出てくる茶の芽。

うはははは、たまりません。

自家製茶を作るのにもう少し茶の木を増やそうと思っているのです。「手摘みにするなら挿し木より実生のほうがいい。実生だと新芽の出る時期が木によってずれるので、細く長く新茶を楽しめるから。」と聞き、「な~るほど!」と膝を叩きました。まったくなんにでも、うまいやり方があるものです。なんにせよ茶の実はただ。蒔くのもただ。必要なのはときどきの草取りと5~6年の長いスパンで考える気の長さだけ。

昔はとにかく「早く、早く結果が欲しい」と思ってました。

それって結局焦った分だけ損。「急いては事を仕損じる。」バタバタしてちゃロクなものが手に入らない。

やっと今、それを心から納得しているところなのです。

2006年9月 7日 (木)

豚味噌

Nec_0058_2これが嫌いな薩摩人はいない!薩摩のふるさとの味、豚味噌でございます。

厳しい鹿児島の夏を乗り切るのに、これほど心強い見方がありましょうや! おいしいですよね~。栄養もたっぷりだし。食欲が無くてもこれをご飯に乗っけたら必ず食べる事ができます。それぞれの家でレシピがあると思うのですが、我が家ではとにかく刻みニンニクと黒砂糖をたっぷり入れます。ピーナッツを入れたりネギを入れたり、いろいろ聞きますがみなさんのお宅では豚味噌はどんなふうに作ってますか?

お客様のclusterさんちは食の玄人の家なのですが、豚味噌の評判もいいんですって!どんなんだろう?食べてみたいです。clusterさん!