椿屋敷のお客様

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2006年9月

2006年9月18日 (月)

屋根は無事でした

Nec_0004_19 台風は鹿児島をかすめて去っていきました。いっとき雨風は激しかったものの夜半には落ち着きました。大事にならずよかったです。しかし、宮崎の竜巻などで亡くなった方もおられます。心よりご冥福をお祈りいたします。

さて、大風が吹いて一番心配だったのが、「若鶏小屋の屋根が吹き飛ばないか?」でした。鹿児島ではとにかく台風が来る確率が高いので、何を作るにしても大風が吹くことを計算に入れないと大変な目にあいます。

それで若鶏小屋は南側にヒトツバの密植、北側にモミジの密植がある2m四方の空き地に据えました。生きて根を張っている樹が結局一番風に強いと聞いたからです。

今回の台風で、もっとも風雨が激しい時間に若鶏小屋を見にいってみると、おかげさまで屋根は無事でした。うむうむ。驚いた事に周辺に風がビュービュー吹きまくって、人間の髪も服もバタバタ吹き飛びそうにはためくのに、その2m四方だけは静かで、髪も服も何事もないように納まります。樹があるって大きいなあ!

前にも書きましたが、伝統的に鹿児島の庭はヒトツバ(イヌマキ)を密植した生垣を作るし、日本三大砂丘の吹上浜では防風と防砂を兼ねた松林が植えられています。からっ風で有名な群馬では樫の生垣を作るといいますね。ほんとうに風に対して生垣はかなり効果的なんだなあ。

ちょっと今、4~5年がかりで、庭と畑全部をカバーする生垣をなんとかできないか考え中です。

2006年9月17日 (日)

動かざる事山の如し

Nec_0006_19猛烈な台風13号が薩摩地方に接近中。風速はすでに20mを超え、断続的に激しい雨が降っています。

動物たちも人間も浮き足立つ、暴風雨がやってきました。

その中でただ一者、抱卵中のアロウカナ×烏骨鶏夫人は微動だにしません。ひたすらに籠の中の卵の上に座り込んでいるのみ。

「動かざる事山の如し」とは彼女のための言葉です。

雨天決行

Nec_0005_18 今まさしく台風13号が南九州を席捲しようという今朝七時、町内会の草刈がありました。

雨が降ろうが槍が降ろうが、強い勢力の台風がすぐそこに迫ろうが、秋のお彼岸前の墓周りと町道の草刈をなにがなんでも決行する、まっこち鹿児島の町内会です。みんな雨合羽と長靴で、草刈機を回したり、レーキで草を集めたり、軽トラックに草を積んで運んだり・・・・・

すでに雨は降り出しているし、風速も10mぐらいは出てきてるというのにだよ。誰も止めようといわんのです。まったくもってここは鹿児島じゃ。

もっとも1時間の作業ですっかり町内は綺麗になりました。明日から秋の彼岸。やっぱ、薩摩人として「彼岸には墓周りは綺麗にせんといかん」わけですよ。無事に終わってよかった。

この草はもらってヤギに食べさせよう。

2006年9月16日 (土)

鉄かぶとカボチャ

Nec_0002_23まったくもって迂闊千万な事に、今年はえびすカボチャの芽を全部鶏に食われてしまったのです。よそのカボチャは結構できがいい年だったので、くやしいったらありゃしない!

カボチャは好物で、特にカボチャを使ったお菓子が大好きでして・・・・・。パンプキンプリン、カボチャのパウンド、カボチャスコーン、パンプキンパイ、・・・・・これからの季節、ホクホクほろほろの甘~いカボチャを使ったお菓子の数々のために、どうしてもたくさんのカボチャが必要。それも、えびすカボチャが好きなのです。栗みたいにホクホクで甘くておいしいもん。

リベンジ じゃ――!とかいいながら、11月取り入れ予定のえびすカボチャの苗を二本植えました。でもまだそれは苗なので、まだ実の影も形もないの。

写真のカボチャは、そらもうカボチャがよくできたお隣からいただいた鉄かぶとカボチャ。鉄かぶとカボチャもなかなかにおいしいです。お隣を通るたびにたへんな勢いで蔓を伸ばしているカボチャがうらやましかったよ。

残り福のえびすカボチャよ、どうぞ今度はよくできますように。

彼岸花

Nec_0001_24 秋の彼岸を目の前にして、彼岸花が咲き出しました。

まったく毎年毎年律儀なもんです。

季節の温度変化で花芽を作る植物と、日照時間の変化で花芽を作る植物があるのですが、たぶん彼岸花は日照時間で作るタイプじゃないのかな。そうでなきゃこうまで正確に秋分の日近辺で花は咲かせないでしょう。

根にアルカロイド系の毒があるので、墓の土止めと犬避け(昔は土葬で野犬がいたので油断していると死体を掘り返されて喰われた)に墓周りに植えられたり、畑や田んぼにモグラが入り込まないように畦に植えられたりしたせいで、墓周りや田んぼ畑周りに自生しております。

毒には毒の使い道があるってこってすね。

そういえば明日は朝7時から町内会で墓周りや町道周りの草刈です。昨日は自分のぐうたらのツケで走り回ってくたびれましたが、そんな事もいっていられない忙しい秋になってまいりました。

2006年9月15日 (金)

ニラの花

Nec_0073_2ニラの花が咲いております。

存外にかわいらしい花でございますよ。

九月に入り風が涼しくなってきたのに、夏の盛りの怠け癖がそのままで、ぐうたらぐうたらしておりましたら、そのツケが回ってきまして。

今日は片付けねばならない用件が目白押しでございます。

自業自得じゃ。

2006年9月14日 (木)

ローズマリーの花

Nec_0074_2 「幸運を呼ぶ花」ローズマリーの花が咲きました。

『「ローズマリー」の名は古代ラテン語の「ロスマリス(海の雫)」に由来する』のだそうです。古代ラテン語とか言われてもねえ。とにかくラテン語が使われとった時代(ローマ時代か?)からある、古いハーブには間違いございませんな。

なにせ匂いがいいですからなあ。用途がすごいよ。強壮・利尿薬・香料・健胃・駆風・鎮痙薬・胆汁排出促進薬・防腐・通経・・・・・数え切れないほどですがな。まだまだあるぞ、塗擦剤に入れて神経痛に、希釈して防腐性のうがい薬に、葉は肉料理に、精油は化粧品に、浴用剤に、芳香剤に。

(枝を切ってそのままオリーブオイルにつけておくと、くらくらするほどいい香りのローズマリーオイルになります。鶏の丸焼きを作るときに、塩とコショウとバターとローズマリーをすり込んで焼くとバカうまです。)

こんなにお役立ちのハーブなのに、赤字で注意書きが。「精油は内服してはならない。葉も大量に用いると有毒で、流産、痙攣を起こすときがある」ですと!毒と薬って紙一重だなあ。

イヌマキの実

Nec_0071_2 イヌマキの実が成っています。

イヌマキは鹿児島弁で「ヒトッバ」といいたいせつな庭木です。余所の土地なら松を使うところを、ヒトッバを使うのが薩摩の庭だからです。

知覧や出水の古い武家屋敷に行くと、そらもう年季の入った、ヒトッバの生垣や屏風作りや、なにやかやと作ってある樹を見ることができます。松より葉の幅が大きく、緑豊かなヒトッバの樹の庭は、松の庭より薩摩の風土によく似合っています。松ってカッコいい樹だけど、なんというか「生きながら枯れている」ところがあるじゃないですか?大雨がじゃんじゃか降り、大風がびゅーびゅー吹き、温暖で、緑が黒く見えるほど植物の繁茂する、生命力の強い土地柄では、松より断然ヒトッバなのです。余所の土地に持っていくと田舎臭く見えるであろう無骨な樹なのですが。薩摩の庭にあると凄くはまります。

ヒトッバの実は写真のようになかなか色鮮やかでかわいらしい実をつけます。でも、赤いところは花托で、青いところが実らしいけれど。赤いところは食べられん事もないです。青臭い味がします。

2006年9月13日 (水)

秋胡瓜

Nec_0069_4秋胡瓜の実が成り始めました。

「霜知らず!霜が降りるまでは成り続けます。」という売り文句が種袋に書かれている秋胡瓜。

ハウスで作るわけでなく、あくまで露地植えで11月ぐらいまで実が成るらしいです。品種改良って凄いですね。キャベツなんかもそうですが、今はいろんな野菜にいろんな品種が開発されて、かなり長いシーズンを露地植えでカバーできるようになってきています。温度とか日照時間とかを測りつつ、適正な種を何代にもわたって選んでいくのでしょうか?考えるだに気の遠くなるような作業です。

一番果をサラダにして食べてみました。サクサクとして水気があり、胡瓜の香りがしてむちゃくちゃおいしかったです。

クローン

Nec_0070_2カラスウリてのは、今の時期に蔓の先を地面に潜らせて根茎にし、更なる繁殖を図るそうです。実もじゃんじゃか成るしなァ。鳥が良く食べるし種からの繁殖もかなりのもののはずなのだけれど、おごることなく二段構えの繁殖手段、なかなかにアッパレ!

この、ちょっと気味悪くうねっている蔓は、その潜る地面を探しているカラスウリの蔓です。

ほとんどの植物は、種とこの手の挿し木や根茎なんかからのクローン繁殖、のパターンがいけるわけです。 そらしぶといはずだよなあ。いいよなあ。

動物は無脊椎動物ならクローンもいけるけれど、脊椎動物はなかなかそうもいかんわけでして。哺乳類とかなるともっと難しいでしょ?人工的クローンが成功してるのって、牛と羊だけなんしょ?

もっともSFでは、どこかのマッドな国家かサイエンティストが、とっくの昔に人間のクローンを極秘裏に作っていて、そのクローンから(だいたい普通の人間より能力が高いという設定)恨まれたりなんかして、世界を巻き込む大騒動!に発展して・・・・・ちゅうのがジャンルとしてあるほど。

昔から「人間にそっくりだけれど、人間とは違う過程から産まれた生物」は物語のタネになりやすいらしい。まあ、日本は八百万の神がいる国で、「草木山川石巌にまで神が宿る」と原始的アミニズムがいまだばりばりに生きておりますから、人形だろうがクローンだろうが人格があるのは至極当然のことと、簡単に納得してしまいますけれど。

一神教では、認めづらいだろうな。