椿屋敷のお客様

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2007年11月

2007年11月30日 (金)

TO-Y

1130 だから、ジャンプでもマガジンでもなく「男組」の昔からサンデー派なんでございます。

3大少年誌の中では売り上げいつも今ひとつだけれど、いいのサンデーだから。これからもただただ喧しいジャンプとか、ヤンキーさえ出せばいいのかマガジンとかとは一線を画した路線を歩んでいってください。

というわけで1985年(うおッ)サンデー連載の「TO-Y」(全10巻・上條淳士著・小学館)です。

このマンガはもう「1にも2にも加藤か志子女史」です。トーイにもニヤにも興味が持てなかった加藤女史と哀川陽司、そしてヒデロー。ここらが読みどころでしょう。

当時の時代背景として、「歌のベストテン」とか「レコード大賞」とかが「日本の芸能界の権威」ということになっていて、トーイもやたらとこれらに反発しています。今となっては全部地に落ちてしまったので(ベストテン番組などなくなってもう久しい)、この話はもう成り立たないなあ。読み返して何かとてもなつかしくなってしまいましたですよ。

いうまでもなく上條氏は山ほどの「真似しごろ(フォロワー)」を産んだスタイリッシュな絵の人。基本は大友克洋系なのですが、大友氏に加藤女史やヒデローは描けない。加藤女史のそこらの小娘ではまったく太刀打ちできない圧倒的な色気。ゆるくまとめた髪。マスカラとアイラインばしばしの底力のある目。たっぷりの口紅と唇の脇のほくろ。力強いあごのライン。そしてスーツ、スーツ、スーツ・・・・・。当時少年誌にも青年誌にも、女性誌にすらこんな色っぽい大人の女を描いたマンガはありませんでした。「キャリアというのはこんなにも色っぽいものか」と目を洗われるようでしたよ。

あとで、上條氏には作画上の協力者の女性がいて、その人が女性キャラを描いているのだと聞きましたが、それでもこの色気を同一画面上に違和感なく成立させる上條氏のセンスには脱帽しました。

とにかく一度見ていただくしかない!今見てもすさまじいこの色気。少年誌でありながらこういうものをときおりひょいと載せてしまうサンデー。だからサンデー立ち読みは止められないのですよ。

あと、ヒデローが作る料理がむちゃくちゃおいしそうだったな。

2007年11月29日 (木)

機動警察パトレイバー

1129 「機動警察パトレイバー」(全22巻・ゆうきまさみ著・小学館)です。

うわあ、1巻初版は1988年だよ。もう20年近くも前になるのか・・・・・・。当時とにかく人気がありました。少年サンデー派のわたくしとしてはうれしかったな。巨匠押井守氏の監督でアニメ化もされましたね。

とにかく脇役がよかった!!正直言って主人公の野明も遊馬もあまり好きではありませんでした。なんといっても内海でしょう。そして特車2課の昼行灯後藤隊長。この二人は頭の切れ具合といい、内海が単純な悪役ではなく、後藤が単純な正義の味方ではない、という点で対をなしています。それぞれに善でもあり悪でもある要素を持っていて、それが警察とシャフトという二つの組織を二重構造にし、物語に深みと広がりを与えていました。

そして特車2課の面々。進士、大田、山崎。整備班長榊さん。整備班がわらわらと大人数なのがリアルで納得したなあ。こういうロボットものでいつも「乗って戦う連中だけで、整備するやつはおらんのかよ。ねじ一本でもこの手のメカは調整がたいへんだろうが」と不満に思っていたので、「そうだよそうだよこれぐらいの人数はいるぞ」と。整備班それでもいつも徹夜仕事でしたね。

総じてエンジニアびいきのマンガでした。元来エンジニアびいきのわたくしの心の琴線に触れましたよ。みんな誇りを持って自分とこのメカを作ってたな。篠原重工は篠原なりに、シャフトはシャフトなりのメカデザインの特色が描き分けられていて(本社ビルまでそれぞれの特色が出ていて笑ってしまった)、そういう芸の細かさがたまらんよかった。

冷徹だけど内海には頭が上がらない切れ長の目の黒崎くん。地味な顔で有能な松井刑事。それぞれの顔がいかにもそれぞれの性格を反映してて、うううん、こういう秀逸なデザインに弱いんだよねあたし。

デザインといってもみんな着ている服はダサかったけど(笑)。

今読むと「携帯がここまで発達するって、ほんのこの間まで想像もつかなかったよな」とか、「結局レイバー型の機械の発達はなかったな」」とか、このマンガで予想された未来とは違ってしまったけれど、それでもキャラの力(特に脇役)で読ませてくれます。やっぱりとてもおもしろい。

2007年11月28日 (水)

天と地の守り人

1128 「守り人シリーズ」の最終話、「天と地の守り人三部作」(上橋菜穂子著・偕成社)です!

ああ~~~ッ、読み終わってしまったよ!予約を待っているのは長かったのに読むのはあっという間だったよ。

ラストまで期待を裏切ることのないすばらしい話でした。ああ、もう褒める言葉が足りない。

バルサがタンダがチャグムがトロガイがシュガが、ジンや帝やラウルやアスラやチキサなんかに至るまで、でてくるもの皆が収まるべき場所に収まりました。なんと言う感動。

とうとうバルサがタンダを「つれあいだ」と認めました。壊疽を起こして瀕死のタンダを必死で介抱するバルサ。そして回復したタンダ、とこの物語でははじめての静かなくちづけ。ああ、こんな心にしみる愛の表現は久しぶりでした。よかったね、バルサ、タンダ。

そしてなによりチャグム。「精霊の守り人」のときのガキンチョが、こんなに成長してしまうとは。ほんとうに苦労したんだよね・・・・・・。「蒼路の旅人」で夜の海に身を投じての危険な夜間遠泳に始まり、ロタ、カンバルと命がけの同盟交渉、そして見事同盟を果たしてからも大国タルシュとの壮絶な戦い。こうやって母国を必死で救おうとして帰ってきたチャグムに心無い仕打ちをする父帝とその側近達。きみの苦労は涙なくしては読めません。

とうとう、なりたくもない帝になってしまうけれど、きみなら大丈夫。閉ざされた奥津城のような宮から、いつか必ず人間として出ることができるでしょう。それを予感させる希望に満ち満ちたラスト。

よかったなあ・・・・・・。

それにしても上橋氏、ファンタジーの要である異世界の世界観のイメージも見事ですが、現実の人間達の国政や国家間の連衡、交渉等についての見識や表現も見事。大国タルシュが新ヨゴに攻め入ったときが、ちょうどナユグ(異世界)の春の影響で雪解け水の大洪水が起こり、その気候をうまく利用してタルシュの軍勢を破る新ヨゴ軍。この戦略も見事。うまいこと異世界イメージと現実のバランスをとっています。

ああそういえば「大洪水伝説」って、よくいろんな民族の神話にあるんでしたね。「大洪水がすべてを押し流し浄化した後に、新たなる希望が芽生える」のは、世界中の神話にある話。文化人類学者の上橋氏のこと、もちろんそこらを踏まえてこの希望あるラストを持ってきてくれたのでしょう。ああ、言葉でこうやって語るのももどかしい。

つくづく「児童文学」というジャンル分けは無意味。この感動は子供でも大人でも、いや、大人であればあるだけ深く味わうことができるでしょう。大人にこそ読んでもらいたい。ぜひ。って、偕成社の回し者じゃないんだけれど。

次はなんと、春から予約していた「一瞬の風になれ」が回ってきました。やったーーーー!!宮部みゆき氏、あさのあつこ氏、そしてこの上橋菜穂子氏大絶賛!これは心して読まずばなりますまい。

2007年11月27日 (火)

ヨリが跳ぶ

1127 「ヨリが跳ぶ」(全20巻・ヒラマツミノル著・講談社)です。

今の女子バレーブームが来る以前に週刊モーニングに連載されていて、1巻1995年初版です。

これがねえ・・・・・、すごくおもしろいんだけれど、そのおもしろさをどう説明したらいいか考え込んでしまう作品なのであります。

なにせタイトルにもなっている主人公のヨリが変。桁外れに変。身長180cmを超える図体で、大飯ぐらいで、ときどきすごいアタックを打つんだけどとんでもないノーコン。社会常識ゼロのクセに自信家で、どこにでもちょろちょろ顔を出す。最初まだ女子高生だけど「こんな女子高生がどこにいるよ!」です。

んでも、彼女が勝手にライバル視している「女子バレー界の女王・ヒロコ」もまたヘンチクリンさでは負けておらず、ヒロコとヨリの会話など腰が抜けるほど変なのであります。ヒロコの所属する王者国舞リップスに舐められて飛び出し、実業団のオグリ製菓に入ることになったヨリなんだけれど、このオグリチームが監督以下ちょっと変な人ばかり。監督はヨリの恩師にベタ惚れの後輩だし、無愛想極まりないけれどバレーの実力はすごいヤンキー・リカコ、人はいいけれど気の回しすぎでいつもぐるぐる空回りしているキャプテン阿久津、色気も能力もあるけれどこれまたど外れた自信家の観音寺。・・・・・・・・

んで、でてくるライバルチームが次から次へと変なやつらばかり。でも変なんだけれど決して不愉快じゃないの。だから読後感がすごくいい。作者のヒラマツ氏が人間に対して愛情がある人なんだろうな、と思わせる爽快感があるのです。

ただねえ、これ、文章じゃなかなかおもしろさを伝えるのが難しい。絵もうまいんだけれど独特のタッチで、この絵も「緊迫したシーンのはずなのにどこかのんびり」した雰囲気に貢献しているのです。

とにかく読んでみて。という作品のひとつです。

2007年11月26日 (月)

花咲ける青少年

1126 男臭いマンガばかりが続いたので、ここらで少女マンガを。

「花咲ける青少年」(全12巻・樹なつみ著・白泉社)です。

しかしながら果たして樹マンガを「少女マンガ」のカテゴリーに収めることができるのか?難題であります。確かに少女マンガ的なお膳立てはすべて揃ってます。基本は学園から(もっともすぐ学園から離れちゃうけど)。謎めいた銀色の瞳の美少女転校生。次から次へと現れる王子さま。美少女はどこやらの国のやんごとなきお血筋らしい。そう、確かにすべて少女マンガのアイテムですよ。作者の「これだけ少女マンガの筋を押さえておるんじゃ。何の文句があるんじゃ?」という声が聞こえてきそうです。

しかいながら派手!あまりにもど派手過ぎ!!こういうところが樹氏、関西人だなあ、と思います。あ、これ褒めてるんです。だからこそとてつもなくおもしろい。

何せ主人公の花鹿、世界的大財閥の一人娘で、しかもラギネイという金持ち国の知らざれる王位継承者で、物心ついたときから離れ小島で白豹と暮らしてて、お目付け役が華僑財閥の御曹司、立人(これがまたいい男!)これでもまだ足りなくて、かぐや姫のごとくヨーロッパ貴族の超絶ハンサムくんだの、ラギネイの現王子さまだの、アメリカ財閥の跡取り息子だのが次から次へと求婚者としてやってくるのですぞ!!

Oh!!あまりのゴージャスさにくらくらします。そのくせ何かといえばアクションシーンと銃撃戦。盛り上がりは必ずこれ。おいおい(笑)少女マンガじゃなかったのですか。

ラストも確かに少女マンガらしいラストのアイテムです。正しい少女マンガのラストには間違いない。でも、そこに至るまでの全世界を巻き込んでのこの大騒ぎは・・・・・・・すばらしい!!

樹マンガは大好きですが、特にこの作品は誰にもまねできない派手さという点で一番好きです。

2007年11月25日 (日)

AKIRA

1125 うおっと!これがでてきました。「AKIRA」(全6巻・大友克洋著・講談社)でございます。

なんと初版1984年。うっそおーーー!!そんな昔になるのか!光陰矢のごとし。でも、今読んでもまったく時代とか古さを感じさせない。もう、なにもかも超越しちゃってます。

「マンガ界の流れを変えた」といわれる大傑作。誰かが「こういうシーンはこう描けばいいのか!とこれを見ればわかる」と言ってましたが、本当にそのとおり。マンガにおけるありとあらゆる新しい表現に満ち満ちていて、脳天を殴られるようなショックを受けました。もう20年以上前になるわけですが、今のマンガ(特に男性誌)は大なり小なり確実にこの絵の影響を受けています

これがでたあとは雨後の筍のように「ハルマゲドンもの」が流行りました。細い丸ペンで集中線だらけの絵で。恥ずかしながらわたくしも真似てみたりしましたが、本家本元みたいな使い方はできないの。今見ても斬新。

「AKIRA」の前に「気分はもう戦争」や「童夢」なんかもあったんだけれどちょっと色気が足りなかったかな?という絵が、「AKIRA」で水気がでてきてそれが人気に拍車をかけたのではないでしょうか?

話もよかったよなあ。特にそれまでの大友作品だと主人公に感情移入しづらかったんだけれど、金田がすごくよかった。初めて大友作品の主人公をカッコいいと思いました(そういや金田って最後まで「金田」で、下の名前が出てこなかったんだよな。それも一種独特の乾いたタッチの大友マンガにはふさわしいかも)。と、こう言うと必ず「違う。主人公は鉄雄だ!」と異を唱える向きがあるんだよね。ええええ~~~?そうかあ?

「健康優良不良少年」金田がいてはじめて回る話だと思うけどなあ。あくまで己の肉体と知恵と培った人間関係で状況を打開していく。いいよ~金田。鉄雄には自分本人の意思なんかまるでなくてさ。「凡人が本人の意思とは無関係に強大な力を背負わされた悲劇」でかわいそうだなあ、とは思ったけどさ。

あと、大佐が好きだな。大佐とおばさん、まだまだいけるんだからくっついちゃえよ、と今でも思います。バイク改造の達人クラウンのボスも好き。ああ、やっぱりあたし技術屋に弱い。

2007年11月24日 (土)

ピンポン

1124 「ピンポン」(全5巻・松本大洋著・小学館)です。

正直、これを読むまで松本大洋氏は「ものすごく絵がうまくて才能があるんだろうけれどついていけない」漫画家さんでした。心のありようが天才の場所にあって、凡人にはついていけん、と。

「ピンポン」を読んで初めて、「ああ松本大洋のような天才にも、『天才』と仰ぐ相手があり、その相手に惚れたり失望したり人間らしいことをしてるんだな」と思ったのです。月並みな言葉ですがやっと感情移入できた、っちゅうこってすね。

それほど「卓球の天才(今はサボってくすぶってるけれど)ペコ」を巡る人間関係にはリアリティがありました。いうまでもないけれど特にスマイル。ペコがチャイナにもアクマにすらも負けて、ドラゴンには相手にもされず挫折して卓球から離れても「必ず帰ってくる」と信じ続けて、好きでもない卓球を続けるスマイル。ペコが速攻型でスマイルがカット型であるのはなんと象徴的なことでしょう!松本氏のすごいところは彼らすべての才能のみならず性格、心理、生き様すべてを、卓球シーンの絵のみで表現しているところです。凄い迫力。独特のクセのある絵なのだけれど誰にも真似できない。これこそ天才、と思いましたですよ。

何年か前、宮藤官九郎脚本で映画化されたので行きました。マンションから落ちる前の窪塚洋介がペコ役で、ARATAがスマイル役、そしてドラゴン役が中村師童。彼の出世作となりましたですが、その後のどんなドラマよりドラゴン役がぴったりだったんじゃないの?というぐらいはまってました。

2007年11月23日 (金)

ヒカルの碁

1123 「ヒカルの碁」(全23巻・原作ほったゆみ/マンガ尾畑健/監修梅沢由香里二段・集英社)でございます。

今となっては昔日の夢となりましたが、少年ジャンプが日本を席巻した時期がありました。四大新聞よりも発行部数があり、電車に乗るとサラリーマンも学生も「男という男がみんなジャンプを読んでいる」というありさま。はっきりいって何かの宗教みたいで薄気味が悪かった。いわば「友情・努力・勝利」というお題目を唱える新興宗教みたいなものだと思ってました。

そのジャンプの栄耀栄華に翳りが出てきたころに、「ヒカルの碁」が始まりました(初版は1999年)。このとき初めて「ジャンプというのはなんと懐の広いマンガ雑誌だ」と見直しましたね。なんせ囲碁ですよ!将棋マンガは数々あれど、囲碁マンガってのはほんとに見たことがありませんでした。それを少年誌でやる!しかもあの少年ジャンプ!

案の定連載時は浮きまくってましたけど。それこそがこのマンガが傑作であることの証。今も昔もジャンプが切り捨ててきた「少年の成長」とか「それを促す人間関係」とかを実に丁寧に描いてくれてます。

「ちょっと待て。ジャンプの標語は『友情』だ。人間関係は描いてるだろ!」

違うでしょ。ジャンプが描いているのは「ライバル関係」だけ。しかもどんどん強力になるライバルを登場させるだけ。同世代で同じジャンルに携わるしかも同性(ま、男同士って事ね)との関係を描くことには実に熱心だけど、世の中ってのはガキンチョの男だけでできてるもんじゃないでしょ?じじいもいればおばさんもいる、あかんぼもいればおっさんもいるの。生きてればそういう人たちと必ず何らかの関わりを持たなきゃならなくなってくるんだって。

「ヒカルの碁」じゃ、主人公の進藤ヒカルの家族とか、ライバル搭矢アキラの家族とか実に丁寧に描かれてました。あと囲碁に関係のない学友とか、もちろん囲碁界に関わる大人も子供もプロもアマも、主人公が関わりそうな人間関係をなんと細やかに描いていることでしょう。ヒカルが対局しているシーンはもちろん迫力なんだけれど、なんてことない日常のシーンでも絶対に飽きない。すごいことですよ!これは。

ほったゆみ氏のネームによって小畑健氏の華麗にして繊細な絵がとても生かされてました。このタッグを組ませた編集のセンスはすばらしい。落日のジャンプが生み出した傑作であると思います。

あ、登場人物の中で好きなのは、「中学生のクセに袴と扇子、将棋も碁もやる勝負師加賀」とか、「いつでも白いスーツです。こだわる男の緒方七段」とか、「軽いのりだけれど押さえるところは押さえてるよ、囲碁からパソコンから何でもござれ中国囲碁界の兄貴・楊梅」とかです。

もちろん「囲碁界のプリンス搭矢アキラ」も、ジャンプのライバル達の中では飛びぬけて毛並みがよさそうで大好き。

このマンガを読んで「碁を習いてええ!」と思いましたが、いまだ果たせず。いつかやりたい「右上スミ小目」。

2007年11月22日 (木)

竹どきに竹を切る

Nec_0033 マンガ好きにとってマンガの整理は実に危険極まりない作業で、ミイラ取りがミイラといいましょうや「あ、これこれこれもおもしろかった」などと手に取ったマンガを片っ端から読んでしまい、結果作業が滞るどころか読んでしまったマンガを積み重ねて、かえって広げてしまうなどという惨状になること多々あります。

しかし、マンガを読むだけで一日を終えることはできません。はっと気がつけばもう11月も下旬。容赦なく時は過ぎていきます。

10月~11月は「竹どき」といい、竹を切っておくのに一番いい季節です。竹は筍が出てくる季節に切ってしまうと竹そのものが弱くてすぐ虫が入ってしまいます。せっかく垣根や添え竹を作ってもすぐ腐ってしまうので、今切っておいて影に保存しておき使うのがベスト。

日置市の実家の近くの畑に真竹の藪があるので、そこに切り出しに行きました。真竹は丈夫でまっすぐで肉質が硬くて使い勝手のよい竹です。切り出すそばから竹の青臭い匂いがぷーーーんと漂います。

イチジクやアンズ、西洋梨なんかの苗を植えるのでその添え竹にまず使う予定です。

2007年11月21日 (水)

沈黙の艦隊

1121The Silent Service”「沈黙の艦隊」(全32巻・かわぐちかいじ著・講談社)でございます。

1巻初版は1989年ですがな!もうそんなになるのか!

今だから恥をしのんで申し上げますが、当時わたくしの周りでは「パッシブ・ソナー」とか「ピンガーを打て!」とか「圧壊深度」とかこのマンガで使われているサブマリン用語を使うのが流行りました。若気の至りというものです。それほど新鮮でかっこよく感じた「深海で繰り広げられる潜水艦同士の激闘の世界」でした。出てくる登場人物は徹底して男(しかもプロ)ばっかだし。

海江田の戦略が痺れるほどカッコよかった。世界中の海でアメリカや旧ソ連の精鋭を敵に回して戦うんだけれど、「ええええ?そんな手があったのか!!」という計算されつくして奇手奇策にすら見える作戦の連続。こんな作戦考え付く作者のかわぐちかいじ氏ほんとただモンじゃねえと思ったもん。

デビュー海戦が高知県沖で、次が南太平洋、米第7艦隊を敵に回しての大立ち回りなんだけど、なんとね、潜水艦の中でモーツァルトの『ジュピター』をガンガン鳴らしながら戦うんだよ!何考えてんだよ?

それは実は海江田が巧妙に計算しつくした罠で、物量に勝る第7艦隊はころっと引っかかってその後の「やまと」の航海を許してしまうんだけれどね。それから先も「こんだあ、いくら『やまと』でも突破は無理じゃろ」という危機死闘の連続。特にベイツ兄弟との北極海海戦と米大西洋艦隊とのNY沖海戦はすごかったのう!

登場人物があまりにも多すぎ、多岐にわたりすぎて誰が好きとかもういえないぐらいなんだけれど。まあ、チェックポイントは海江田の同期にして「たつなみ」艦長深町の海江田への執着ぶりとか、それに答える海江田も「深町ならかわす」とかいう信頼ぶりとか、深町の副長速水が妙にカマっぽいとか、やっぱあたし職人好きだわ南波水測長とか、こういう地味タイプも好みなのよ「手旗信号で艦隊間連絡」沼田司令とか、海上自衛隊のメンバーがおもしろいかな。

あと当時の政治状況を反映した粘っこい顔の政治家達が中盤以降続々登場するんだけど、右も左も中道もなかなかのおもしろさでした。「こんな優秀な連中がほんまに政治家におるんかよ。」とは、当時も思いましたし今も思いますけれどね。

ただねえ・・・・ラストはねえ・・・・・。

これしかやはり決着のつけようがなかったかな。まあ、他に考えようはないか。いまだに納得がいくような、そうでないような・・・・・。傑作ってのはそういうものかも知れませんのですがね。

そう、かわぐちかいじ氏畢生の傑作だと思います。今後もしかしてこれを超えるものを描くかもしれないけれど、少なくとも今連載中の「ジパング」よりはこっちのほうが好きだな。「あのときこうしていれば」の「たられば歴史モノ(特に第二次世界大戦モノ)」はどうしても後出しジャンケンみたいで。必死で未来を語ろうとしている「沈黙の艦隊」のほうが、いい。あれから世界情勢はすっかり様変わりしてしまったけれど、今でもその評価は変わりません。