椿屋敷のお客様

民俗・年中行事 Feed

2007年10月 2日 (火)

手弁当のすさまじさ

Nec_0036 今回の山羊サミットの発表要旨集です。よくできています。

それにしても、山羊サミットの準備委員会は10人あまりで構成されていたのですが、すごかったです。

何がどうすごいかというと、いわゆる手弁当のボランティアなのに、一年前から毎月一回づつ実行委員会が催される。そのたび、半月前に委員会の日がメールで通告され、行くとみなさんお仕事帰りなのに驚くべき出席率。

完璧なレジュメが用意されていて、一月の間に担当部署の仕事がどこまで段取りできたか、確認発表。ここで意見がつのられ、それぞれの担当部署との関わりと段取りを再検討。来月の実行委員会のだいたいの日取りを確認。これを一年間繰り返して少しづつ積み上げていって本番。

当日も、すごくて時間の流れ、場所、人員配置、すべてがちゃんと書面にしてあって配られできうる限り齟齬のないように、情報が統制されてました。鹿児島大学の先生が事務局を勤めておられたのですが、この手の催しでこれほど有能な事務局をはじめてみました。

また参加する実行委員会のメンバーみんなが、まじめで一生懸命なのです。「どこからこの情熱が?」と思わされるほどいまどき珍しい熱い現場でした。

「どこから?」

どうもみなさん、むちゃくちゃヤギが好きな方ばかりだったのです。

「好き」ってほんとにすごいなあ。

2007年10月 1日 (月)

新米がきた

Nec_0033 妹が、広島は中国山地の頂上に(文字通り頂上。分水嶺の看板がある)田んぼを構える米農家に嫁いでおりまして、今の時期になるとそれはそれはおいしい新米を送ってくれるのであります。

なんともありがたいことであるよ。

大変水がいい場所で、日本で唯一オオサンショウウオがそこらの小川に棲息しているというすばらしさ!お米がおいしくないはずがありません。

にもかかわらず、日本の米農政の矛盾がダイレクトに直撃して「米を作れば作るほど損をする」という、まったくわけわかんない状況に甘んじてます。

ほんっとわけわかんない!!

民族の主食を作れば作るほど損をする?!

なんだそりゃ?

2007年9月27日 (木)

名月

Nec_0030 「中秋の名月」の日と満月の日がずれているらしいです。27日が満月。そこのところの詳しい理屈は聞き損ねましたが、月が美しいのは間違いなし。夜が明るいぞお。

しかし、携帯のカメラではこれが限度だなあ。「天体写真を美しく撮れる人」ってのも尊敬します。すごく神経を使いそう。

国産月探査機の「かぐや」が月に向かってます。いよいよ「MOONLIGHT NILE」の世界が現実になってくるというわけだな。どんなデータを送ってくれるのかな。

有人ロケットアポロ11号が月に着陸してから、もう40年近くになります。「ハリウッドのスタジオで撮った特撮じゃないの?」と今でも少し疑ってます。月着陸した宇宙飛行士たちが、宗教に走っちゃったという話とか、月を重んじるイスラム社会で、土足で踏みにじったあの映像に「アメリカは悪魔だ!」の大合唱が巻き起こった話とか(藤原新也氏の本にあった)、まあ、それはそれはたくさんの逸話がついて回るあの出来事。そんなに前なんだな。

どうなんだろ?どこかの国がたぶん有人月探査船を準備してるんだろうけど。「いつか自分が生きているうちに月旅行がしたい!」がキャッチフレーズだった時代もあったなあ。

わたくし自身は、地球の、しかも鹿児島で十分以上に満足している人間なので、月に行こうとはこれぽっちも思っておりません。

2007年9月25日 (火)

焚き火

Nec_0029 宵闇せまる頃、どこからともなく草の燃えるいい匂いが漂ってきました。

「ああ、どこかで焚き火してるな」と、ちょっと木戸口に出てみたら、ご近所で刈り取った草を固めて小さな焚き火。

昔むかし「家を作るなら~♪家を作るなら~♪草の燃える匂いのするカーペット敷きたいと思うのであります~♪」というコマーシャルソングがありましたが、まったくもって草の燃える匂いは、なにか心の中の郷愁とか安心とかそういうものを呼び起こす力を持っております。

住宅地や都会の真ん中では、もう焚き火ができなくなった時代です。

半径1km内に、コンビニもスーパーも信号機すらない鄙びた住み処ですが、「焚き火」のような贅沢な行為ができるのだから、ありがたいことです。

2007年8月14日 (火)

東京に糸瓜を送る

Nec_0063 東京の妹のところに糸瓜を送ります。

「糸瓜を食べる食文化」てのあ、やはり南方のものなんでしょうね。糸瓜に限らず苦瓜、ハヤトウリ、鹿児島で独特に食べる瓜類は結構あります。10年ほど昔、関西に住んでいたころ珍しいだろうと思って、家から送られてきた苦瓜をお知り合いにおすそ分けしたときのこと。「なんやこれ?」と気味悪げに顔をしかめられてしまいました。

あのときのショックは忘れられません。

今となっては「健康食品ゴーヤー」としてすっかり全国に定着した感のある苦瓜ですが、あの緑にイボイボのある形、知らない人には気味悪かったのでしょうね。あの苦味がたまらんおいしいのにね。

「人の振り見て我が振りなおせ」それ以来、他人の食生活を頭から否定することはすまい、と固く心に誓ったことでした。

何はともあれ苦瓜を食することは知られたものの、糸瓜を食することはあまり広まっていない模様。高知県では食べるそうですが・・・・・。よそではあまり市場に出回ってないらしいです。とりあえず、2,3本庭からとってきました。

2007年7月 8日 (日)

新暦か旧暦か

Nec_0017 昨日も雨でご近所のお宮さんの夏祭りが流れてしまいました。いやあ、鹿児島の総雨量は大変なことになっておることでありましょう。

ところで新暦では昨夜が七夕。しかし鹿児島は旧暦の祭が多い土地柄なので8月7日に笹が見えることも多いです。島津の殿様の仙巌園でも大きな笹に吹流しのような長い天の川がついたのが8月7日に何十本と立ち並びます。鹿児島の暦的には「7月に六月堂」「8月初めに七夕」「8月中旬にお盆」てとこじゃないでしょうか?7月はあちこちの神社の六月堂を巡るので大忙しで、七夕は旧暦のほうが都合がいいのかも。そういえばその日ソーメンを食べる人が多いよな。ソーメンが天の川を連想させるから?まあ、どちらにしろ夏真っ盛りで「七夕でなくても毎日ソーメン食べてます」という人が多い時期ではありますが。

何度か書きましたがわたくしは太陰暦支持者。日本の季節には旧暦のほうがあってると思うのです。というか中国から輸入された暦を千年以上かけて日本の気候になじませてきたのだからこっちを使えよ~、なのですが。最も日本は南北に長いので、ひとつの暦じゃ季節の変化に適応できないなあ。

2007年5月 6日 (日)

春の木市でお買い物

Nec_0020 今日は鹿児島の園芸者の祭典、春の木市の最終日でした。最終日の夕方はバーゲンになっていろんな苗が格安で手に入るのです。

それを知っている園芸者達で4時半の駐車場は待ちが出るほど。10分ほどかかってやっと駐車場に入れました。

購入したのは

アーモンドの苗(鹿児島でもなるんですってよ。欲しかったんだ)

スモモの苗(うちに一本あるけど、一本じゃ自家受粉しないんだってさ)

羽鶏頭の苗

千日紅の苗

アスターの苗(ここらあたりは盆の墓花用。もつんだよね。)

種ショウガ

以上でございました。かなり安くで手に入りましたよ~。

うちのご近所のT農園も出店をだしていて、いつもハウスにいるおじさんが接客していました。T農園で買える苗は(トマト、ナス、きゅうり、ピーマンなんか)は歩いて3分のT農園のハウスに直接買いに行く予定。安くしてもらおうっと。

2007年4月 9日 (月)

廃屋の桜

Nec_0032_32 うちの近所は鹿児島市内中心部への通勤圏なのでまだマシなほうだと思うのだけれど、それでもそこかしこに空き家や廃屋があります。家ってのは人が住まなくなるとあっという間に荒れ果てますね。

荒廃した屋敷の庭にも桜が植わっていて、風が吹けば盛んに花びらをまきちらしています。もう気分は吉田兼好か鴨長明。

「栄枯盛衰。無常。」平安の昔から日本にある考え方です。「永遠に続くものはこの世にはない。」たいへん潔いのですが、最近「こういう欲のない考え方は、日本列島が気候風土的にたいへん恵まれているからこそ産まれたのではないか?」と思います。

こういう風にたとえ人間が見捨てて廃屋になっていたとしても、日本の自然だと桜は生き延びて年々花をつけることができるからです。鹿児島なんかだと廃屋にばかでかいボンタンがなってたり。これならのんびりした考え方ができるよな。

「何が何でも永遠を信じて、最後の審判で勝利してやる。」日本的な考え方とは対極的なキリスト教やイスラム教の考え方。やっぱり一度オアシスを手放してしまうと即部族の滅亡につながる砂漠の一神教の厳しさなのかな?

自分の故郷が鹿児島でほんとうにありがたいことです。

2007年1月20日 (土)

メジロの縄張り

Nec_0042_11 このタイトルでばっちりメジロの写真が撮れていればかっこいいことこの上なしなんですけどね。野生動物とか昆虫とかとてもとても撮れません。ああいうのをばっちり美しく撮るプロってのは凄いなあと尊敬しますです。

冬には山から人里に小鳥たちが降りてきます。うちなど庭から畑から椿と山茶花だらけなので花の蜜を吸いにメジロやウグイスやその他名前もわからない小鳥がやってきます。どうも彼らには縄張りがあるらしく、一本の木に一羽づつ止まって盛んに鳴きかたの練習をしています。

メジロも上手なオスはたいへん素晴らしい歌を聞かせてくれるのです。子供時分にはまだメジロ捕獲を禁止する法律がなかったので、隣近所でもメジロを飼っている人がよくいましたし、私も飼ってました。特に日置の実家の斜向かいのおじいさんがメジロ捕りの名人でした。

このおじいさんは竹細工とか桶作りとか上手な人で、メジロ(鹿児島弁でハナシという)捕りのための仕掛け籠をよく作ってました。切り出してきた真竹を割って竹ひごを削り、それを組み立てていくのです。おとりのメスを入れる籠と連動させ、メスに求愛に来たオスが罠の籠の止まり木に止まると出入り口の落とし戸が落ちる仕掛けです。

あれは凄かったなあ。作るところからして見ていてぜんぜん飽きませんでした。肥後の守という小型の折りたたみナイフと竹割り鉈と錐ぐらいしか使わないのに、どんどん竹から籠ができていく。

ああいうのができるって憧れます。竹細工もできるようになりたいスキルのひとつです。

2007年1月 7日 (日)

七草の考察

Nec_0018_25 全国でも「七草粥」行事が残っているところは珍しいらしいのですが、鹿児島は昔から「ななとこずし」と言って「7つになった子が隣近所の七軒を廻って七草粥をもらう」というしきたりがあります。

今もやっているところがあるんじゃないでしょうか?

いろんなお宅のいろんな粥があって、七草全部じゃなくて五草ぐらいだったり、七草の替わりにホウレンソウとかハクサイとかが入っていたり、餅が入っていてどろどろしていたり、いろいろでした。7軒分もあればたいがいの量になり、7日どころか8日までかかって飽き飽きしました。正直お粥より、一緒にお年玉がもらえるのがうれしかったな。でもあれはうちの親もよその子に渡していたので、どこの親も平等に大変だったということかな。

全国に比べてなぜ鹿児島で七草が残ったか、考えてみたのですが。

つまりですね、今の暦は太陽暦で旧暦に比べて正月が約一月早いわけですよ。この時期他の地方では露地では七草が揃わないんじゃないでしょうか?鹿児島は温かいから今でもう全部生えているわけですよ。現にうちの庭でも「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」全部OKですもん。

他の地方じゃこうはいかないんじゃないかな?

吉野町では20代から70代の4人の女性農家が七草を栽培していて鹿児島市におろしているらしいです。縁起物だからみなさん本物を食べたいのでしょうね。しかしこれらはほとんど雑草に近い植物。かなり丈夫なはずです。なかなかいい商売であるといえます。