椿屋敷のお客様

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2005年10月

2005年10月16日 (日)

ノブドウ

Nec_0097 ノブドウの実です。

幼い頃からのマンガとTVの見過ぎで、ひどい近視と乱視です。コンタクトレンズも使っているので目が疲れやすく、必然的に「目にいい」と聞くと耳がそば立ちます。

ノブドウも昔から「突き目の薬」として民間で使われ続けてきた野草。それでなくてもこの実は赤、青、緑の間のあらゆる色調に熟すので、「秋に熟す実」のうち大好きBEST3に入ります。ちょっとした山の藪でも生えているので、見る機会があったらご覧になってください。虫食いや枯れが入った葉や蔓とあいまって、日本画そのもののような風情があります。

薬として使うのは茎から出る水。かなり水を吸い上げるらしく1,2時間でお弁当箱一杯ぐらいは溜まるとか。山仕事をする人たちは、それで目を洗ったり飲んだりしてきたのです。透明でちょっと渋くて少しだけ粘性のある水が目のゴミを洗い流してくれるのだそう。1度それをやってみたいなあと思いながら、実を楽しんでいるうちにいつも季節が変わってしまうのです。

金木犀と銀木犀

Nec_0095_1 Nec_0096金木犀と銀木犀です。

数日前から「香りはすれども姿は見えず」だったのですが、お宮さんの庭に咲いてました。うちの老大木は夏に剪定してしまったので今年は花をつけないようです。

色を「『金銀』で対にする」というキンキンギラギラな発想はどうにも大陸的な匂いがします。

日本ならば『黒白』、もしくはおめでたくて『紅白』でしょう。

『金銀』で思い出すのは「西遊記」の「金角・銀角」です。ああいう派手派手しい悪党兄弟に金銀の名をつけるところが、いかにも大陸的。「ジャァァァ――――ン」と銅鑼の音が聞こえてきそうです。あ、そういや日本でも室町から戦国にかけての派手で婆沙羅な時代には『金銀』が流行ったのかな。「金閣寺・銀閣寺」。秀吉の「金の茶室」。金木犀が中国から輸入されたのも17世紀、戦国時代が終わろうとする頃?何にせよその頃輸入した人はちょっと気がきかない人で、日本の金木犀・銀木犀は雄木だけなので、花は咲けども実を結ばないのですって。そりゃせつねえよ。それとも「衆道全盛・ホモホモ天国」だった当時の日本にはふさわしかったのかな?

2005年10月15日 (土)

サイフォン式コーヒー沸かし

Nec_0095 「ローテク万歳グッズ・その5」サイフォン式コーヒー沸かしです。

真夏でも熱い日本茶の日本茶党ですが、朝食の後にだけはコーヒーを飲みます。城南町のAプライス(鹿児島の食いしん坊の方たちならよくご存知では?)で、『深煎り仕立て(豆)』というお買い得のブレンドを買ってきて、コーヒーミルでがりがりと挽き、サイフォン式のコーヒー沸かしに水を計ってセットして、アルコールランプでぽこぽこ沸騰させて・・・。理科の実験みたいでやめられないのです。

きっとコーヒーのプロの方から見たら言語道断なこともやっているのだろうけれど・・・フィルターも本式の布のやつじゃなくて使い捨てのペーパーフィルターだし。ま、楽しいからいいや。

15年ぐらい使っているコーヒー沸かしですが、耐熱ガラスの上ボールも下ボールもそれぞれ割れるたびに、金物屋さんにメーカー取り寄せしていただいて使い続けています。使うほどに愛着が湧きますですねー。

アオツヅラフジ

Nec_0092_2 アオツヅラフジの実です。

赤やら紫やら朱色やら、華やかな色合いの多い秋の実の中では地味なほうです。

よく地味な植物を、「路傍に咲きたる名も無き野の花」に類似した文章で表現されていることがありますが、「いまどき人類に発見されてない『名も無き植物』なんて、アマゾンの奥地か雲南省の奥地か、とにかく一般人じゃ行けないような辺境にしかねえだろ。見つけたらプラントハンター大喜びじゃん。」と、皮肉に考えてしまいます。いや、自分だって間違ったことを言ったりするので(すみません)、「一つの間違いも無くぎっちり考証してから書けよ。」と堅苦しいことを言うわけではないのですが、最初から『名も無き』と決め付けるのはちっとどうかなあと。「『名も知らぬ』花」なら納得できるのですが。

アオツヅラフジは地味な外見に似合わず、「利尿薬、むくみ」の薬として利用されてきました。誰が試して誰が伝えたのかもはやわからないことですが、緑多い列島に住んできたご先祖たちはその緑を長い年月をかけて研究し知り尽くしてきたのだなあ・・・と思います。

2005年10月14日 (金)

ジョロウグモの求愛

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「ジョロウグモの雄が雌に求愛する」の図である。大きいほうが雌で、雌の足の長さほどもない小さいほうが雄である。

Nec_0093_1 こちらも見づらいが、カメムシをくわえた雌の斜め左に小さな雄がいる。雄の大きさはカメムシとさほど変わらない。これでは、うっかり交尾の後で喰われてもいたしかたないといわざるを得ない。

畑にとって「ミミズ様は神様で、蜘蛛様はお味方」なので、農薬を撒かず大事にしている。今時分畑中が雌の張った蜘蛛の巣だらけで、まさしく求愛シーズンであるために、ムカツクというかうらやましいというかにそのほとんどの巣に、雄がきている。まあしかしジョロウグモの雌は甲斐性あるからなあ。直径1mを超える実に見事な巣を張っている。自分と同じぐらいでかいバッタなんかもぐるぐる巻きにしていた。雄は、より体がでかくより立派な巣を張る雌を選ぶ傾向があるという。ある意味おなごの理想じゃのう。もう、いっそかくありたきものよ。

というわけで、わたくしも巣を整え食料を自力で手に入れるべく日夜努力しておるわけだが、「忙しい忙しい」とかいいながらこうやって他人(他蜘蛛)の恋愛沙汰をのんびり観察しているあたり、どう贔屓目に見てもジョロウグモの雌に比べると小物であるといわざるを得ない。ちと口惜しいが。

サクサク

Nec_0074_1 さて、色づく秋の気配に取り残されたような気がして、一人悶々と身悶えしておりました昨日のわたくしの元に、「鹿児島ヤギ協会会長」から1本の電話が・・・。

「あのねえ・・・」「はい」「この間指宿からきたお宅のあの子だけど・・・」「はい?」(もしや病気でも?)「発情して種付けが済んだから」「はあ?」「早く連れて帰ってね。」愕然!

この間って先週末のこと、指宿で今年の2月に生まれた女の子ヤギを、種付けのために会長のヤギ小屋(雄雌あわせて8頭居住)に預かっていただいたばかりなのです。1週間もたっていないではありませんか。うわああああ!(ばたばたばた)

ヤギ世界ではそんなに話がサクサク進むのですか!う・・・っうらやま・・・あっ、いえ、コホン。とっとにかくヤギ小屋を大至急作ります。納屋の西側の屋根にさしかけて、柱を立てて、ヤギは蚊に刺されるのが一番イカンので網戸の網を張り巡らして・・・。もはや、我が身の悶々は宇宙の果てに吹っ飛びました。

今日はソラマメをどうしても植えなきゃだし、ああ、どうしよう、いや落ち着け、落ち着け、「慌てたち、ドンなこちゃ無かたッデ」と薩摩の先人も言っておるではないか。クールに確実にサクサク。今日をこなしていきましょう。

2005年10月13日 (木)

ガマズミ

Nec_0005_3 ガマズミの実です。

酷暑の夏に喘いでいたら、いつの間にか最高気温は30℃を切り、見渡せばさまざまな木々や草に色とりどりの実が実ってます。

道理で・・・我が身我が心も、「物狂おしう騒がし」くなるはずです。はああ、せつねえ、せつねえぞわしゃあ。ため息をつきたくなる秋でございます。

しくぁぁし!「10月に植えるべし」指定の種や球根も多いですし、夏の実りから採れる種も今のうちに乾かしたり整理したりして来年の春に備えなければなりません。晩秋にはヤギさんが来るのでその準備もせねば。ばたばたばた・・・・。気ぜわしいです。

はあああ。

ガマズミはもう少し熟れると果実酒に漬けるのです。酒が飲めたらなぁ。

モンキアゲハ

Nec_0091_1モンキアゲハが刀折れ矢尽きた風情で止まっていました。(もっともそうでなければ蝶々を写真に撮ることはできません)。

モンキアゲハの幼虫はミカン科の木の葉っぱを食べるので、彼女もうちのミカン科、レモン、かぼす、柚子、山椒etcに卵を産みつけていることでしょう。おお、来年が怖い。しかしここまで消耗しながらも目的を果たした姿、敵ながらアッパレ。弱っていてもつくづく美しい生き物であります。

山田詠美氏の小説の中で、幼い少女が同じように幼い想い人の少年に、蝶々をプレゼントされるシーンがあります。少年は少女を喜ばせようと、美しく大きな生きた蝶々の羽を毟り取り、鱗粉を撒き散らしながら細かくちぎって、紙ふぶきのように少女にかけるのです(!!!!!)。

これほど美しく残酷で強い表現があるでしょうか?少女は少年の自分への愛を知らされながらも、あまりの美しさに、残酷さに、言葉を失います。そして少年に感謝することも、責めることもできず、その場に突っ伏して嘔吐してしまうのです。―――ああ、こーんなちっこくても男は男で女は女だったんだなあ。少女が少年に求める愛と、少年が捧げる愛はすでにこんなに違う。その現実は残酷だけど、だからこそお互いがいとおしいんだなあ。――

短い簡潔な文章で、こんなにも的確に感動的に描写できる、山田詠美氏という人はすごいなあ。それ以来ずっと好きなのであります。

2005年10月12日 (水)

アケビ

Nec_0089 畑の奥の藪を払いに行ったら、アケビがなってましたよ。

まったくそこらの山より藪じゃ・・・(とほほほ)。もちろん植えたわけではなく、どこのどなたか存ぜぬ鳥様が、どこぞの山とも知れぬ山のアケビの実を食されて、我が家の畑にお寄りくださった際に、種混じりのウンコをひりだし遊ばされたのである。

茎は「木通」といい、花の時期に採取して干したものを腎臓炎や尿道炎、膀胱炎のむくみに用いるらしい。あと煎じ汁でおできを洗うとよい。それと果実の皮を油で炒めて食べる地方が多く、春先の若葉や若枝をおひたしや、胡麻和えにもする。

ま、難しいことはさておき、さっそく中の果肉を食べてみる。ほんのり甘い。で、調子に乗って黒い種を噛んでしまった。にっっっっっがあああ!ぺぺぺぺぺ。そうだったそうだった、果肉は甘いが種は激苦いんだった。ちゅうてもほとんどが種なんじゃがのう。うがいをしたり、お茶を飲んだりいろいろやってもなかなか苦味は消えなかった。

残りは地鶏くんたちにあげた。

ベルセルク・29巻

Nec_0087 80―90歳代の日本人男性のほとんど全員が軍隊経験があるわけである。赤紙はどんな地の果てまでも届いたそうだし。

知人に二人の90代男性がいて、去年亡くなった一人は陸軍上等兵、満州で終戦を迎え、そのままシベリア抑留されて文字通り九死に一生を得て帰国、もう一人はまだご存命だが海軍少尉、マリアナ諸島で同じく九死に一生を得て帰国。お二人とも自分の部隊の9割が戦死した中、運良く残る一割にはいって生還された。そのお話はお二人それぞれに壮絶だ。軍隊にいた以上戦争とはいえ直接的間接的に人を手にかけてらっしゃるはずだが、それは決してお話されない。戦後文字通り泥水をすすって日本を再建された方たちだが「息子たちをあんな目にあわせたくない一心」だったということはお二人とも口を揃えておっしゃった。

というところで、「ベルセルク・29巻」(三浦健太郎著・白泉社)である。90年代から続いているマンガシリーズで最近見られる傾向に「次世代ストーリー」がある。ベルセルクしかり、そして「イヴの眠り」(吉田秋生・小学館)しかり。ベルセルクの場合ガッツとキャスカ(それからグリフィス?)の子供もどうやら大きくなってきているが、注目しているのはガッツの押しかけ弟子イシドロである。イシドロはかわいげのあるキャラで、戦乱の子らしくそれなりの苦労をしているが、まだ29巻現在で人を殺していない。イシドロの夢は「最強剣士」なわけで、その実現のためにはもちろん数え切れないほどの人を殺さなければならない。どうするんだろう?ガッツはイシドロに人殺しをさせるのか?ストーリーの流れから言ってそれは避けられないことなのだろうか・・・?ガッツは今や満身創痍で、風格はあるものの「狂戦士の鎧」のために味覚や色覚まで失いつつある。キャスカが精神退行を起こしたのも「血塗られた旅」の末のことだ。自分たちと同じ道を歩ませるのか?だいたい、一代目は文字通り泥の中を這いずり回って成り上がり、二代目はボンボンだが穏やかに秩序を守りつつ発展させるというのが定石。日本の敗戦の後で祖父たちは息子たちに泥をすすらせることをよしとせず、平和憲法を選んだ。「イヴの眠り」ではシンの息子のリエに結局人殺しをさせることなく話が終わってしまった。どうなるんだろう?どうするんだろう?この後のベルセルクは・・・・。