椿屋敷のお客様

« 2005年10月 | メイン | 2005年12月 »

2005年11月

2005年11月25日 (金)

十二国記シリーズ(イラスト)

Nec_0024_4 絵であれ音楽であれ文章であれ、人の顔、体、建築物、数式、香りetc.etc.・・・・・、「何かを美しいと思うこと」は「運命」です。

それを「美しい」と感じることは誰にも止められないし、また誰かが何かを「美しい」と感じることを止めさせることはできません。おかげさまで「世界は美しいものにみちみちとる!」と感じまくっている毎日ですが、「美しいと感じるものが無い人生」というのはさぞかし空しかろう、と思います。

絵師・山田章博氏(イラストレーターより絵師)の絵は、昔からそらもう大好きで超絶美しいと思うとります。デッサン、構図、タッチ、色使い、なにより雰囲気。ワンパターンに決して陥らない絵描きとしての知性。・・・素敵。

この「十二国記シリーズ」(講談社X文庫・小野不由美著)のイラストは特に出色だと思います。(もっとも山田章博氏の絵に”はずれ”はないんですがね)。NHKでアニメにもなっている、いわずと知れた大ヒット作ですが・・・。この作品のイラストを、もう山田章博氏以外の誰が描けましょうや。主人公の赤い髪の慶王・陽子、陽子の宰輔・黄色い髪の慶騏(「十二国記シリーズでは、架空の異世界に十二の国があって、その国それぞれに『王を選び補佐する麒麟』がいるのであります)の人物デザインもいいですが、なによりこの表紙の二人、延王・尚隆と延麒・六太のデザインが出色。一目見たら惚れますぞ。ああ――自分の写真のド下手さが悔しい!

もちろん小野不由美氏の小説も素晴らしいですが、山田章博氏の絵はその魅力を陪乗してると思いますがねえ・・・。この作品がヒットした後、講談社は絵抜きの講談社文庫版を出してますが(大人向きって事?)、山田章博氏の絵は充分大人の鑑賞に堪える絵だと・・・いや、大人にこそ見て欲しい絵なんですがねえ。

はるかなり富士の峰

Nec_0023_1 「日本人なら富士山を極めなくちゃ!!」という友人N嬢と一合目から富士山に登ったことがあります。

当時まだあった富士山頂のレーダー測候所に行きたかったので、「よっしゃ、わかった!」とN嬢と「天文気象山岳同好会」を結成。軽登山靴とデイバッグとヘッドランプを購入。8月のお盆休みを、登山決行日に、その年の3月から8月始めまでの毎週末、「自主トレ」と称し関西の1000mまでの山を登りまくりました。もちろん「歯をくいしばってがんばるぞ」ではなく関西の山の上には必ずある寺社仏閣詣でと観光を兼ねたお気楽ハイキングです。

んで、決行日の前日に御殿場の気象台に「天文気象山岳同好会ですが・・・」とレーダー測候所の見学を申し込みました。測候所には電話がなく、無線で連絡してくださるということでした。富士吉田市の宿から朝一番にN嬢とてくてく歩きで出発し、今は皆5合目まで車で行くので荒れ果てた1合目から4合目まであまり変わらない山道をとことこ登り、5合目の宿で一泊。日の出前に出発して、満月を堪能し、7合目でご来迎。8合目は良かったが9合目で高山病の症状が出てきて酸素ボンベをシューシュー吸いながら、午前十時の予定が午後二時に測候所にたどり着きました。

測候所の職員さんは常時五名で、3ヵ月ごとの交代。他に何もない富士山頂のこと、みなさん退屈してらっしゃったらしく、上をも下をも置かぬ大歓迎をしてくださいました。1ヶ月に一回キャタピラで上げてくるという貴重な食料庫のスイカや水羊羹まで出してくださり、レーダー観測機器や居住区はもちろん、基地のあらゆるところを見学させてくださいました。本当にその節はありがとうございました。特に「日本で一番高い所」剣が峰の肉眼観測場に登らせていただいたときの景色といったらもう・・・。あれは一生忘れられません。(実は高所恐怖症)

「今日は帰らないで測候所に泊まっていきなさいよ―――。」と熱心に引きとめてくださるのを丁重にお断りして、実り多かった富士山頂を後にしました。これには後日談があり、その年の今頃でしたか、富士山頂に単独登山した人がいたらしく、やはりレーダー測候所に寄ったそうです。で、職員の方たちの大歓迎を受けて下山されたそうですが、おりしも降り出した雪の中行方不明になってしまったそうです。そのニュースをN嬢と「わかるわ―。職員さんたちすごく熱心に引きとめたんでしょうね。いっそ、一泊したら大丈夫だったでしょうにね――」と話したものでした。

何年か前、富士山頂の測候所は閉鎖され、N嬢は旦那さんの仕事の都合でイスラエルに行ったまま、行き違いで連絡が取れなくなっています。もしこれを見ることがあったら連絡してくだされ。

2005年11月24日 (木)

椿「吾妻絞」

Nec_0022_1 椿「吾妻絞(あずましぼり)」が咲きました。

我が家近辺では昨日の朝など放射冷却で霜が降りていました。オンボロの軽のエンジンがかかりにくくなり往生しました。季節は確実に冬になっていきます。でも冬来たりなば春遠からじ!大好きな春がくるまでやることはどっちゃりあるのだ!

庭、畑のどこに、どんな椿・山茶花が咲き出すかわからないので、毎日の見回りは油断なりません。花が咲かないうちは椿の木を椿と認識してなかったりします。築山のグランサミアナの奥にも高さ3m以上の椿か山茶花の木が5,6本生えていますが、夏はどれも一緒の木に見えます。それが時期になるとああ――ら不思議。それぞれが色も形もちがう花をつけて個性を主張しだすのです。「吾妻絞」もその中の一本です。「絞」の名にふさわしく、白地または淡桃地に呉服生地の絞にそっくりな絞り模様が入っています。一重、ラッパ咲き、筒しべで中輪。花期は11―4月。葉は長楕円で大型。樹形は立性で強いです。なにせ花の枝に届かないぐらい高くなっています。古い尾張の花で来歴はわからないのですと。この花も好きだなあ。飽きがきません。

剪定バサミ

Nec_0019_1 「ローテク万歳グッズ・その9」剪定バサミです。

実家が植木屋(今や開店休業状態ですが)なので、剪定バサミや手鋸の類は商売道具としていつも身の回りにありました。とにかく何かあったら「ハサミ、ハサミ、ハサミ」なのです。剪定はもちろん挿木、接木、藪払い、なんにでも使います。使い慣れると直径3cmぐらいの枝もこれで落とせるようになります。

ほんとうはこれも自分で研げるようになるといいのですが、ハサミの砥ぎはとにかく難しいのですよ。なにやらμ単位で両方の刃を合わせなければスカスカになって役立たずのハサミになってしまうのです。父が修行時代、とにかくハサミの砥ぎからだったそうです。大工さんも鉋砥ぎからだといいますね。「できるようになりたいなあ・・・。」と思いながら時間が過ぎていってます。いかんよそんなことじゃ。

2005年11月23日 (水)

換気扇掃除

Nec_0020_2 Nec_0021_5まっこち情けなか話ですが、9月1日になっても夏休みの宿題 が終わってないような子供でした。さすがに大人になって「納期」とか「〆切」とか「期限の遅れが死活問題」になることが骨身にしみてきましたので、他人様が絡むことには迅速な対応をするようになりましたが、たとえば大掃除など、うかうかしていると全く手をつけないまま年が明けてしまったりします。

「そういうけじめのないことではいかん!」と近年になってやっと「11月からこまごまやっていく」という地道な手法をとるようになりました(それでやっと人並みだっちゅうの)。台所は特に掃除場所が多いので、最優先にやってます。今日はずっと気にかかっていた換気扇に手をつけました。換気扇も年代物で祖母の代から使っているものですが、こういうのはよっぽどのことがない限り壊れることはありませんのでそのまま使ってます。立派に煙を外に吸い出してくれますし・・・。お湯に何時間かつけておいて、自家製檜の葉入り廃油石鹸で洗います。廃油石鹸、今や使ってらっしゃる方は結構多いと思いますが、油汚れよく落ちますよね―――!手洗い洗濯にも使ってますが、食器やレンジ廻り洗いにもスポンジで溶かしながら使います。環境にもいいそうだし廃物利用だし何より安上がり、いいですよ―――、廃油石鹸。

マユミの実

Nec_0016_1 マユミの実です。

ピンクの莢にちょこんと真っ赤な実が納まって、すごく好きな実です。

「マユミ」は「真弓」で、その材が固い上にしなやかで和弓の材に適しているのだそうです。弓といえばお客様の麦の花さんが、自宅に弓道場(!!)を持ってらしてご夫婦で修行してらっしゃるのだそうです。すごいなあ。

親戚に「真弓」という姓があり、どちらが苗字か名前かわからないです。樹も綺麗ですが、名前も綺麗です。

2005年11月22日 (火)

ヤギ用ペレット

Nec_0015_2 ヤギ協会の会長さんが、農産ヤギ用のペレットを届けてくださいました。ついでにめーさんの様子も見にいらっしゃったのです。ペレットの袋のヤギのイラストにご注目。「そうそうヤギってこんなよねえ。」という写実的なのにかわいい絵です。好きだわぁ、このセンス。Nec_0017_1

「健康ですよ。いいですねえ、こんな山奥だとこの子ものびのびしている。」とおっしゃっていただいたのでホッと一安心。

ヤギさんは草が主食なのですが塩分などのミネラル分を取る必要があります。野生のヤギさんたちが山の中を岩塩を舐めに行くシーンがありますが、あれです。それをこのペレットで補うのです。

それにしても、会長さんいわく、「昔は牛のでよかったんだけどねえ。狂牛病の影響でヤギはヤギ専用のを使うほうが安全になってきたんだよ。」とのこと。あの――もしもし、ということは普通の牛のペレットっていったいどんなんなのですか?

猫型地震計

Nec_0014_3 阪神淡路大震災のとき、北大阪の高槻市という所に住んでいました。有馬―高槻断層という、淡路島の断層と連動して揺れた断層が近くに通っていたので、まあ、大揺れに揺れましたよ。鉄筋コンクリートの4階の部屋で、6棹の本棚と2千冊のコミックスが雪崩をうって落ちてきたとき、ただ呆然としていました。本棚の下敷きにならなくてホント良かったです。

ドリアン(アメリカンショートヘアのハーフ・おじさん・12歳)はわたくしの脇腹で寝ていたのですが、まだピクリとも揺れがこないうち、いきなり飛び上がってどこかへ走っていきました。「なにごとよお・・・。」早寝早起きがその日はたまたま夜更かしして、頭が寝ています。次の瞬間初期微動(地震の最初のカタカタカタという縦揺れ)が来て「な、なんなの?!」と飛び起きたら、「ぐわっさああ、ぐわっさああ」というたいへんな大揺れが!もう、「狭いところに逃げる」とか、「頭をかばう物をかぶる」とかの状態じゃないです。ひたすら布団の上で這いつくばって、「あわわわわ―――!」と時の過ぎるのを待つのみ。あのときは永遠の長さに思えましたが実際は1分足らずでしょう。「火の元の確認」なんてとんでもない。

当時すいかという名の女の子の猫もいて、揺れが収まって落ち着いたときに2匹の猫を探しましたが、そこらに居ませんでした。「ど、どうしたの?」と半狂乱になって探したら、下の植え込みからすいかの鳴き声が。揺れが始まる前にベランダから飛び降りたらしいです。震えているのを連れて帰りました。幸い怪我はありませんでした。ドリアンはなかなか見つからず午後になって押入れの天袋に逃げ込んでいるのがわかりました。まったく・・・・・。それにしても、猫の危機を察知する能力には驚かされたことでした。

夕べの丑三つ時に鹿児島地方は震度3の地震があり、うちも揺れました。でも、脇腹に寝ていたドリアンがピクリともしなかったので、「たいしたことはあるまい」と判断して、そのまま眠り続けました。みなさんはいかがでしたか?

2005年11月21日 (月)

鋼の錬金術師・12巻

Nec_0013_2 「鋼の錬金術師・12巻」(荒川弘著・スクエアエニックス)を買ってしまいました。ばりおもしろかったです。

このマンガにでてくる男も女も(ほとんど少年少女だったりする!)なんでこうまでかっこいいんでしょうね?エドとアルの錬金術師兄弟はもちろんのこと、幼馴染のウィンリィ、マスタング大佐にホークアイ中尉、みんなギリギリのところで生きているのに人に優しい。特にこの12巻ではむちゃくちゃかっちょええ表紙にもなっている「東の大国シンのリン・ヤオ皇子」が大活躍!はっきり言って惚れますぞ。王者の自覚と鍛錬された体と心を持ち、50万人の一族を背負って異国までやってきた皇子。それだけでも震えがくるのに、どんな危機でも彼は重傷を負った部下を決して見捨てない。そして一緒に生き残るための方策を冷静に考え続けるのです。そしてその部下がまたその信頼に見事に応えてくれる。壮絶なまでの信頼関係。すごいなあ。荒川弘氏、いったいどんな人生を送ってきた人なのでしょうか?まだお若いようなのに。まあ、北海道の女性は強いしよく働くといいますからね。ご身内の女性もさぞかししっかりした方たちなのでしょうなあ。

このマンガの好きなところは「決して安易に人を殺さない」ところですね。しかしなかなか複雑な展開になってきていますが、これからどうなるんでしょう?エドとアルの錬金術師兄弟のおやっさんが重要な鍵を握る人物なのですが・・・。どうなるの?

アニメもおもしろかったけれど、やはり荒川弘氏のマンガのほうがわたくしは好きです。

蕎麦の実

Nec_0012_3 ご近所のHさんから、蕎麦の実をいただきました。これを種にして蕎麦を栽培しようと企てています。

日置の実家に父方の祖母が使っていた石の碾き臼がありますので、せっかくだからそれで自家製全粒粉蕎麦を作ってみようという野心に燃えています。

うちのご近所は江戸時代の昔から鹿児島市に野菜を売っていた近郊農業地帯で、いまだにご近所中がじつに熱心に畑作をやってらっしゃいます。朝のモモ散歩は7時なのですが、夜が明けるのが遅いこの時期でもすでに畑に出てらっしゃる方たちがおられます。みなさん何十年も作物をつくってらっしゃる大先輩です。80―90代の女性のお話をうかがうと、自宅で米、麦、大豆、茶、その他季節の野菜、果物を作り、鶏、牛、豚を飼うのはごく普通のことだったと口をそろえておっしゃいます。茶を煎り、梅干らっきょうを漬け、味噌を作り、蕎麦を挽く。季節の行事として当たり前にやっていた、と。不遜にも「あの方たちが普通にやってらしたのなら、なんとかわたしにもできるじゃろ。」と思っています。もちろん、そういうリスペクトしている大先輩たちが元気で記憶もしっかりしてらっしゃるうちに、でき得る限りやり方をご指導していただかねば!