平安時代の絵師良秀が「地獄の炎に巻かれて牛車とともに燃える女」という絵のテーマに憑りつかれ、最愛の一人娘が牛車とともに燃やされるのを狂気の眼差しで観察して、とんでもない名画を遺したというお話でした。
美しい娘は良秀が仕える貴族に懸想されていたのだけれど、それを袖にして他の男と情を通じていたので、貴族は嫉妬にかられてそんな残酷なことをしたのだと最後に示唆されています。あと絵のためには人を人とも思わない良秀の傲慢への鉄槌の意味もあったのだと。
芥川の簡潔明瞭にして論理的な名文で、良秀と貴族の狂気が淡々と書かれていて、大好きな短編なんであります。
・・・・・それにしても、日本仏教では昔から「六大地獄」の中に「炎熱地獄」があったわけです。そこでは永遠に燃え尽きることのない炎が燃え盛り、罪人たちを炙り続けるのだそうな。「地獄変」の牛車の中で焼き殺された娘のように。でもその地獄は死んでから行くところじゃなかったっけ?「生きながら地獄に落ちる」なんてぜっったいやだぞ!
日本全国、炎熱の暑さの中、熱中症が多発。今日も今日とて各地に猛暑予報が出ています。だんだん地獄に近くなってきているぞ。どうなっておるのじゃ?「足元に火がつく」とはこのことじゃ。「憲法改正、教育改革」なんかよりこっちの対策のほうが先だろう。
岐阜の多治見市、埼玉の熊谷市など40.9℃や40.8℃の高温日本記録だとか。恐ろしいことです。
40℃なんてわたくしの体温より4℃高いじゃないですか。凄まじい。東京の妹からのメールでも都心が40℃を超えているとのこと。どうなっておるのじゃ?
くれぐれもみなさま熱中症にご注意くださいませ。熱中症で亡くなられた方には心よりのお悔やみを申し上げます。
ニュースで見たところ亡くなられた方は高齢でしかも室内で亡くなってらっしゃる。それも恐ろしい。都会では窓を開け放すのは物騒だろうし、そもそも緑が無ければ外気温も高いでしょう。田舎みたいに自然風でやり過ごすことはまず不可能。だからといって高齢だとクーラーをかけ過ぎればそれで体調も崩れます。まったくどうすればいいんじゃ、です。
つくづく「都市はもう人間の住むところではない」と思います。
「甲突川べりに生えていた」「近所の小川に群落があるらしい」と、最近立て続けにクレソンの噂を聞きました。結構簡単に野生化するらしいです。「ハーブはヨーロッパの野草である」とはつねづね思っていることですが、やっぱりそうか。
スーパーで売っているクレソンもそのまま水に漬けておくと根が生えてきて簡単に根付くらしいです。強いもんだなあ~。まあ、いわば紫蘇とか葱とか三つ葉とかみたいなもんだ。葱なんかも根っこだけを土に埋けておくとあっという間に葱の株ができます。こういう香りものはたくさんいりません。庭に生えてて新鮮なやつをちょっとだけ、ってのが便利なのですよ。
クレソン、1年遅れで格安になった種を一袋植木鉢に蒔いて、底を水に漬けてあります。結構発芽したし、よく育ってきてます。肉料理に一枝添えることができる日はもうすぐ。あとクレソンバターとかね。作っとくと便利だよな。
「糸瓜を食べる食文化」てのあ、やはり南方のものなんでしょうね。糸瓜に限らず苦瓜、ハヤトウリ、鹿児島で独特に食べる瓜類は結構あります。10年ほど昔、関西に住んでいたころ珍しいだろうと思って、家から送られてきた苦瓜をお知り合いにおすそ分けしたときのこと。「なんやこれ?」と気味悪げに顔をしかめられてしまいました。
あのときのショックは忘れられません。
今となっては「健康食品ゴーヤー」としてすっかり全国に定着した感のある苦瓜ですが、あの緑にイボイボのある形、知らない人には気味悪かったのでしょうね。あの苦味がたまらんおいしいのにね。
「人の振り見て我が振りなおせ」それ以来、他人の食生活を頭から否定することはすまい、と固く心に誓ったことでした。
何はともあれ苦瓜を食することは知られたものの、糸瓜を食することはあまり広まっていない模様。高知県では食べるそうですが・・・・・。よそではあまり市場に出回ってないらしいです。とりあえず、2,3本庭からとってきました。
「鼻の下を伸ばす」という言葉がありますが、ウマやヤギやウシの雄が文字通り「鼻の下を伸ばした」スケベ面をするときがあります。雌の尿の臭いをかいだときです。
いやもう、ほんとうにスケベそうなんだから。
鼻の下が伸びて唇がまくれあがって歯を見せて笑ってるみたいな顔になるの。生後半年にもならないボンボンくんも、最近みんなのオシッコを嗅いではスケベ面。ザーネン種の白くて貴族的な顔なだけに、その落差は愉快ですぞ。ボンボンくんには悪いけれど思わず笑う。
この反応はフレーメン反応というリッパな学術的名称があるんでございます。雌の尿のフェロモンを嗅いで発情してるかどうか確認しようとしてるらしいです。うむ、やっぱスケベがらみ。彼らにはヤコブソン器官という嗅覚器官があって、この顔をするとその器官に空気が送り込めるのだそうな。
人間の雄はヤコブソン器官が退化してしまい「臭いを嗅いで発情を確認」などというしゃれた真似ができなくなってしまいました。―――――ということなんだけど、この器官をまだ持ってる人間の雄、いるんじゃないの?「鼻の下を伸ばす」という慣用句が今に至るまで残っているのは、フレーメン反応する人間の雄が少数ながら存在するからではないですかね?こういう顔する男、見たことあるもん。
雌鶏よりも雄鶏のほうが派手なとさかや尾羽を持ってるし、雌ライオンよりも雄ライオンのほうが派手な鬣(たてがみ)を持ってるわけです。動物は雄のほうが派手でけたたましい格好をしていることが多いよな。
動物学者の竹内久美子氏の著作によればツバメなんかでも尾羽の長さが長くて切れ込みが鋭く入っているほど雌から選ばれる確率が高くなるそうな。 孔雀なんかあの派手派手しい扇形の尾羽の目玉模様の数が多い雄が有利だとか。まあ、どんな動物の世界も厳しいというこってすね。「雌が雄を選ぶ」のが基本なので特に雄は苦労しております。
うちのヤギたちの中で今のところ唯一雄の、今年春産まれのボン(ザーネン種)。この間まで「みええええ、みええええ」と鳴いてた赤んぼだったのに、最近首筋に鬣らしきものが生えてきておるのですよ。ンまあああ――――。
ヤギの成雄もかなりリッパな鬣が生えてきます。それ「賢者か隠者か」といった有様。ちょっと見哲学でも語りそうな風貌。中身ヤギなのに。ここでも「雌より雄のほうがおしゃれ」の原則が成り立っております。だから人間の雄が装うことは本能にかなっていると思うけどなあ。服でも髪型でも化粧でもおしゃれして当然でしょ。バンカラを気取るほうが本能に反してるでしょう。
んでうちのボンの鬣、どんな風になるのかな?ちょっと楽しみ。
ものの本によれば五官のうちでも嗅覚は最も脳の言語野から遠いのですと。そのかわり恐怖と快楽を司る場所には最も近い。つまり一番原始的な感覚なわけでありますな。
人間は視覚のみを極端に発達させたために、嗅覚が恐ろしく鈍ってしまった生物だと申します。かもしれぬ。うちの犬のモモなんかただの雑種ですが、彼女の感覚にはまったくついていけません。月も星も無い闇の夜、はるか庭畑の遠くに侵入してきた小動物の気配を、いったい彼女はどうやって探知するのでしょう?決して視覚ではない。聴覚。そして嗅覚。彼女にとって何の変哲も無い山中の空気は、さまざまな糸や平面をおりなす臭気の塊なのでしょう。その世界観、想像を絶します。
というところで「香水ーある人殺しの物語ー」(パトリック・ジュースキント著・池内紀訳・文春文庫)です。
いやーーーーーおもしろかった!昨今読んだ翻訳物の中ではぴか一でした。ちょっと前に「パフューム」というタイトルで映画化されたんですよね。でも映画を見ようとは思わないな。ネタばれになるので書きませんが、『ああ、これ映画監督なら映像化したくなるだろうな』という超絶シーンがあるのですよ。でもテーマが「嗅覚」だけにね。「映画」という「視覚最優先。ちょびっと聴覚」だけの娯楽では、どんなに優れた映像でも文章から想起する妄想の嗅覚のほうがなんぼかすばらしかろうかよ、と思っちゃうのです。
お話は革命前夜のどこもかしこもむちゃくちゃ臭い街パリに産まれた、「人間離れした超絶嗅覚を持ちながら、自分自身の体臭を持たぬ男」の一代記なのです。むちゃくちゃ文章がうまくて、「犬の世界を文章化したらかくもあらん」という説得力のある描写。思わず自分の鼻をくんくんしちゃいました。やっぱり香りってのは大事だよ。たとえ意識の上になくても、必ず無意識の中に記憶されてる。それが香り。人口香料で鼻をつぶすような真似は決してすまい、と思わされましたね。だって「色気」にダイレクトに影響するのが香りなんだもん。
構成もうまくて「おお、こうきたか~~~!」のどんでん返し。久しぶりに一気読みしてしまいました。おすすめでございます。
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