うちの畑の隅を駐車スペースとして使ってるのですが、その隅が雨でぬかるんでましてね、なんと車のタイヤがはまっちゃったんですよ。抜き差しならぬとはこのことなり。もう、にっちもさっちも抜けらんないの。
困り果てましたが、困るだけじゃ解決できませんので「モモの散歩でも行くか」と車ほっといて散歩に出ました。
そしたらまあ、いつもの犬散歩仲間のご近所さんが(このうちのワンコはレンくんという)、車とロープ持ってきてくれて、MYカーを抜き差しならぬ泥沼から引っ張りあげてくれました!!
ご近所ってなんてありがたいの!ありがとうございましたIさん!!
教訓:いついかなるとき、いかなる状況においても泥沼に足を突っ込まない。泥沼はまずいよ。
裏山の竹林の中、がけ崩れで途絶えてしまった道の途中に廃屋があるという話でした。「なんか気味悪いなあ。藪の中にさ」などと思ってたんですよ。ほき(鹿児島弁でシラス台地にできる谷の事)の底に通じていて、暗いし。
その廃屋、なんとうちの母方のご先祖さまが住んでた家らしい!!
あらまあ!衝撃の事実。
そう聞くと気味悪さがだいぶマシになるから不思議。
昔の屋敷は水の確保が一番の問題だったので、谷の底に近いほうが一等地だったのですと。ほんでそのご先祖の家は水は豊かに出るわ、その割にはからりと乾いているわ、田んぼには近いは、昔の郷士の家としてはとてもいいポジションだったそうな。だから母方の家は戦前までは結構いい暮らしをしていたらしい。そこらの土地は全部母方の親戚の土地で固められてるもんな。
ただ戦後の農地改革でぜんぶとられちゃって、見る影もなくなっちゃったんですと。ふーーーーん。栄耀栄華も一夜の夢の如くなり、ってか。儚いもんだなあ。
なにはともあれ、以前ほどこの場所が疎ましくなくなったのは事実。人間の感覚って現金だよ。
これまたまったくもって何をいまさらなんですが、今まで銀行印というものを持ってなったんです。
判子は20歳ぐらいのときに母からもらったお古のツゲ認印をずっと使ってました。銀行印のみならずさまざまな契約書はすべてこの判子。なんか最近この判子の外丸が切れてきてしまって。
「外の丸が切れた判子はよくない。切れたところからお金が逃げる。」と聞き、「これはいかん!」と。
最近「お金を貯めるぞ!」と決心いたしまして、そうなると「やっぱまず銀行印からじゃな」と判子屋で本ツゲの銀行印を作ってもらいました。
「隷書が好きなんで隷書にしてください」と言ったら判子屋に怒られました。銀行印みたいに他人に真似されたら困る印鑑はテン(漢字がでてこん)書なんですって。ほんとに世の中知らないことばかり。
「わかりましたテン書にしてください。」とお願いして、できました。生まれてはじめての銀行印。¥4000のところ負けてもらって¥3500なり。
さあこれで新しい通帳を作って貯めるぞお、お金。
「その¥3500から貯金せえや!」とは言いっこなしよ。
うわお、今年も紫陽花が咲く季節となりました。うちの庭と畑にも何本か紫陽花がはえています。
畑の西の奥、柿の木の下にもピンクの紫陽花があります。
花が咲くまではここに紫陽花があったことなど忘れてるの。季節が来てピンクのぼんぼりのような塊がいくつも浮かび上がってきてから「あ、そうだここにも紫陽花があったんだった!」と思い出すのです。何もかもが灰色の雨にけぶることが多いこの時期に、インパクトの強い花だよなあ。
こないだ李家幽竹の風水を見てたら、「紫陽花は女性の陰の気を払って浄化するとてもよい花」と書いてありましたのじゃ。そうかもしれぬ。「雨の日に人の悪口を言ったり、愚痴を言ったりするのはよくない。陰の気が増大して次の炎熱の夏に心や体の健康を損なう」のだそうな。ふわあああ、くわばらくわばら。まあ、ただでさえうっとおしい雨の日に、うじうじうっとおしいことを言ってるとおかしくなるよなあ。
目の覚めるような鮮やかな青やピンクの紫陽花でも見て、からりと明るく過ごしたいもんだよ。
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