ああ・・・・・・・・
とうとうこの日が来てしまった。
「家定公、薨去。」
ショックだ。これから日曜は何を楽しみにしたらいいの?
燃え尽きそうだ・・・・・
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久々にこれほど架空の人物に(歴史上の人物ですが)入れ込んでしまいました。堺雅人の家定は本当にすばらしかった。なんというリアリティ。
もちろん篤姫を演じる宮崎あおいもキュートだし、幾島の松坂慶子もド迫力、そして本寿院の高畑淳子の超ハイテンション、滝山の稲盛いずみのクールさ(いつもクールな滝山が声を震わせて「家定公、薨去」と伝えるからドラマ効果抜群)、全部があって初めて成立しているドラマ性なんだけれどさ。奇跡のようにドラマティックでロマンティックだった「篤姫―大奥家定編―」(勝手に名づけてます)のここ2ヶ月。
考えてみればさ、家定×篤姫って「難病モノ」と「ロミオとジュリエットモノ」かてて加えて「動乱モノ」という「泣かせラヴストーリー」の要素がみっちり詰まってるんだよな。んで、凡百の「泣かせ」だと「ケッ、先は読めたぜ。その程度で『泣き』がはいるかよ!」などとスレた見手は吐き捨てるんだけどな。
堺雅人の家定が持つリアリティがそれを許さんのよ。どんなに肉体や精神がギリギリの状態でも、同情や哀れみを寄せ付けず、ウツケたりふざけたり。愛するものへの深い思いやりに最後まであふれていて、その誇り高さや気高さこそが胸を打ち涙を誘うのよ。
よかったなあ。
もう、それだけ。
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「リアリティ」というと、こういう歴史モノだと必ず「史実とは違う!」とかぎゃあぎゃあうるさいおっさんとか出てくるんだけどさ。意味ないね。
これは歴史の教科書じゃなくて「歴史モノ」というジャンルのエンターティメントなんだからさ。ドラマティックでロマンティックでおもしろいことがすべてなんだわ。「登場人物に感情移入できるエピソードを積み重ねる」これこそがエンターティメントのリアリティ。
だいたい「歴史モノ」っていわば「ファンタジー」と「ミステリー」と「SF」の総大成みたいなジャンルなんだから。「史実」なんて物語の世界観を構成するディティールの一部に過ぎないのだよ。その「ディティールをどう使えばおもしろくなるか」が物語の作り手の腕の見せ所。「ディティールが正しいかどうか」はこの際二の次。
史実上の家定の病弱も奇行もこういう解釈にしてしまえば、誇り高い貴公子のチャームポイントになるし、篤姫が男勝りで処女だったという伝説もこういう使い方をすれば、女一世一代の愛の証になるというわけ。思わず膝を叩いたもん。
改めて思いました。この脚本は凄い。
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