今年は一月にメロンが、四月にドリアンが死んでしまって猫がいなくなってしまいました。
うち、納屋に鼠がでるんで猫がいないと困るんです。何より猫がいる生活を17年も送ってしまったので、ふわふわ柔らかい毛皮をなでたりとか、ごろごろ鳴らすのどをかいてやったりとか、ぷにぷに肉球を押してやったりとか、そういうことが無い生活は味気なくてたまりません。
それで、地道な手段に出ました。要するにうち近辺を徘徊している野良ちゃんの手なづけ作戦です。
実は一ヶ月ぐらい前から玄関で餌付けして、徐々に徐々に屋内に餌を持ってきて家の中に入れることに成功!!
昨夜などわたくしの布団でごろごろいいながら添い寝をしてくれましたですよ!!
やったね!!!
彼女の名前は「みかん」ちゃん。推定4~5ヶ月。おそらくアメリカンショートヘアーの血を引いています。さらにさらに手なづけて、警戒心を解き、完璧うちの猫とするのだ~~~!!
ガランガランの乾燥した日々が続いたかと思ったら、一転底が抜けたような大雨。昨日から絶え間なく雨が降り続いています。
こんな悪天候の中、雌鳥さんたちは抱卵を続けています。小屋の中で抱くオタフクはもとより、オタフクの娘の黒子ちゃんが初めて抱卵をはじめました。
脱走した彼女がどこへ行ったのか、心配してたんです。ヘタな場所で抱卵すると、タヌキやキツネに獲られてしまうからです。でも、彼女が選んだのは「ここしかない!」ともいうべき、ベスト・ポイントでした。
大きく葉を茂らせたミョウガの藪の下で抱卵していました。
ここは、居間から近くて光も届き、なおかつモモやアンズが番を張っている場所に近くて、侵入者が居たらまず彼女たちが見逃しません。
いい~~場所を選ぶもんだなあ。
抱卵をはじめてしまったら、もう動かせません。だから場所の選定がすべてです。ここなら大丈夫。
あと、危険なのは雛が孵った後。ちわちわと動き回る雛をかばって雌鳥ごと根こぞぎ獲られる危険性があります。たぶん7月10日前後。そこらあたりでまた対策をとらねば。
実はモモ(紀州犬雑種・雌・10歳)が、4月の血液検診の結果が悪かったんです。肝臓の数値が軒並み高かった。
その日の朝、初めてまったくご飯に口をつけなかったんです。びっくりしました。何があってもご飯を食べる子だったので。ちょうどフィラリア検診のために血液検査の値引きサービスだったので、そのまま病院に連れて行き、検査を受けさせました。
先生いわく、「去年の値よりかなり悪いです。体重もかなり減っています。一ヶ月間肝臓のお薬を飲ませてみてください。その上で再検査してみましょう。」
「場合によっては肝臓に腫瘍ができているかもしれません。」
ガーーーーーーン!!それって癌かもしれないってこと?
「わかりました!!頑張って一ヶ月お薬を飲ませ続けます!!(お財布にはかなり痛いけれど)」
モモはこの山の中でともに戦い続けてきた同志です。タヌキと戦い、キツネと戦い、イタチと戦い、ヘビと戦い、鼻の頭には大タヌキと戦った証の傷跡が残ってます。まだまだ後継犬のアンズに仕込んでおいて欲しいことがいっぱいあります。
じりじりと焼けるような思いで、モモに薬を飲ませ続け、一ヶ月が過ぎました。昨日、病院に連れて行って再検査を受けさせました。
結果は・・・・・・・・・
「モモちゃん、元通りの値になりましたね。大丈夫でしょう。」
はーーーーーーあああ。よかった。
まあ、こないだは1m20cmクラスのアオダイショウを退治してたしな。瀕死ってことはなかろう。というかかなり調子がいいんじゃね?とは思ってましたが、お墨付きがでると安心です。
油断は禁物。これからもモモにできうる限り長生きしてもらうよう、細心の注意を払っていかねば。
今年も雌鳥さんが卵を抱き始めました。オタフク、まだ現役です。卵たちの上でぷーーーッと膨らんで、「寄らば殺す!!」と言わんばかりの凄まじい顔をしています。実際手を出せば、突く齧る蹴飛ばすなど大変な目に会いますので触らぬ神に祟りなし、です。
雌鳥さんたちの抱卵スイッチが、いつ、なんで入るのか、不思議です。卵が巣にたくさん並んでいると入りやすいようですが、ときどき一個しかないのに入ったりします。20個近く卵が貯まっても、知らんふりしているときもあります。抱卵スイッチが入ると、人格(鳥格)が変わったように「お母さん」になってしまうのです。ほんとうに不思議だ。
今ネットで「MOTHER」を観てるんですが、松雪泰子演じる一見ドライな女教師が、虐待されてた女の子を助けていきなり母性スイッチが入ってました。人間もやっぱりそうなんだよな。
理屈や理念や倫理じゃない。運命のように、なるべくして、なる。そうなんだよな。
「恐ろしいもの」って日常に近ければ近いほど恐ろしいですわな。
たとえばヨーロッパ圏の「死神」。大鎌持ってマントで中身は骸骨、青ざめた馬(pale horse)に乗っている。そんなのが現代日本に居たらイカレポンチと思われるか、TVか映画のロケと思われるか、なんかのパフォーマンスと思われるか、いずれにしても恐怖とは程遠いシロモノですわな。
あれは2千年近い牧畜文化の歴史があり、キリスト教の素養がある土壌でしか、恐怖を共有できるものではありません。
キリスト教の影響はもちろん大きいけれど、一番は牧畜文化。牛、豚、羊を飼い、それを養うためにどこにでも嫌というほど大鎌が常備され、ちょっとやそっとの雨でもマントを着て草刈作業する習慣がある場所でこそ、恐ろしい。つまり「あのファッションを日常的に誰もがしてる」ゆえに「あのファッションには匿名性がある」事こそが、死神の恐ろしさなのです。
「どっかで見たような人だなあ、誰だったっけ?」とマントに近づいてよくよく見れば中身は骸骨だった・・・・・・・ひええええええッ!!!
ってことです。
今の日本だったら「雨合羽にゴム長靴、フードを深く被って顔は見えないがどこかで見たような人物が、うちの畑や家の周りをうろうろしている。おや?手には鎌?・・・・・・・・・・血まみれ・・・・・・・・・?!」
こういうのが一番怖いなあ。現実と地続きでしょ?「いかにもありそうなシーン」なんだもん。ありそうなのにそこから現実が裂けて地獄が口を開けそうな綻び。・・・・・・・・・・おお~~~~コワッ!!!
思うんだけれど、長いヨーロッパ中世の村社会で「大鎌による殺人」なんて数え切れないほどあったんじゃないの?それの積み重なった記憶が、死神のルックスと属性に集約されてんじゃないのかなあ?
最近のコメント