椿屋敷のお客様

マンガ Feed

2006年8月13日 (日)

ハチミツとクローバー・9巻

Nec_0026_19数えてみれば今までの人生で8回引越ししています。うううううむ。

もう二度としたくないです。わたくしに「フーテンの寅さん」は無理。だから農園を始めました。

「場を移る」事にはたいへんなパワーがいると骨身にしみました。実際に物を移す物理的ストレスはもちろん、がらりと変わる風景と人間関係、すべて精神的なストレスの原因となります。年をとればとるほど辛くなります。

というところで「ハチミツとクローバー・9巻」(集英社・羽海野チカ)です。

この傑作マンガは「キューティー(宝島社)」→「ヤングユー(集英社)」→「コーラス(集英社)」と2回も掲載誌が変わっています。原因は掲載誌の休刊。こんなにも素晴らしいマンガなのになぜ?出版界、ほんとうに不況らしいです。「ヤングユー」が休刊になったときはたまげました。女性誌で天下とってた雑誌なのに。もっとも「ハチミツとクローバー」が傑作であるからこそ、2回の変更にも耐えて生き延びることができたのでしょう。しかし著者の羽海野氏「かなりつらかった。特に2回目」と今回のあとがきで書いています。そりゃあつらかっただろうなあ。うむ、うむ。

9巻は急転直下といいましょうか「うおおお!!」というような大事件がはぐちゃんに起こります。いわく「終わりの始まりの幕を上げよう」。

同じ頃、もう一人の天才森田にも人生の一大事が。これまでもちょくちょく登場していた森田兄と森田が抱え続けていたナゾが判明。「なぜこの兄弟がこんなにも守銭奴になったか?」・・・・・・ううううむ、こういう答えだったのね。わたくし的には兄弟の回想シーンで出てくる森田父がたいそう好みです。こういう物作りのぶっ飛んだ天才、いいよねえ・・・・・(ホウッ)。前も書いたけれど「ハチミツとクローバー」のいいところは、この手の物作り野郎のカッコよさをなんのてらいもなく正面から描いててきたところ。今までなかったよ~。女性誌でこのタイプ(物作りの天才肌・職人肌)を主役クラスに持ってきたマンガ。でもこの父はその後登場しないけれど、どうなったの?まさか、亡くなったってことなの?ちょっとそれはいやだな。

なにせこの巻は「終わりの始まり」であるからして、今まで錯綜していたいろんな片思いがそれぞれなりの決着をつけようとしています。実はコーラス本誌ではこの間最終回を無事迎えてました(よかった。よかった。3度目はなかった)。年上のリカに片思いしていた真山の恋は実り、真山に片思いしていた山田さんは失恋したけれど真山の元上司野宮とくっつきそう。そして肝心かなめの森田と竹本から恋されていたはぐちゃんは・・・・・・?

これがまた「ええッ!?そうきたか!!!」とあっと驚く恋の顛末。

でも、教えねえ―――。コミックス派は次のコミックス(おそらく最終巻)が出るまで待ちましょう。

凄く感動的なラストでした。これだけは保証します。

そういや、この作品映画化されるんですってね。チラッと写真をみましたが花本先生役の堺雅人さんが「えええん、もーどうしたらいいの?」ってぐらい素敵です。

2006年8月10日 (木)

のだめカンタービレ・15巻

Nec_0019_14高校のときの担任のI先生は、謹厳実直を絵に描いたような英語の先生でした。

その人がかなりのモーツァルト・マニア

モーツァルトの曲を1小節聴いただけでケッヘル№はすらすらでてくるし、英語の授業中もふとした拍子にモーツァルトを口ずさみ「いいよねえ♪いいよねえモーツァルト・・・」とつぶやいたり。

生意気盛りの高校生の頃、モーツァルトをいま一いま二も好きじゃありませんでした。ほら、十代ってなーんにも苦労した事ないくせに「人生とは・・・」「生きている意味って・・・」なーんて深刻ぶるのが好きなお年頃じゃないですか。モーツァルトみたいにどこに足がついているんだかわからない軽やかさは軽蔑の対象でした。いや、怖かったのかも。「こんないいかげんなやつに惚れたらダメ。惚れたらとことん振り回される。」やっとの思いでバランスをとってたあの頃。怖がってハリネズミのようになりながらちっぽけな自分を守ろうと必死。そんな人間にモーツァルトは鬼門でしょう。

あのクソまじめそうな先生の心のどこに、モーツァルトみたいな与太者の音楽が入る場所があったのか今となっては不思議に思います。あれから年月が流れて「モーツァルト・・・・・素敵♪」と素直に言えるようになった今、I先生と話がしたいなあと思う事があります。もうかなわぬ望みとなってしまいましたけれど。

というわけで「のだめカンタービレ・15巻」(二ノ宮知子著・講談社)です。

あいかわらずクラシックをとりまく奇人・変人・変態のオンパレードですが、15巻の極めつけは超絶モーツァルトマニアの元貴族、ブノワ氏が出色でしょう。のだめの初リサイタルを開いてくれるお城持ちの金持ちですが、筋金入りのモーツァルトマニア(んで、たぶん変態)。常日頃からモーツァルトかつらをかぶり、モーツァルト衣装を身に着け、コスプレに余念がない。新人の音楽家を発掘するのが趣味のありがたいパトロンだけど、弾かせるのは必ずモーツァルト・・・モ―ツァルト・・・。のだめの演奏指導には「ぱっかぱっか」とお馬の真似。

この強烈キャラにもまったく動じないのだめのキャラは本当に凄い。一緒になって「ぱっかぱっか」と二頭立てでお馬の真似。初リサイタルでモーツァルト以外聞く気のないブノワ氏にいきなりかますfffのリスト。「プランクトン多め」のラベル。

(のだめって変態で、その言動には大笑いさせられるけれど、いつだって誰にだってむちゃくちゃ真剣なんだよね。まじめなんだよ(かなりかたよっているけれど)。モーツァルトだってそう。スカトロマニアで変態でぶっ飛んでて、どうしようもないやつだったけれど、大まじめなんだよ。何に対しても。そこらあたりが大人になるとだんだんわかってきて、思うわけよ。あのクソまじめそうだったI先生は、実はとんでもなくおもしろい人だったかも知れないって。ガキだったからそこらあたりがわかってなかったんじゃないか?もったいないって。)

どうやらここらあたりから、のだめピアニストとしての生計がたってきそうな気配。のだめらしい普通のルート(チャイコフスキー・コンクールとかさ)からじゃないピアニストへの道を歩みそうだ。どうやって職業ピアニストになるんだ?ますます目が離せません!

初リサイタルお城編の最後で、ブノワ氏がちょこっとかつらを取ってみせる、こういうところの落とし加減も、あいかわらず絶好調!!

2006年8月 8日 (火)

毎日かあさん・背脂編

Nec_0014_18わたくしの知る限りの子育て中のお母さんは、みんな質実剛健です。

今の日本で妻となっても働かないと生活できないのは普通。(『景気の回復』なんて嘘だよな。『平成の大本営発表』じゃねえのか?)。働き、家事をし、ご近所づきあいをこなし、なおかつ親の介護までかぶりながら必死で子供を育ててる、そんなお母さんばかりです。

だから、よくある「いまどきの母親は、子供をよう育てられない。」とすべての母親を一括してくくる ご発言には猛烈に頭にきます。

ニュースで取り上げられる、虐待や子殺しをしたごく一部の母親の話を一般論に持ってくるのは止めろ!

どんな世代にも虐待や子殺しをした親は、必ず同じぐらいのパーセンテージで存在しています。だいたい「虐待をした人間は、自分も子供時代に虐待を受けている。」というデータがあるわけでしょうが。「親の因果が子に報い」なんだよ。昔はTVがなかったから、秋田だの福島だのの話を余所の土地の人間は知らなかったし、「児童虐待」という概念もなくて「躾」の中に入れるバカもいたからやはりひどい話はあったわけですよ。知らなかっただけで。

「『母さんは~夜なべをして手袋編んでくれた~♪』母親ばかり昔はいたのに今は・・・」バカなことを言うな!子殺しも子捨ても昔からあったし、今の大多数の母親も綺麗事ばかりじゃない子育ての現実で必死なんだよ。文句いうヒマがあったら手伝えよ!

――――というわけで大好きな西原理恵子氏の「毎日かあさん③・背脂編」(小学館)です。

西原氏の何が好きって、かますギャグと、その後ろに見え隠れする切なさと哀しみのバランスがいいのです。しかもそのギャグがとんでもなくスケールがでかい。全世界を股にかけて、それが決してお行儀よくない。アンダーグランドすれすれだったりする。観察眼が凄いんです。妙なモラルや固定観念のフィルターをかけずに、あるがままを描く。「これは今まで誰も描かなかったシンガポール(タイでも、カンボジアでもいろんな国名を入れてください)だな。」というところを平然と出してくる。その度胸たるや凡人はただ呆れるのみ。呆れて思わず笑ってしまう。何というパワーでしょう!

全世界を股にかけているくせに、家族、ママさん友達、身近な人々をこよなく愛して大事にしている。照れ屋さんで恥を知っているから、作品の中で垂れ流すような真似は決してしないけれど、その愛は深い。深すぎて底無し沼のようだ。西原氏のマンガにはいつも泣かされてしまう。ギャグで大笑いして油断していると「そ、そんな痛いところを、せ、切ないところをつかないでくれ~。」と、自分の中の生乾きの傷をいきなりつつかれる。痛いんだよ~これが。でも治療が痛みを伴うのと一緒で、痛みの後はその傷が持っていたどんよりとした熱や腫れが引いていく。気持ちがいい。

西原氏はたぶん余人には想像もできないような修羅場を潜り抜けてきた人なんだと思う。普通なら耐えられないような傷も痛みも負ってきてそれを乗り越えてきた人なのだと思う。そういう彼女が描く子育てマンガ。

凄いよー!!!

「いまどきの母親は云々~」とかほざく何も知らない「良識ある」人々よ。

これを読んでからいえ。

2006年7月29日 (土)

ごくせん・13巻

Nec_0016_18 さて、ン十年前、京都で学生をやっておりました頃は、今以上に世間知らずのお馬鹿ちゃんでありました。田舎者のこと都会者では通常考えられないような(また京都ってのが東京よりはるかに都市社会なんだわ。千年の筋金入り。)失敗をしでかしては友人達を爆笑の渦に巻き込んでおりました。

その極めつけの事件が「K桜会系の組事務所に銭湯と間違えて入ってしまった事件」でした。

(だって学生寮の近くだったんだもん。変なひょうたんマークがガラスに金箔で押してあったんだもん。その日は寮のお風呂が使えなかったんだもん。道場練習でどろどろに疲れてお風呂に早く入りたかったんだもん。暗かったんだもん)

まあ、とにかく田舎娘がスエットの上下着て、手には風呂桶とタオル、ボーッとした顔でいきなり磨りガラスの引き戸をガラリと開けたので、構成員の方たちもたまげたことでしょう。目つきの悪い三人のおじさんたちがいっせいに「ギッ」とこちらを睨みつけましたよ。

「?」何がなんだかわかりませんでしたね。さすがに「ここは銭湯ではないのかしらん?」とは思いましたが、風呂桶を持ったままボーッとしておりました。その三人のおじさんたちのうち一番年嵩が「がーはっはっはっは」と笑い出しました。

「???」

「風呂と間違ったんかい!?」

「はあ。ここは風呂じゃないのですか?」まだ鹿児島訛りが抜けてませんしね。愛嬌があったんですかね。

「ここは違うんや。そこの角を曲がって二軒目。もう間違いなや。」

「ありがとうございます。すみません。」ガララララ(ガラスを閉める音)

という事があったんですよ。暴力団新法ができてあの事務所はどうなったんでしょう。入ったところに神棚が見えて、提灯がたくさん並べてありましたよ。今にして思えばまごうかたなき組事務所。げに恐ろしきは世間知らず。

というわけで「ごくせん・13巻」(集英社・森本梢子)です。

この「ごくせん」を読むたび、今までの人生で思いもよらず一度だけのぞいた組事務所の事を思い出します。もちろんあの事務所はヤンクミの実家黒田一家のような日本でも有数のヤの字さんではなかったでしょうが。森本氏の凄さは、今まで日本のありとあらゆるメディアが日本人に吹き込んできた「極道」というものの類型を、見事に表現しているところでしょう。「リアル」でなくていいの。「類型」だから。「イメージ」だから。物語の中で力を持つのは、クソみたいな「リアリズム」ではなくて、個々人の中に累積されている「イメージを喚起」することでありましょう。

森本氏は単純なデザインとすっとぼけたセリフでそのイメージを見事に喚起してくれる名手であります。

13巻での見所は、ヤンクミ追放を企てる白川理事長が、味方にするつもりで呼び出した同窓会会長とPTA会長が、アベツル社長と犬棒組長で、なんやかんやで結局ヤンクミを守るための血判状を作るはめになってしまう下り。

――――ううううむ。見事だ!森本梢子。

何といってもアベツル社長と、犬棒組長の造形が素晴らしい!!いかにもいかにもその手の怪しい社長と組長じゃありませんか!女性誌でここまで不細工なおっさん三人を並べてページを作って良いのか?というあいかわらずの身も蓋も無さ。すげえ!

YOU本誌でも連載中ですが、ついに慎が夏祭りでヤンクミを本気モードで口説きだしております。鹿児島では15日と月末が販売日、7月末号が楽しみで楽しみで仕方ないのです。どうなるの?慎とヤンクミ!いや~ん、ドキドキ。

2006年5月20日 (土)

秘密(トップ・シークレット)

Nec_0007_15 はなはだ俗物なもので、人には言えないようなことを脳内でいろいろ考えております。まあ、欲望にキリはございませんな。

それでも人間の脳の表面に出てくる意識はわずか1%。残りの99%は無意識として格納され、睡眠時に夢として出てくることがある以外は本人にすら生涯意識されることはありません。これもまたある意味恐ろしいことです。よく自己開発セミナーとか、カルト宗教とかであるのが「本当の自分を見つけよう!」というキャッチフレーズ。あれなあ。ああいうのにホイホイ乗る人、怖くないのか?『「嘘の自分」と「本当の自分」がある』という考え方もナゾですが、「本当の自分」とやらがそんなイイモノだと、なぜそんなに無邪気に信じることができるのでしょう?ナゾです。

「秘密(トップ・シークレット)」(既刊2巻・清水玲子著・白泉社)です。

――――近未来、人類は死体の脳からその脳が見た情報をMRIスキャナーという装置で解析できるようになる。日本でも科学警察研究所に「法医第九研究所」として主に犯罪関係者の脳から情報を取り出すための施設が開設される。新卒でそこに配属された青二才の青木と、そこの室長として一目置かれる童顔のエリート薪警視正。薪は「少年28人殺し」として有名な貝塚という殺人犯の脳を見ながら生き残った捜査員として有名だ。というのも貝塚の脳を見た捜査員は全員発狂したり自殺したりしてしまったからだ。凶悪な人殺しの所業を記憶した脳の情報はそれを見るものをすら狂気に陥れるほど強烈な負の圧力を持つ。おりしも8人の少年の連続自殺事件があり、その捜査で青木もMRIスキャナーを使用するようになるが、死者の脳の見る世界は想像を絶する恐ろしさ。薪から職換えをすすめられながらもめげずに勤める青木だが、その少年自殺事件と貝塚の事件が思わぬところでつながって・・・・・

清水玲子氏は、もうずっとLaLaで一種独特のSFマンガを描いてきた人で、「月の子」とか「輝夜姫」とか美しい絵で他人の追随を許さない強固な世界を築いています。正直言って好きな作家さんではありません。美しいけれどなんともいえず暗いの。読んだ後で気が滅入るの。

でも、絶対に無視できない。「好きじゃない」とかいいながら全部作品持ってるし。なんというか「残り99%の脳」が考えていそうなことを、平気でだしてくる人なの。「それもありか」と無理やり納得させられてしまう暗い快感をついてくるの。ううううむ。ただものじゃない。でもよほど心のコンディションが良くないと読めませんね。そういう清水氏の「とんでもなく美しい絵柄にとんでもなく暗くエロくグロい話」という特質に、この「秘密(トップ・シークレット)」はむちゃくちゃ合っていると思います。少女マンガ史に残る傑作であることはまちがいありません

ジャンキーやアルコール依存症が「いけない、いけない」と思いながらついつい薬やアルコールに手を出すように、ついつい読んでしまって止められなくなる。しかもおもしろい。そういう危険なマンガです。

2006年5月13日 (土)

MOONLIGHT MILE・12巻

Nec_0016_12 わが鹿児島は日本で唯一ロケット発射基地がある県なのであります。しかも種子島と内之浦の二つ。広島に嫁に行った妹が二歳まじかの甥っ子を連れて里帰り出産に帰ってきているのですが、「初孫にして男の子」の甥っ子に、いついかようにして種子島のロケット基地、できればロケット打ち上げを見せたものかと虎視眈々と図る父を見て、「まったく理系オヤジはどうしようもねえなあ」と思うのでありますよ。

というわけで、「MOONLIGHT MILE・12巻」(太田垣康男・小学館)なのであります。まさしくこの巻の舞台は種子島、主要脇役は「日本のどうしようもないプロジェクトX理系オヤジ」でありました。

・・・・・吾郎が人類初の月ベビーである自分の子供に遭いに行くために選んだのは、ロートルもいいところの国産H-ⅡAロケット。この作品中ではアメリカの世界戦略のために日本のロケット技術は封印され、エンジニア達もリストラされています。H-ⅡAのエンジニア達も養老院に入ったほうがいいようなジジイども。どいつもこいつもロケット一筋で家庭を顧みなかったジジイばかり。そのジジイの親玉が荒川教授(糸川英夫博士がモデル?)。

荒川は、仕事ばかりで家庭はほったらかし。そのためにぐれていた息子に子供ができて、和解の兆しが見えて荒川打ち上げのロケットを見学に来る途中で息子・嫁・孫ともども事故死してしまった悲しい過去を持っている。失意のあまり引退同然だった荒川のエンジニア魂に火をつけたのが、主人公吾郎のロストマンと産まれてくる子供への意地。「H-ⅡAで有人飛行」の悲願を達成するために、一致団結して当たる吾郎と自衛隊とジジイエンジニア達。

しかし「日本のロケット開発を快く思わないアジア某国のテロリスト」が種子島に潜入し、ジジイエンジニア達のバスを爆破してしまう。多数の死傷者がでて、滞る作業。分裂するジジイたち。そんななかH-ⅡAの種子島陸揚げが行われ、そのH-ⅡAをテロリストのロケット榴弾が今しも襲おうと・・・・・

いやあああ、毎度思うことですが、太田垣氏はほんっとうに話作りがうまい!こんな話よく思いつくなあ。そして何より視線が優しい。状況分析はものすごくクールなのに、どんなどうしようもない人物に対しても注ぐ視線はフェアで優しい。こういうところがすごく好き。

この巻の冒頭で吾郎とロストマンの生き方の違いが端的に表現されていました。「宇宙を目指すのに、アメリカで一番平等な組織である軍隊に入る」というロストマンと、「人を殺すと人間が変わる。心をなくすな」とたしなめる吾郎。この二人の言葉がすべてですね。

決して人を殺さない吾郎が大好き!「人を殺さない、でも決してあきらめず可能性を探す。」戦後日本のオヤジたちは仕事仕事でどうしようもねえわがままオヤジたちでした。家庭も国土もかえりみなかった。でも人は殺さなかった。その点だけでも「人殺しよりマシだよな。」と思わせてくれる、12巻でありましたよ。

2006年5月 5日 (金)

医龍・11巻

Nec_0027_9 今の日本でこういう事を言うと、とんでもない偏屈と思われそうなんですが、TVをほとんど見ません。「TVなんてお下劣」などと考えているわけでは決してなく、どちらかというとだい好きだったはずなのですが・・・・・見なくなってしまったのです。

目が悪くて「見ていると疲れる」というのも大きな原因です。いったん見なくなりだすと、お話についていけなくなりますし。今は「TVを見るヒマがあったらその分マンガを読む」というのに徹底してます。よって「医龍がTV化された」というのは知ってますが、一度も見たことはありません。どのみちどんなに忠実な実写化でも結局は別物だもんな。わたくしにとってはマンガでもう充分お腹いっぱいなんででございますよ。

と、ここで「医龍・11巻」(乃木坂太郎著・小学館)です。

大盛り上がりに盛り上がった「バチスタ手術」が大成功に終わりました。朝田を天敵と嫌う木原の母親の心破裂縫合手術成功のおまけ付です。ここまでお膳立てが揃ったらこのまま「加藤、教授選有利、野口派一掃になだれ込む」方向に行くのか?と一瞬思いましたのに・・・・・

なんと由比正雪ヘアの鬼頭教授(わたくしの一番のお気に入り)、ほんとに第3の教授候補を連れてきちゃいましたよ!

その名も国立笙一郎、メリケン国はUCLAの教授様!!さすが鬼頭さま引っ張ってくる人材が一味も二味もちがいます!

いやあああ、ほー―ンと乃木坂氏、只者じゃありやせん。

この国立の出し方もむちゃくちゃカアッチョええ!11巻一番のお気に入りのシーンは、この国立と野口が教授室で初対決するシーンですな。「こんな男でも、年をとると、祖国の役に立ちたいと思うようになるものです。」だって。もう――かっちょええ!またこの国立のルックスが「いかにも年功序列の日本医学界に見切りをつけて、飛び出した先のアメリカで出世しそうな」濃いい、というかブラックっぽいルックスなんですわ。なんという画力じゃ。絵だけでこの説得力。

これで教授選の行方は全くわからなくなってきました。おもしろい!どう考えても今の状況下で加藤に勝ち目はないぞ?どうなるんだ?ますます目が離せない医龍なんでございました。

国立と野口の対決に同席した鬼頭教授が、野口の煙草の煙にもはや嫌悪感モロだしで、手でパタパタ煽いだりするところなんか、「もお――ん鬼頭教授ったら(はあと)」で萌え萌えでございました。

2006年4月22日 (土)

イヴの眠り

Nec_0018_8 うううううー――む。

「イヴの眠り」(全5巻・吉田秋生著・小学館)であります。

これに関しちゃ書こうかどうか迷ったのですが・・・。基本的にここで取り上げるマンガは「誉め」にしたいわけですよ。マンガ評論のための専門サイトではないし、だいたい人さまの作品をああだこうだと非難するのは好きでありません。(という言い訳からも、この作品への評価が伺われてしまいますね)、でも大好きな吉田秋生氏の最新作なので、結局取り上げずにはおれませんでした。

吉田秋生氏は、本当にデビュー当時から大好きで大好きで、ほぼ全作品を持っています。世紀の傑作「BANANA FISH」に夢中になった方は多いでしょう。わたくしもその一人です。「イヴの眠り」も「BANANA FISH」→「夜叉」から連なるシリーズです。

この3作品に共通してでてくるキャラが、シン・スウ・リン。NYのチャイナタウン出身で、「BANANA FISH」のアッシュ・リンクスと交流があり、「夜叉」の有末静と協力関係で、そして今回の「イヴの眠り」のヒーロー(であるはずの)烈(リエ)の親父さん。新中国のリーダーとして期待される実力者。金も人脈も世界規模で持ってます・・・・・って、ちびのストリートキッズからエライ出世したなあ、おい。

つくづく思いましたね。「吉田秋生氏は初代を描くことはうまいが、二代目は描けないんだなあ。」と。あるいはこうも言えるか。「巨大なる組織やシステムに反抗する一匹狼を描くことはうまいが、システムの側は描けない。」・・・・・いや、ひょっとしたらそもそも「物語」というのは「成り上がる初代」や「システムに反抗する一匹狼」のためにあるのかも知れません。

「BANANA FISH」も「夜叉」も、「徒手空拳のアッシュ・リンクスや有末静が、おのれの才覚や気力や人柄だけで人々を魅了し、巨大なる組織や国家に立ち向かう」話でした。何の後ろ盾もない彼らが、命がけで自分の愛するものや誇りを守ろうとする姿に、感動させられたわけです。

「イヴの眠り」は彼らの二代目の話です。ヒロインのアリサは静の実の娘。リエはシンの息子。敵役のスーグィは静のクローン。「夜叉」のテーマが「遺伝子操作で新人類の能力を持って産まれてしまった静の悲しみと戦い」だったので、そのままそのテーマが持ち越されているわけなのですが・・・・・。どうも、ヌルい。戦いが戦いに見えん。

なにせ、アリサにしろリエにしろ、功成り名遂げた親の子なので、バックに親の組織力も、見も蓋もない言い方をすれば銭もあるわけよ。対して敵役のスーグィのほうにあまりにも銭が無さ過ぎ。いつもの吉田マンガのパターンだとこっちのほうが主人公だよなあ・・・・・。

アリサも魅力的な美少女として描かれてるし、リエだってこういう育ちのいい男の子は大好きなんだけどなあ。どう――もシンや静の持つ組織力が彼らの魅力の発揮を邪魔してるような気がしてならん。

もったいないよなあ・・・・・。

それでもさすが吉田秋生氏、それなりにおもしろく読めたけれど(2巻ぐらいまでは特に)、全五巻の中で一番おもしろかったのは番外編の「ハウメアの娘」。アリサの母ルー・メイ・クアンと育ての父ケン・クロサキが戦乱のカンボジアで知り合う話。これだもん。これだってルー・メイ・クアンもケンも徒手空拳だからおもしろいんだよね。

「吉祥天女」を思い出しちゃった。あれも2巻ぐらいまではおもしろかった。小夜子が権力をもっちゃたらなんかつまらなくなったしな。吉田秋生氏、よっぽど権力と相性が悪いのかも。

とにかく次の作品に期待だ――――。

2006年4月11日 (火)

きみはペット

Nec_0022_11 さて、幣ブログ「椿屋敷農園」をごらんになるとおわかりのように、わたくしのまわりは動物だらけです。猫と犬と鶏とヤギがおります。小さい頃からよく動物を飼う家でしたし、大阪で一人で暮らしていたときも、猫を飼ってました。飼っている動物達がはたして幸福なのかどうか、言葉をしゃべらないのでわかりません。いろいろ不満もあるのでしょうが、一緒にいてくれるだけでこちらは幸福です。というより「まわりに人間だけしかいない状況」がどうしても気持ち悪くてなじめないのです。自分では人間に接するのと動物に接するのとあまりテンションが変わらないように思います。動物がいると人間にも優しくできます。許すことができるようになるのです。自分にも他人にも。あれはとても不思議です。動物がいなかった時期もありましたが、そのときはとても心が不安定でした。懲りましたよ。

というわけでそのものずばり「きみはペット」(全14巻・小川彌生著・講談社)です。

昨年完結してまとめて読むことができるようになったので一気に買いました。やっぱりおもしろかったなあ―――。

・・・・・東大卒でハーバード留学で新聞記者のバリキャリのスミレちゃん。その肩書きと美貌でみんな気づいていないけれど、実は超不器用な性格。彼氏にも本音を吐くことはできなくて緊張しっぱだし泣くことすらできないの。そんなスミレちゃんがひょんな拍子に拾ったダンボールに入れられて捨てられていたモモ(仮名・スミレちゃんの子供の頃の飼い犬の名前・でも人間の20歳の男の子)の前でだけは、思う存分笑ったり泣いたり怒ったりできるの。だってモモはスミレちゃんにとってペットだから。他の人間にするように気を使わなくていいの。

これが人気をとってTVドラマにもなり大ヒットしたのがわかりますね。なんと心惹かれる設定でしょうか?女達が男社会の「会社」という組織で働き出したとき、もうダイレクトに感じることは「会社には7人の敵がいる」ってやつですよ。4大卒ってだけでそらもう男からも女からも叩かれるんですよ。この物語の中でもバリキャリのスミレちゃん、痛々しいぐらい緊張しています。もちろん周囲に違和感を感じさせる原因はスミレちゃん本人にもあるんだけど「悪意がある」ってわけじゃないのになあ・・・・・。実は会社って組織は「均質であること・平均であること」を要求するところだからなあ。

そのスミレちゃんの緊張を唯一解きほぐせる相手、ペットのモモは実は有望な若手ダンサー。結構要領のいいいまどきの男の子のはずなのに、彼も留学時代の後遺症のパニック障害を持っている。「自分が守り癒すことのできる相手がいれば症状が出てこない」ため、彼もスミレちゃんから離れられない。スミレちゃんのマンションで「男と女」ではなく「飼主とペット(文字通り)」として過ごす、まったりとして気楽なモラトリアム時間。そんななかスミレちゃんの初めての男の蓮實くんがあらわれ、スミレちゃんとの結婚話が持ち上がり・・・・・

結局それはそれはハッピーエンドで「よかったねスミレちゃん!!」というお話なのです。でも、ほんとうに身につまされるの。小川氏ただもんじゃありません。

あと思ったのが、「都会ってほんとに人間しかいなくなってきてるんだな―――」てことか。だってスミレちゃんのマンションペット禁止。モモが人間の男の子だから飼えたの。さらにさらに「あたしゃ――もう都会のマンションにゃ~住めねえ。」と心に刻みましたね。

2006年3月24日 (金)

BASARA

Nec_0003_11大好きな漫画家の西原理恵子氏が出るというので、珍しくTVをつけてNHKの「スタジオパーク」を見てしまいました。西原氏は歯に衣着せぬ毒舌で有名、「大丈夫かよNHK」と思いましたが、 案の定いかにもお固そうな女子アナとまったく息があっていませんでした。ははははは。その中で西原氏が「ジェンダーフリーって嫌いなんですよ。女なら上手な泣き真似も愛想笑いも必要でしょ?そのほうが男に話するには、はるかに話が早いもの。30になっても40になってもそれをマスターしてない人いるけどね。」と、「うううむ!まったくだ!!」と膝を叩くような名言を吐いてくれましたが、まさしくその女子アナは「40になってもマスターしなさそうな」タイプ。笑わせていただきましたよ。

そのあとで日置の実家の倉庫のマンガを整理していたら「BASARA」(全27巻・田村由美著・小学館)がでてきました。1990年代の少女マンガでヒットしたこれはジェンダー(性的役割)についてかなり本質的なところをついていた作品でした。

・・・・・核戦争で破壊された未来の日本。王国の圧政に反逆する「運命の子供」それがタタラ。でも、実はタタラは男女の双子で兄がタタラで物語の最初に殺され、妹の更紗が兄の身代わりとなって、すべてを背負って革命軍を指揮する・・・・・というお話。ねー――。もうこれ基本設定がジェンダーを語るためにあるようなもんよ。

少女マンガ歴史もののお約束「ロミオとジュリエット的恋愛」もきちんと盛り込まれ、兄のタタラや家族を殺したカタキの赤の王こと朱理と、身分を隠したまま恋に落ち、日本全国を戦争したり恋愛したりしながら旅をするというドハデな設定なんでおます。

登場人物が主だったのでも50人を超える長編なので、ストーリーを説明はしないけれど、とにかく主人公の更紗がことあるごとに「あたしは女の子なのに・・・・・女の子なのに・・・・・」と悩みながら戦争しております。戦争している間は生理止まってるのに、朱理と会うと始まる。とてつもなく重い義務と女の生理の間で揺れ動く更紗。

この作品の1巻が1991年発行、最終27巻が2000年発行。更紗の悩みは、まさしく1990年代の働く女達が持っていた悩みだよな―――。と読み返していてつくづく思いましたね。

「男女雇用均等法」以降、女達は「なんであたしこんなに働かなきゃなんないんだろ?」と思いながら、徹夜したり出張したり責任とったりばりばり働かされとるわけですよ。生理休暇なんか言い出せないことなんてざらだと思うな。恋をすることだってよっぽど器用じゃなきゃ並行してできないよ。会社づとめしながら子供作るのも勇気いるし。

まじめであればあるほど苦しんだと思うなあ。ほんとはね、西原氏がいうように「あたし、できなあい」とか「お願い、あなただけがたよりなの・・・」とか涙の一つも流して上目遣いにハートマークを飛ばして男を使う技を身につけるべきなんだわ。そのほうがほんとに話は早いんだわ。(とかいう西原氏こそ別れた旦那を養っていたことは有名な話)。

「BASARA」の更紗、今読み返すと「あんたがんばりすぎ。ちった肩の力抜けや。」と思います。誰か男にさせたれや。革命とか戦争なんか。おなごがせんでもよかろそうなもんじゃろが。でも、それをさせかねないのが、「男女平等の思想」なんだよな。1990年代以降、現実の日本の社会もそうなっていると思います。だからわたくしもジェンダーフリーは嫌いです。

物語の展開はやはり早いし、おもしろくてうまいんだけどなあ。「独立戦争に勝って、好きな男手に入れて、革命の後は男の間に子供(これも男女の双子)作って世界中を貿易しながら旅する・・・」大団円なんだけど、「そげな、はめつけて気張らんでもよかろがよ。」と今、久々に読み返して思ってしまいましたね。