椿屋敷のお客様

マンガ Feed

2005年12月 3日 (土)

MOONLIGHT MILE 11巻

Nec_0047_5大好きな「MOONLIGHT MILE」(太田垣康男著・小学館)の11巻が出ました。わああい♪もっと売れてもいいマンガだと思うんだけどなあ・・・。いまいち売れ行き地味な印象なのが不思議。

主人公の「日本人で初めて月まで行って最初の月基地を建設した根っからのクライマー」吾郎。その恋人、理代子。月での国際会議中に吾郎の子を妊娠していることが発覚。月基地をアメリカ軍の占領下に置いている吾郎の元親友のロストマン司令は、「日本の国益を図る」ことを交換条件に理代子に中絶をせまる。「人類初の月ベビー」が誕生しちゃったら、月を軍事基地にしてるアメリカを世論が許さないことは必至だから。ロストマンの部下「月の女王ファトマ」は迷う理代子を強引に拉致して、意識の無いうちに中絶しようと画策するが、吾郎の親友でたまたま月基地に勤務中だったクリス、耕介、マギーが米軍の網を潜り抜けて理代子を救出。そして胸のすく大逆転!

この巻でのヒーローというかヒロインはやはりマギーでしょう。日系3世で28歳なのに20歳とサバをよんで「月基地レポーター」のポジションを手に入れた、筋金入りのジャーナリスト。童顔で小柄なのに宇宙で過酷な作業をするBS(ビルディング・スペシャリスト)の試験に合格するほどの体力とメンタリティを持ったタフな女。ものすごく頭の回転が速くて機転が利く女なのです。それでいながら情もある。「理代子とベビー救出作戦」でも、月基地で絶大な権力を持つ女王ファトマの裏をかく大仕掛けをしかけてくれたのは彼女でした。ビッグコミックスペリオール連載で、この回を立ち読みしたときは思わずコンビニで快哉を叫んだもんなぁ。太田垣氏はストーリー展開のうまい人だけれど、この月ベビーの章は本当にいい。

理代子は結局月で子供を出産することに。今のところ米軍に人質にとられたも同然だけれど、そこはど根性の吾郎。アメリカの手を全く借りずに月へ行って理代子とベビーに会う算段を始めるところで11巻は終わってる。(最後のページにロストマンもちらり。)国産H-ⅡAロケットの復活か?実はスペリオール誌上ではたいへんなことになっていて「ホントに月に行けるの吾郎?!!」という状態なのです。でも信じてるよ太田垣さん。きっと胸のすく希望あふれる結論をもってきてくれるよね。

2005年11月21日 (月)

鋼の錬金術師・12巻

Nec_0013_2 「鋼の錬金術師・12巻」(荒川弘著・スクエアエニックス)を買ってしまいました。ばりおもしろかったです。

このマンガにでてくる男も女も(ほとんど少年少女だったりする!)なんでこうまでかっこいいんでしょうね?エドとアルの錬金術師兄弟はもちろんのこと、幼馴染のウィンリィ、マスタング大佐にホークアイ中尉、みんなギリギリのところで生きているのに人に優しい。特にこの12巻ではむちゃくちゃかっちょええ表紙にもなっている「東の大国シンのリン・ヤオ皇子」が大活躍!はっきり言って惚れますぞ。王者の自覚と鍛錬された体と心を持ち、50万人の一族を背負って異国までやってきた皇子。それだけでも震えがくるのに、どんな危機でも彼は重傷を負った部下を決して見捨てない。そして一緒に生き残るための方策を冷静に考え続けるのです。そしてその部下がまたその信頼に見事に応えてくれる。壮絶なまでの信頼関係。すごいなあ。荒川弘氏、いったいどんな人生を送ってきた人なのでしょうか?まだお若いようなのに。まあ、北海道の女性は強いしよく働くといいますからね。ご身内の女性もさぞかししっかりした方たちなのでしょうなあ。

このマンガの好きなところは「決して安易に人を殺さない」ところですね。しかしなかなか複雑な展開になってきていますが、これからどうなるんでしょう?エドとアルの錬金術師兄弟のおやっさんが重要な鍵を握る人物なのですが・・・。どうなるの?

アニメもおもしろかったけれど、やはり荒川弘氏のマンガのほうがわたくしは好きです。

2005年11月14日 (月)

ハチミツとクローバー

Nec_0039_2 明治維新以前の社会システムが「士農工商」で、日本の人口のうち「士」が1割で「農工商」が9割だったことは近世史の最初に出てくることです。ということはですね、サラリーマンは「士」の一割のみだったわけですよ。今みたいに「猫も杓子もサラリーマン」になったのは戦後高度成長期のほんの4、50年の間なわけですね。現在サラリーマンの人たちも三代もご先祖さまをたどればかなりの確率でなんらかの物作り(食べ物、着る物、住む所、道具etcなんでも)をやっていったのです。ね。われわれの遺伝子の中に「何か物を作らずにはおれん」衝動が組み込まれていてもなんら不思議はないですわな。「物作り」といっても「プロジェクトX」みたいな「世界最大、最高、最速、最小」とかの大げさで組織的なものだけじゃないでしょう。ちゅうより女子供年寄りが「金になるかどうかわからんが、とにかく作らずにはおれんで作った手遊び」こそが、結局は「くに」の底力というか支えだと思うんだけどなあ。

今評判の「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ・集英社・既刊8巻)。大好きなマンガなんだけど、これが新鮮だったのは「とにかく物を作らずにはおれん若い衆」を正面切って描いてきたことですね。貧乏美大生たちの日常生活から「物を作る意味とは」「オリジナリティとは」「好きなこととと金を稼ぐこととどう一致させるか」という今の世かなーり深刻な問題を、かわいい絵柄とテンポのいいネームで読ませてくれますですよー。

小さい体と人見知りな心をもちながら誰をも感動させる美術的才能をもつはぐちゃん。几帳面で凝り性、それこそ細かい職人仕事をこつこつとこなせる癖にいまいち自分に自信が持てない竹本。美脚美乳の持ち主で知らないうちにモテまくっているのに無自覚、陶芸の才能は本物の山田さん。天衣無縫で天才肌、でもお金の亡者で悪人ではないけれどお馬鹿の森田。いかにも今っぽい器用さを持っているふうなのに、心も体も傷だらけの年上の未亡人に惚れこんでしまう真山。彼らを見守る大学教授の花本。今までこういう美術モノだったらまず「油絵」だったでしょう。それも「画壇のトンデモ裏話」とか「どろどろの師弟関係、男女関係」とかね。それをこういういわば「職人仕事」も含めた「モノを作るってことは結局自分の体動かすしかないんだよ――肉体労働なんだよ――。」というところにテーマを絞り込んだところが、いいんだよねえ。潔くて

8巻では真山の終わりがなさそうだった片思いが実り(良かったね)、竹本はあがきにあがいた末に自分の道を見つけ出し、山田さんは真山への想いを断ち切って次の恋の予感。

あと問題は、はぐちゃんと森田の動向。この二人は才能という意味じゃ大物なだけにどうなるんでしょうかねえ、今後。この作品最初宝島社の「キューティコミック」(廃刊)、次に集英社「YOUNG YOU」、んで、今度は集英社「コーラス」に掲載誌が変わります。いい作品なので止めになることはないでしょうが、こんないい作品でも彷徨わなければならないほど出版て不景気なんでしょうかねえ。

2005年11月 3日 (木)

EDEN

Nec_0041_1 まあ、農園の中心で「ローコスト、ローテクノロジー万歳!」とか叫んでるような人間なので、バカ高えコストを喰いまくるくせにな――んにも生産しない軍隊はだいっ嫌いです。イデオロギーや道義的な問題より先に経済的な問題で戦争反対です。直にやりあう前に絞る知恵があるでしょうが!集めるべき情報が、死力の限りをつくしてやるべき交渉があるでしょうが!第二次世界大戦前の食料自給率は70%を越えてたはず。それが敗戦前後には国民全部が飢えてたのですぞ。40%を切る食料自給率で戦争みたいな大博打打てる状態じゃないっちゅうの。ま、軍隊を持ちたがっている輩は「自分が手を汚す」とか「自分が飢える」とか考えてないんじゃねえの?そういうのに限って「日本も汚れ仕事をせねば。」とか言うんだよね。”日本”の中に自分自身もちゃんと入ってる?

「強くなる事と、暴力を学ぶ事と、人を救う事は、全く別の話よ。」

「EDEN」(遠藤浩輝著・講談社・既刊13巻)の中の名台詞であります。うなりましたね。さらに言うなら「人を守る事」も全く別の話であります。「EDEN]は今時珍しいぐらい複雑怪奇な設定の近未来SFです。大前提が「クロージャーウィルス」という「人間の体を結晶化させて中身をどろどろに腐らせる」疫病が全世界に流行ってかなりの人間が死亡した後の世界、なんだから。(バラードのSF小説「結晶世界」が下敷きかな?主人公のファミリーネームもバラードだし)。今や世界は「原父連合」と「反原父連合」の二大勢力に分かれ、各地で小規模な戦闘やテロリズムが絶えない。話の舞台のほとんどが南米(これも珍しい)で、主人公エリヤの父親は南米の麻薬カルテルの大ボス、「原父連合」からも「反原父連合」からも一目置かれている存在。昔からある「父親の影響を超えるためにあがく息子」の物語なのです。以前「ベルセルク・29巻」の項で「二代目は手を汚さないのが世の定石」と述べましたが、エリヤはすでに手を汚しています。一度手を汚してしまえば、ずっと汚し続けなければならず、しかも勝ち続けなければならない。一生気の休まることのない過酷な生です。それを選び続ける覚悟があるのか、前記の言葉でエリヤは問われたのです。

遠藤浩輝氏はフェアな人です。人を傷つける、人を殺す、そういう場面を決してキレイ事で済まさない。どろどろに細部まできっちり描く。「主役クラスかな?」と思っていた人間も、次の瞬間には地雷で下半身を吹き飛ばされていたりする。どんな人間にも「死」は無慈悲に唐突に訪れる。その無慈悲さと唐突さだけが平等。逃げることなくその事実を淡々と描き続けている。すごく好きな作品なんだけどなあ・・・。掲載誌が「アフタヌーン」で「まさか廃刊にならんだろうな?」といつも心配。こんな癖のある作品よそで載せてくれそうにないし。ま、最近じゃ「蟲師」も載ってるし大丈夫か。少なくとも「EDEN」が終わるまでは廃刊にせんでくれよ。

2005年10月28日 (金)

Heaven?

Nec_0013_1 母方の祖父も変わってましたが父方の祖父も変わってました。もう、18年前に亡くなったのですが、商売人で普請道楽で、色々飼ってました。覚えているだけでも鯉、金魚、七面鳥、金鶏鳥、薩摩鳥、チャボ、キジ、うずら・・・犬は当たり前のようにいましたし、猫にいたっては勝手に入り込んで我が家のように振舞ういわゆる「入り猫(縁起がいいといいますね)だらけ。当然のように佐々木倫子氏の大ヒット作「動物のお医者さん」(白泉社・全12巻・文庫版あり)の大ファンでした。「この動物とのクールで絶妙にボケた距離感はやっぱり飼ってた人だからかな?それとも北海道の人ってこうなの(偏見)?」と思ってましたが、デビュー作「エプロンコンプレックス」も「忘却シリーズ」も変だったので、「やはり佐々木氏がこうなのだ。」と納得したことでした。

その後小学館に移り「おたんこナース」(全6巻)を描き、今は「月館の殺人」を連載しています。やはりクールで絶妙なボケは健在です。前作「Heaven?」も基本はグルメレストランマンガなのに、も、他のグルメマンガとまー――ったくテイストが違う!

なぜか小金もちでマスコミに知り合いの多い謎の女黒須が、道楽で始めた「墓地にあるフレンチレストラン(ご丁寧にも葬儀場と棟続き)”ロワン・ディシー(この世の果て)”」。ここに集められた、どこかネジの一本足りないスタッフたち。愛想が無くて笑顔ができないサービスマンの伊賀を筆頭に、元銀行員で資格マニアでソムリエ資格取得のためだけに働く山縣、元牛丼屋店長でお金に細かすぎる堤、今時の若い衆すぎる宇宙人並みの常識の無さの川合、腕はいいのに関わった店全てがつぶれる非常に縁起の悪いシェフの小澤。彼らがその彼ら全部を掛け合わせたよりもさらに常識が無くて絶大なパワーだけを持つオーナーの黒須が繰り出す「この世のものとも思われないレストランの危機」を乗り越えていくというだけのお話なのですが・・・・・。おもしろいのですよ!これが。

オープンパーティーにトイレの工事が間に合わなければ隣の「やすらぎ会館」のトイレでごまかし、だいたいオープンご案内はがきの日付を間違え、スタッフ全員が徹夜で準備しても己はマイペースでまかないを要求する。クイーン・オブ・ゴーイング・マイウェイ・黒須!その言葉には妙な説得力があり、見かねた経営コンサルタントが「お客様のために働かなければ」といえば堂々と「客のためになんか働いていない自分のために働いているのよ!!」と言い切る黒須。その胃袋は底無し!素晴らしいぞ黒須!

佐々木氏の絵は昔から繊細で緻密。なのに話はこの大ボケぶり。このギャップがたまらん。出てくる料理出てくる料理すべておいしそう。以前に見た佐々木氏の写真ではすごくスレンダーなお姐さんだったのに、大変な大飯喰らいとか。何から何まで期待を裏切って喜ばしてくれるすごいマンガ家さんです。

2005年10月17日 (月)

カルバニア物語

Nec_0003_1 まあ、どう転んでもわたくしは女なわけです。身も心も。

ホモサピエンスの雌としての機能は全部備えているし、性同一障害で苦しんでいるわけでもない。女に生まれてきたことをラッキー!と思いこそすれ嫌だとは思いません。しかもどんどんそう思うようになってきています。子供の頃は三人姉妹の長女で「男やったら良かったてなあ・・・。」という言葉を耳タコな程聞きました。あの頃そういう心無い言葉に言い返すことはできませんでしたが、今は「ケッ」と鼻で笑ってやれます。だからって「男なんか何よ」とか「「男なんか最低」なんていうつもりは全く無し。今の世の中で「男」をやるってホント大変。だからこそ男の人が大好き。

というわけで「カルバニア物語」(既刊9巻・TONO著・徳間書店)です。カルバニアという架空の国の王室やその周辺を舞台に繰り広げられるラブコメディ――という謳い文句と、TONO氏のかわいい絵柄とあっさりした台詞回しに似合わず、かなり内容はシビアです。

カルバニア初の女王となったDカップ美女のタニアと、タンタロット公爵家の絶壁胸の男女エキュー(でも女装すると絶世の美女)が主人公。タニアが女王となるまでカルバニアは男系のみに相続権がある国だったのだけれど、公爵家のエキューパパが、最愛の妻の忘れ形見たるエキューに公爵家を継がせたい一心で、「女にも相続権」の象徴としてタニア女王の誕生に暗躍したといういわくつき。

エキューは惚れ惚れするほど男前な女ですが、そこはやっぱりお年頃の女の子、カルバニアのもう一つの公爵家のライアンと恋仲になります。このライアンとの最初の馴れ初めを描いた3巻が、そりゃもういいんです。3巻ではエキューはまだ子供で、それこそ男の子に混じって大暴れしまっくってましたが、そろそろ体に女の子の兆候が出てきて、仲間の男の子たちともだんだん歯車が合わなくなってきています(そういう経験のある身としてはここでまず「うっ」ときます。せつなくて。今まで犬ころみたいに一緒に遊んでたのにいきなり仲間はずれ。何でなのかわかんなかったなあ当時は。)そこを見初めたのがライアン。なんとその当時ライアンは少年愛好者で、エキューを男の子と間違えて自分の城へ連れ込んで・・・。なんでここから愛が始まるのかまっこと不思議なのですが、そこがTONOマジック。お話作りがすごく上手。エキューの感じてる自分の女としての成長への違和感と、ライアンの持つ女と父親へのトラウマがお互いに絡み合って、どんどん接近していく二人。でもそんな誤解から始まった関係はいつかは崩壊するもので、あることをきっかけにエキューが女の子であることをライアンは知ってしまいます。ショックを受けたライアンは思わず・・・。

女の子が女になっていくときのせつなさと、男の子が男であることを引き受けるときの責任の重さを、笑わせながら泣かせながら描いてくれる「カルバニア物語」は傑作です。そこのところでいろいろな思いを抱いたことのある人には、ぜひお薦めのマンガなのです。

2005年10月12日 (水)

ベルセルク・29巻

Nec_0087 80―90歳代の日本人男性のほとんど全員が軍隊経験があるわけである。赤紙はどんな地の果てまでも届いたそうだし。

知人に二人の90代男性がいて、去年亡くなった一人は陸軍上等兵、満州で終戦を迎え、そのままシベリア抑留されて文字通り九死に一生を得て帰国、もう一人はまだご存命だが海軍少尉、マリアナ諸島で同じく九死に一生を得て帰国。お二人とも自分の部隊の9割が戦死した中、運良く残る一割にはいって生還された。そのお話はお二人それぞれに壮絶だ。軍隊にいた以上戦争とはいえ直接的間接的に人を手にかけてらっしゃるはずだが、それは決してお話されない。戦後文字通り泥水をすすって日本を再建された方たちだが「息子たちをあんな目にあわせたくない一心」だったということはお二人とも口を揃えておっしゃった。

というところで、「ベルセルク・29巻」(三浦健太郎著・白泉社)である。90年代から続いているマンガシリーズで最近見られる傾向に「次世代ストーリー」がある。ベルセルクしかり、そして「イヴの眠り」(吉田秋生・小学館)しかり。ベルセルクの場合ガッツとキャスカ(それからグリフィス?)の子供もどうやら大きくなってきているが、注目しているのはガッツの押しかけ弟子イシドロである。イシドロはかわいげのあるキャラで、戦乱の子らしくそれなりの苦労をしているが、まだ29巻現在で人を殺していない。イシドロの夢は「最強剣士」なわけで、その実現のためにはもちろん数え切れないほどの人を殺さなければならない。どうするんだろう?ガッツはイシドロに人殺しをさせるのか?ストーリーの流れから言ってそれは避けられないことなのだろうか・・・?ガッツは今や満身創痍で、風格はあるものの「狂戦士の鎧」のために味覚や色覚まで失いつつある。キャスカが精神退行を起こしたのも「血塗られた旅」の末のことだ。自分たちと同じ道を歩ませるのか?だいたい、一代目は文字通り泥の中を這いずり回って成り上がり、二代目はボンボンだが穏やかに秩序を守りつつ発展させるというのが定石。日本の敗戦の後で祖父たちは息子たちに泥をすすらせることをよしとせず、平和憲法を選んだ。「イヴの眠り」ではシンの息子のリエに結局人殺しをさせることなく話が終わってしまった。どうなるんだろう?どうするんだろう?この後のベルセルクは・・・・。

2005年10月 5日 (水)

エロイカより愛をこめて・31巻

Nec_0061 まあ、このブログを読んでくだされば想像がつくと思いますが、ここ数年、鹿児島県外に出ていません。あ、水俣と都城には行ったな。(でも、どっちもほとんど鹿児島県←暴言)。飛行機にも長いこと乗ってません。旅行が嫌いなわけではなく、一人であちこちフラフラするのは大好きだったのですが、まあ畑の手入れをしだして、犬猫鶏の世話をしなきゃで、外に泊まることがほとんどなくなりました。ヨーロッパは(特に地中海沿岸とか、ドイツとか、東欧とか)行ってみたい場所の一つです。しかしまず行く予定ないなあ。行かれた方、どんなところなのかいろいろ教えてください。

というところで、「エロイカより愛をこめて・最新31巻」(青池保子著・秋田書店)です。

「まだやっていたの!?」という方結構いらっしゃるのでは?80年代に一世を風靡しましたね。当時の少女マンガは本当に「何でもありー」の世界でしたね。イギリス貴族でホモで泥棒で金髪巻き毛の超美形のドリアン・レッド・グローリア伯爵と、ドイツ軍人でNATO情報部所属で強面で唐変木のクラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐が、まだ冷戦構造だったヨーロッパを縦横無人に駆け巡り、「そんなんありかー?!!」というような荒唐無稽な事件に巻き込まれ、解決していくというとんでもなさでした。また脇役もでてくるやつでてくるやつ個性的もいいところで、伯爵の経理士の超ド級ドケチのジェイムズ君、メカマニアのおっさん部下ボーナムくん、少佐の役立たずの部下AからZまで24人(かわいそうにアラスカに左遷されたりしてた)、上司のデバラハゲ部長、まだソビエト連邦で敵役だったKGBのコードネーム白クマと仔熊のミーシャ〈テリ―・サバラスみたいなサングラス・スキンヘッド)、等々多士済々、多士済々・・・・・。恥ずかしながら「ヨーロッパにも行ってみたい」に多少なりともこの作品が影響を与えてます。(あと「MASTERキートン」(浦沢直樹・小学館)の影響も大きいです)。

ご存知のようにベルリンの壁があっさり壊され、ソビエトはロシアに変わり、永遠に続くかと思われた冷戦構造は崩壊しました。この作品もその激動の10年間は休載してました。「ま、無理だよね。大前提が崩れちゃったし。」と思ってたら数年前から復活してるんですね。

驚きましたよ。柔軟な作品世界だったんだなあ、と思います。少佐は相変わらずNATOに所属してるし、白クマ、仔熊のミーシャもロシアにいます。敵同士ではなくなったために、旧来の恨みを無理やり忘れてテロやファシズムの撲滅や旧体制の後始末のために協力したりしています。もちろんいずれ劣らぬ筋金入り、水面下での丁丁発止の陰謀策謀は相変わらず、そこにいつの時代もとことん能天気な伯爵が絡んできて・・・。

昔のような野放図なパワーはなくなりましたが、芸は円熟し深くなりました。復活したシリーズもおもしろいのでなんだかすごくうれしいのです。

ミノムシ

Nec_0058 ミノムシです。

1990年代半ばに「ミノムシが絶滅危惧種だ」と聞き、マジかよ?と耳を疑いましたが、めっきり見かけなくなりました。原因は寄生虫です。中国がミノムシの親のオオミノガの駆除のために導入したオオミノガヤドリバエが何かの拍子に入ってきたらしいです。しかし、なんと今度はそのハエに寄生するコバチやヒメバチが出てきて、生息数が回復しつつあるのですと。ほんに自然というのは人智を超えております。

戦後の4コママンガを席巻した「サザエさん」(長谷川町子著・朝日新聞社より復刻版全45巻、しかし姉妹社版がお薦め)の中で、秋になると必ずこの虫が木からぶら下がっているものでした。サザエさんご一家は東京の世田谷区に住んでいたはずですが、あれが世田谷とはもはやSF。感慨深いものがあります。

あ、念のために申し上げておきますが、アニメの「サザエさん」とマンガの「サザエさん」は全く別物です。人畜無害なアニメ版をもってして「サザエさん」を語るなかれ。マンガの「サザエさん」はシニカルでクールでシビア、そのユーモアはブラック、朝日新聞という「良識の砦」で連載していたくせにかなりスレスレのスケベギャグもさらりとこなしてます。大人になってから意味の深さがわかる、真に大人のためのマンガです。長谷川町子氏の姉妹が出版してらした「姉妹社版」は絶版ですが、だんぜんこちらがお薦めです。ときどき古本屋で見かけますので、見つけたら即買いです。

「サザエさん」の全盛期には、まさか「姉妹社版が絶版になる」という事態を想像もしていませんでした。それこそ「ミノムシの絶滅の可能性」が想像の範囲外だったのと同じようにです。よってまことに情けないことに実家にあった「サザエさん」は散逸して残っていません。古本屋で即買いしているのはわたくし自身です。しかしこの永遠の名作を絶滅させてはならんと、読者数の回復を少しでも図るべく、布教活動にいそしんでおる次第です。

2005年9月28日 (水)

陰明師

Nec_0021 京都に住んでいた頃、祇園祭の日に町衆の家の娘さんに、客としてお呼ばれしたことがある。ホイホイと行って出されたご馳走をたいらげて帰ってきた。今考えてみてもつくづく恐ろしい。学生というものは、田舎者というものは(というよりわたくしは)、ほんとうに世間知らずであった。「京都人に『ぶぶ漬け食べとくなはれ』と言われたらそれは『帰れ』の意味である」という常識を知らなかったのである。その家は応仁の乱(!)から祇園の町衆(!!)を続けている家で、祭りの日に通りに向けて戸が開け放たれ、素人目にも何やら由緒ありげな屏風とか、陶器とか、掛け軸とかが飾られていた。鱧の吸い物と節竹入りの羊羹を生まれて初めて食べた。ありがたいご好意であり感謝しているが、どうしても「あとで『せやから田舎モンの子ォは・・・。』と言われたんじゃないか?」と思ってしまう。長く住むうちに裏がだんだん見えてきたのだ。

その京都の美意識を完成させたのが平安時代であり、平安京である。「陰明師」(岡野玲子著・全12巻・白泉社)は、平安京を描いた傑作だ。

大ヒットしてしまったので、その後雨後の筍のように「陰明道もの」がでたが、これを超えるものはない。それほど綿密であり、思考は深く、なおかつ美しく強い。その強さを支えるのが主役二人のバランスの妙だ。「陰明師という職業柄、常にクールでニュートラルであり続けなければならない」阿倍晴明だけではこの強靭さはありえなかった。「楽の申し子であり鬼や妖異にすら決して揺るがない純粋さを持つ(ときにそれは暗愚にすら見える)」源博雅の存在があって、初めてこれほど強く深く美しい表現をなしえたのである。

やっぱなあ、クールでカッコよくて洞察力がある人間だけじゃ、話に深みがなくなるわけよ。博雅みたく良くいや純粋、悪くいや鈍感な人間があって、初めて洞察に意味がでてくるし話も進むってもんよ。世間知らずの田舎者だからこそ怖いもの知らずで町衆の家なんかにノコノコご馳走食べにいけたわけだし。って言い訳してどうする。博雅ほど純粋じゃないくせに。

晴明の妻となる見鬼(鬼を見る能力者)のくせにリアリストの真葛、藤原氏の頂点を狙ういかにも京都人らしい貴族の中の貴族兼家、晴明に懸想し続ける陰明博士賀茂家の嫡男保憲などなど、脇役もみな魅力的。岡野玲子氏のマンガは、絵も言葉も視点もキャラ設定も氏独特の色とリズムがあり、はまるとこれがたまらん味になるのである。

味と言えば、でてくる平安時代の食べ物という食べ物がそりゃもうおいしそうなのである。鮎とか銀杏とか茸とか栗とか真桑瓜とか、当時の食生活をかなり正確に再現しているのだが、むちゃくちゃおいしそう

晴明と博雅が、雨乞いのために瓜を持って、北は若狭から南は吉野まで水の霊場を巡る旅をする8巻「太陰」が一番好きである。