椿屋敷のお客様

« 2005年8月 | メイン | 2005年10月 »

2005年9月

2005年9月20日 (火)

ヘタクソ

Nec_0013 木戸口にトカゲの巣穴がたくさんある土手がつながっている。モモ〈紀州犬雑種・女の子・4歳)のお気に入りの場所である。

散歩の帰りにここに寄って、無数にうろちょろしているトカゲを何とかして捕まえようと熱心にチャレンジするのだ。前足を揃えて構えちゃあ、人間が両手のひらで何かを押さえ込むときのように「ずさっ、ずさっ」と、飽きずに土手の草むらを押さえ込む。しかし、いっちゃあなんだがヘタクソ。

ドリアンとジョーの猫たちがよくトカゲを捕まえてきては、尻尾を切ったりして遊んでいる(迷惑なんだってば)。ここはおそらくそのトカゲの供給地である。

猫は単独で待ち伏せ猟をする動物であるから、体もそのために特化している。出し入れのできる爪、瞬発力のある骨格と筋肉、体臭がしないようよく手入れされた毛皮、鋭敏なひげと視力・・・etc。いつもボーッとしている猫たちも狩りのときは人(猫)が変わったような集中力で「ほお――!」というぐらい段取りがうまい。

比べて犬は、群れで持走力を頼りに追い込み猟をする動物であるから、こういうトカゲ獲りのようなチンケな猟のときは本領がまったく発揮できない。だいたい爪が出しっぱなしなので、体長5cmぐらいのトカゲを捕まえるのに、土も草ももうもうとはね飛んで大騒ぎ。こんな大騒ぎでは日光浴をしていた土手中のトカゲが全員巣穴に逃げ込んでしまうであろう。モモの娯楽なのでいつも黙って飽きるまでさせているが、「あんたほんとうにトカゲ獲りに向かないねえ・・・。」と思う。

だからといって「じゃあお手本見せてよ。」といわれると、はなはだ困るのであるが。

2005年9月19日 (月)

千成びょうたん加工前

Nec_0011というわけで、収穫した千成びょうたんの加工にかかろうかと思うのである。うまくできるかな。

これの口をドリルで抜いて、泥水に漬けて表皮を腐らせ、種をださねばならないのである。以前やったときたいそう臭かったのを覚えている。鼻が曲がりそうな悪臭であった。都会で作ってらっしゃる方たちは、この悪臭の処理に困っているらしい。「ひょうたんを腐らすのに悪臭を出さないための薬」まで売ってるそうな。そういうとき「山の中で庭、畑がある」って本当にありがたいよなあ。

兄貴と俺

ドリアン(アメリカンショートヘアのハーフ・おじさん・12歳)とジョー(ヤス猫・おじさん・10歳)は仲がいい。それも、「仲良し」などという生易しいものではなく、なんというかこう「『兄貴と俺』といったような、濃厚で粘着質なものである。」という結論に達している。長年の観察の結果である。

ジョーはドリアンの後をいい年こいていつもついてまわる。真似をする。「ドリアン兄貴どこにいくっすか?」「兄貴魚たべるっすか?」「朝飯ねだるの手伝うっす。」「そこが涼しいっすか?寄らせてくださいっす。」「そこがぬくいっすか?寄らせてくださいっす。」「おぐし整えるっす。」「背中かゆいっすか?掻いてさしあげるっす。」・・・・・すべてこの調子である。 

ドリアンは気分屋なので、ときどきいきなりヒステリックになって「あー――っつ!もう腹立つなあ!いらいらいらいらする !!」と、そばにいる何の罪もないジョーの頭を連続猫パ―――ンチ!!!

042 で打ったくったりする。そんな仕打ちをされても、「そうなんす兄貴、俺が悪かったす。」としょんぼりうなだれるだけのジョー。お前は全然悪くないっちゅーの。ジョーのほうが体も大きいし力も強いのになぜ?ジョーが子猫のとき、ドリアンがちょっとめんどうを見てくれたから?そんな大昔のことで、あそこまでの暴君ぶりを許すの?オス同士の力関係はわからん。

2005年9月18日 (日)

黄金の月

Nec_0012 スガ シカオが好きなのである。

「黄金の月」を初めて聞いたのは、大阪の美容院の有線放送であった。不覚にも涙が出た。スガ シカオの歌詞の男はいつもいつもひどい男である。それがわたくしのM心をくすぐるのである。

マゾヒストに才能はいらないが、サディストには才能が必要である。真のサディストは貴重だ。

百鬼夜行抄

Nec_0010 日置の家はとんでもないお化け屋敷であった。築百五十年以上、建物だけで200坪、中二階と二階あり。しかも階段は途中で切られている。もともと病院(うわあ)と呉服屋だったのを無理やりくっつけて、後から思いつきで普請しまくってるから家相は最悪。始末もしてない井戸が家の床下に埋まっていたのである。当然シロアリが大繁殖して畳の下から蟻塚が出てくるありさま。百五十年も同じ家族が住めば、家で何人も死人が出ているし、その中にはあまりいい死に方じゃない人もいる。家鳴りはビシバシ鳴りまくるし、変な火の玉が見えたりするし、まあ、いろいろ不思議なことがあった。祖父の葬式のときに、便所の前に赤い着物を着ている女の人がいて、次の瞬間ふっと消えてしまったときは本当に肝をつぶした。

とはいうものの、「『霊』とか『死後の世界』は生きている人間の頭の中にしかない。」と思っているので、もちろんあれは錯覚である。「見る」のは「場所」と「精神状態」と「タイミング」が「そういう錯覚を起こす状況だった」ということである。だから恐ろしくないといっているのではない。だからこそ恐ろしいのである。人間の脳が生ものである以上、誰しもに錯覚は起こりうる。昔から「入ってはいけない場所」というのがあるが、やはりそういう場所には「入ってはいけない」のである。何らかの条件付けでそこは「錯覚を起こしやすい場所」である可能性がある。「やめとく」のが無難である。

「百鬼夜行抄」(今市子著・朝日ソノラマ社・既刊13巻)は、この手のマンガではピカイチである。特に女性誌でこんなに本格的に民俗学的手法を使ってホラーを描いた作品は初めてではないだろうか?

幻想怪奇小説家を祖父にもつ飯嶋律は4代前からのお化け屋敷に住んでいる。その上祖父から「見る体質」を受け継いだために、もう律のまわりは妖魔と幽霊だらけ。いとこの司や晶もやはり「見る体質」。陰陽道をかじっていた祖父が護法神として残した龍の青嵐(大飯ぐらい)、律が自分で調伏した小型のからす天狗の鳥の妖魔の尾黒、尾白(この二匹がキュート)、さらに律の「体質」を聞きつけて相談を持ちかける人々も巻き込んで、てんやわんやの大騒ぎ。――――

と書くとそれまでの話であるが、いいのよー。なんともいえず。今氏も基本的には「霊」とか「死後の世界」とか信じてないので、律やその他の「見ている人々」がひょっとしたら「まったくの錯覚」を起こしているかもしれない可能性を必ず残して描いている。「何も知らない人が見たら律は薄気味の悪いことをいう、たちの悪い霊感少年」であることをちゃんと描く。このバランス感覚がすばらしい。「自分の性質が人から嫌われる」ことを律も知っているが、「見えるもの」はいかんともしがたい。そして「見えるもの」の中にこそ心惹かれるものがあったりするのである。季節の移り変わり、古来からの伝統、古いものを大事にする心、弱いものへの思いやり・・・。しかしそういうものを大事にしようとすることにはたいへんなリスクが伴う。日本の八百万神は恩恵ばかりを与えてくれるわけではない。一方では祟り神であり、理屈の通じない化け物であったりするのである

「手に負えないものに手を出すな」。これをすごく品のいい語り口で語る。しかも美しい。いいなあ―――。

2005年9月17日 (土)

のだめカンタービレ・13巻

Nec_0009、「のだめカンタービレ・13巻・二ノ宮知子著・講談社」を買ってしまいましたです。期待を裏切らないおもしろさ。「KISS」連載中に立ち読みしてるんだけど、にもかかわらず笑う笑う。

10巻からのだめと千秋はパリにおるのであります。のだめは音楽の世界的名門コンセルヴァトワールに、千秋は指揮者としてデビューして。千秋の母が所有する、素敵なアパルトマンの隣の部屋同士になって、しかもそのアパルトマンは、世界各国からやってきた音楽家の卵たちが集っていて・・・・・。と、活字で書くとこんなにも「おフランス好き」が好きそうなロマンティックなシチュエーションだというのに―――。なぜにこんなに変なの?

どうやら「音楽を志すものは世界的に変人で変態。」というのが二ノ宮氏の認識らしく、各国からやってきた卵たちも変。ロシアから来たお色気虫のターニャ、おフランス人のくせに日本アニメオタクのフランク、中国から来た金に異様に細かいユンロン・・・。多士済々なのに、我がのだめの個性はこれにまったくひけをとらない変態ぶり。

飛び入りではいったおフランスの正統な教会のノエル(クリスマス)の、キリスト生誕劇でロバを演じて、しかも堂々とそのコスチュームで「獅子舞」を舞ってみせる。すげえ。どうやってこんなキャラとシチュエーションを考えつくのでしょうか。二ノ宮氏の「天才ファミリーカンパニー」も大好きでしたが、この、キャラとのクールな距離感と絶妙なボケぶりのバランス、たまりません。

今買ったら特製キャラしおりがついてるよ。

わたしのは峰龍太郎しおりでした。

ヨモギ

Nec_0007ヨモギにはお世話になったなあ。「血止め草」といって、すりむいたり切ったりしたところの止血に、つばをつけてぐしゃぐしゃにしたヨモギを貼り付けた。はたしてそれで早く血が止まったのかどうかはわからないが。まあ、敗血症にも破傷風にもならずに成人したなあ。

3月には「草餅に使うから、芽を集めてこんね。」と大ざるを渡された。すでに当時からぐうたらだったので、かなり硬くなったところも一緒に摘んで持って帰り、「こげな硬かところは使えんがね!」と、改めて採りにいかされたなあ。自業自得。

この葉っぱを入浴剤に使うと血行促進になるらしいので、来るべき冬の冷え性に備えて、干しておこうかと思う。匂いも独特の利きそうな匂いがするし。

もぐさはヨモギの葉の毛だけを集めて作ったものである。が、さすがに、まだお灸の世話になることはない(はずである)。

からすうり2

Nec_0008 からすうりの実であります。まだ熟しておりません。この緑色のシマシマがおいしそうなんだけれど、食べられたもんじゃありません。残念。もうすこししたら赤朱色に熟します。なかなかに風情がありますぞ。しもやけや催乳に利くらしいです。

野草には「カラスのなんとか」とか「スズメのなんとか」とつく名前が多いです。

2005年9月16日 (金)

ヤス猫・ジョー

Nec_0004 ジョーはヤス猫である。鹿児島では茶トラ猫を「ヤス猫」という。昔、日置の家で母が「また隣のヤスが来た」とぶつぶついっていた。「ヤスって何?」「ヤスよ!サバをおっ獲っていった!」猫のことであった。

なぜ、茶トラを「ヤス」というのか?長年の謎であったが、磯の仙巌園に行ったとき謎が解けた。あそこには「猫神社」があるのである。「安(ヤス)」とは、島津家存亡のお家騒動のときに、身を呈してお家につくした猫の名前である。 Nec_0005 「そのお猫様の功績をたたえて、それ以降茶トラの猫をヤス猫というようになった。」そうな。・・・・・・・・・なんと、島津家がらみであったか!

どういうルートでお猫様のお名前が庶民にまで降りてきたのか、どれぐらい時間がかかったのか謎であるが、たいした浸透力である。侮りがたし島津家。

母の説では「ヤスは鳥を獲っとがうまか。」なのだが、ジョーも鳥獲りがたいへん上手である。常日頃ぼけーっとした猫だけに意外なのであるが。真夜中、台所で「ケーンケッケッケッケ!!!」とたいへんな騒ぎに飛び起きて駆けつけたところ、ジョーが小玉スイカ大の雉の子の首っ玉に齧りついていた。年末の大掃除にタンスの裏を掃き出すと、干からびた鼠とかモグラとか小鳥の羽とか嘴とか足が出てくる。全部きゃつの仕業である。「猫は狩りをできない人間に、狩の仕方を教えてやろうとして獲物を持って帰ってくるのである。決して叱ってはいけない。」のだそうだが・・・・・。ありがためいわく・・・・。

朝鮮唐辛子

Nec_0003 3本しか植えてないのに、おかげさまで大量にとれました。3年キムチを作りつづけても大丈夫なほどです。今年はハクサイをはめつけて(きばって)作らねば。とりあえず鯵の南蛮漬けに、台風で倒れたピーマンとたまねぎと一緒に入れました。辛し。