椿屋敷のお客様

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2007年2月

2007年2月16日 (金)

のだめカンタービレ・17巻

Nec_0041_16 たまたまローソンに寄ったところ、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子著・講談社)の17巻がありました。即買い。

¥390で半永久的に楽しめる娯楽、それがマンガ。やめられないとまらないです。

そういえば最近You tubeで動画を見る、という悪い娯楽を覚えてしまい、今までまったく見てこなかったTVドラマをパソコンで見ています。まことに世の中というものはどこまで便利になるものじゃろうか?その中で昨年放映された玉木宏&上野樹里版「のだめカンタービレ」も第4話まで見ました。評判どおりむちゃくちゃ面白かったです。上野樹里うまいなあ。玉木宏も見事なまでに「おれさま千秋」になりきっているし(それとも地なの?)。

ただ日本編は実写ドラマでやれるけれど、パリ留学編は無理だろうな。やっぱり竹中直人がいかに怪演してもシュトレーゼマンには無理があるし。そう思っていたらアニメもあるそうな。すごいな。

マンガのほうも17巻にいたるまで相変わらず絶好調なのだけれど、ここで今まで覆面も同然だった千秋の父、ピアニストの雅之が登場。なんだかんだいって千秋がファザコンだということが判明。父の姿を見た途端、千秋大事なベートーベンの指揮中にフリーズしちゃいます。

「のだめカンタービレ」は、登場人物がすべて徹底して変態と変人であります。その中でも千秋の父雅之は異質。「変態」とか「変人」とか言うレッテルを貼る前に、なんというか「圧倒的に孤独」。その孤独の匂いが、息子たる千秋に「取り付くシマも無さ」を感じさせて反目を生んでいるんだろうけれど・・・・・・。

のだめは結局千秋が父のことを一番に意識しているのだと(動物的に)感じ取り、雅之のピアノコンサートを聴きに行きます。そしてのだめも雅之を超えるためにピアノ一辺倒の日々になり、マルレ・オケで忙しい千秋とだんだんすれ違うようになり・・・・・・・・。

なんだ?なんだかちょっと深刻な雲が漂いだしてきたぞ。「のだめカンタービレ」17巻。どうなるんだ?

のだめのピアノの先生、オクレール先生が素敵。

冬の瓜

Nec_0038_19 トウガンは「冬の瓜」と書きます。表皮に傷をつけなければ、文字通り冬の今時分ぐらいまで変わりなく持つのでつけられた名前です。

鹿児島など夏場にじゃんじゃん大きなトウガンが成るので、お仏壇に馬鹿でかいトウガンが秋冬までご鎮座ましましているおうちは多いです。

うちも、去年なったトウガン、しかも植えたわけでなく捨てた種から自然に生えてきたやつを仏壇にお供えしておりました。

1月末のある夜、肺炎になりかけて熱があった父が夜中にトイレに行こうとしてよろけ、仏壇のほうにすごい勢いで倒れかかりました。もし床の間の柱や角に頭をぶつけていたら、かなり危ない勢いでした。そこになんということでしょう!お供えしてあったトウガンがあったのです!

父の頭はトウガンにぶつかり、トウガンは真っ二つに割れましたが父の頭は無事でした。

あれか?やはり仏様にはきちんとお供えすべし、ってことか。

真っ二つに割れたトウガンには、よくよく御礼申し上げ、今年の夏もじゃんじゃん蔓を延ばして実をつけてくださるように、畑の隅のよく肥えていそうなところに置きました。

2007年2月15日 (木)

ルッコラの花

Nec_0036_20 いつの間にやらルッコラに花が咲いております。

形は菜の花に似て、白と紫色が美しい風情のある花です。

今年はルッコラをどんどん作っていこうと思うので、種を採ることにしました。そのために花を咲かせたのです。

ハーブというのは要するにヨーロッパの雑草。自家播種で充分繁殖ができると聞きます。ならばやってみない手はありますまい。ルッコラはすごく芽が出やすいハーブだし。

そういえばどこかで「有機農法とは地面と気候を使った壮大なる実験である」と書いてあったな。まったくその通り。だからあらゆる経験を積み重ねてデータを取っていくことが必要。あと「種の多様性を保つためにも、より多くの自家播種が望まれる」ふむふむ。やったろうじゃないの。

そういえば牛とか豚とかの家畜も、「先進国」で「収益性が高い」と判断された種のみが増えていて、その土地その土地にあった種が絶滅の危機にあることが多いらしいです。たとえば高地には高地に適応した牛。海辺には海辺に適応した牛が世界各地で品種改良されてきたのに。アメリカナイズされた濃厚飼料で促成成長、というやり方は今後のエネルギー不足、穀物不足で不可能になってくるのは間違いが無いのです。そのとき、よりエネルギーを必要とせず育てることができる、各地に適応した種は必要不可欠のはずなんだがな。

さて、種ができたら注意して、地面に落ちる前に採取せねば。

2007年2月14日 (水)

春一番

Nec_0034_23 吹きましたね――――!春一番。

春の訪れを告げる、今時分に吹く大風ですが、暖かくて湿った空気はまるで4月のようでした。

なにか溜まって滞った冬の冷たい空気を隅々まで吹き飛ばしてくれたようで気持ちが良かったな。

たぶん明日の朝庭を見たら、葉や枝が飛び散っているのでしょうが。

台風もそうですが、嵐の直前が一番鬱々として気持ち悪いですね。嵐に突入すると目前の何やかやの対処に追われて気鬱やってる場合じゃないし。嵐が終わると後片付けはたいへんだけれどいっそさっぱりするというものです。

とはいえ、明日はまた冬型の天気に戻るらしいです。防寒対策をしっかりとらねば。

2007年2月13日 (火)

菜の花の季節

Nec_0033_20 はっと気がつけば、うちの近辺では道端でも菜の花が黄色い花をつけています。遠目にも鮮やかな淡い緑と黄色のコントラスト。

鹿児島は日本列島の中でいち早く菜の花が咲く土地です。それはどこよりも早く春が来るということ。「早春の色」はなによりこの菜の花の淡い緑と黄色であります。

なぜかせつなくなる、優しく美しい色です。

と、ここで止めておけばポエマーなのですが、同時にこの色を見て「菜の花ちらし」を思い出さずにはいられないのが、食い意地張り之介の救いの無いところ。

菜の花ちらし、おいしいですよね~。菜の花の香りとほんのりほろ苦いカルシウム味。淡い緑に薄焼き卵を散らして。三つ葉を入れたハマグリのお吸い物をつけた、早春の膳。

うわ、書いてて食べたくなってきたぞ。

アイロン

Nec_0032_30 「ローテク万歳グッズ・その25」アイロンです。

アイロンというのはたいへん単純な構造の機械でありまして、電熱線で暖まった熱を、平らで熱伝導率のいい舟形の平面に伝えて、その熱で布を整形していく、というしくみです。

単純なだけに壊れにくい機械ですよね~。うちのこれでももう、20年ぐらい使っています。古いタイプのスチームアイロンです。いまどきのアイロンはコードレスだったりするわけですがばりばりコードがついてます。まあ、コードがついてたからって一日に何枚かかける程度なので支障はありませんです。

スチームがついてなければもっと壊れにくいはずです。年配の女性の家で、よく「もう50年以上も使ってるのよ」という古いアイロンをよく見かけました。ぜんぜん使用OK。だいたいスチームだってそうそう使うことはないし、湯気が必要なときは霧吹きや濡らしタオルでじゅうぶんだもんな。

さらに昔の炭火を使った「熨(ひのし)」ってやつがありますが、あれなどもっと壊れなかったでしょうね。和裁は折り目が命なので、糊と熨で布をぴんぴんにしないと仕上がりがきれいでなくなります。自分のうちでみな着物を仕立てていたわけだし、熨は大切な道具だったんだろうな。

2007年2月12日 (月)

無限の住人20巻

Nec_0031_29 「不老不死」というのは古今東西権力を得た連中が必ず欲しているもので、そらもう涙ぐましい努力をなさったりしとるわけです。わざわざ日本くんだりまで「不死の妙薬」探しの大船団を寄こしたりしておる秦の始皇帝とかね。

年をとるのは嫌だけど、死ぬのはとても怖いけれど、ちょっと冷静に考えれば「不老不死」はありえないし、たとえ可能でもそれで幸福ではありえないとわかりますよね。

「死のうと思っても死ぬことができない不幸」って、この世で最悪のものだと思いますよ。愛するもの全てが寿命を全うして時の彼方に消えうせていく中で自分だけが永遠の孤独地獄の中に取り残される。最悪じゃないですか!

だから「不老不死」を扱う物語は、かならずどこか滑稽で悲惨。

「無限の住人」(沙村広明著・既刊20巻)は主人公の万次が八百比丘尼の秘術かなんかで不死の肉体を得た・・・・・・・というのがベースなわけで。んで、沙村広明氏のあなどれないところはこの万次が決して一番に強くないという設定にしてあるところですかね。権力も金もまったく持ってないし。どころか読むのが憂鬱なぐらい長々と続いた「不死力解明編」では、小娘の凛ちゃんに江戸城の地下牢(またこの地下牢が暗くてじめじめ湿って気持ち悪い。沙村氏の画力が画力だけに、マンガを見てるだけで肌にカビが生えそうだった)から文字通り「手取り足取り」助け出されるありさま。いいバランス感覚だよなあ。

ただ延々と地下牢の人体実験シーンが続いたのには閉口しました。泰西帰りの蘭学者・歩蘭人のにわか狂気より、断然山田浅右衛門のキャラが面白かった。史上有名な「首切り浅」を、こんなチンチクリンなオタクオヤジにしちゃったのは凄い!世に知られた彼の居合いが、足の指までバレリーナしてる変態剣術だった!しかも「首切り浅ってこうだったかも」ってうっかり納得しちゃうぞ。このバランス感覚、すばらしい!

「不死力解明編」ではダントツ彼の存在が光ります。そのチンチクリンの彼にしてからが「万次の生き胆」→「不老不死」を言い出してます。怖いなあ。こういう変態を描かせると沙村氏の右に出るものはいないと思います。

あと、ひさびさ登場!見開き大ゴマの「無限の住人№1サディスト」屍良(この字でよかったかな?字忘れたよ)。こいつも強烈ですねえ。「春までに殺す!春までに殺す!それまで愛しあってろ!!」だってよ。こええよう。

結局、歩蘭人が「不老不死より天命を守るのが我ら医者の使命」と悟る、という落としどころだったわけですが・・・・・・・。

そういう無難なおまとめより、断然この世のものとも思われぬ変態たち(しかも連中、人体実験の影響とかじゃなく地ですよ、地)の存在感がすばらしかったのでありました。

大唐子

Nec_0024_26 椿の大唐子がもう咲いています。

唐子咲きの椿の中では代表格で、ぐちゃぐちゃの脳みそみたいな花弁が、しつこすぎずちんまりと収まっていて、「唐子ヘアー」に例えられる外花弁も派手すぎず、なんともいえないバランスの花であると思います。花色もピンクなのに品が悪いピンクではないし。

この花が咲き出すと、「ああ春が近いんだなあ」と思うわけですよ。

今年は、一月から父の調子が悪く、一時は「どうしよう?」と思うほどでした。幸いにして今はもうだいぶ回復したのですが、もともと心臓に持病を抱えているので寒さは本当によくないのです。そうこうしているうちに元気もののはずの母も不整脈が出ていることがわかり、悲鳴を上げたくなりました。親の体が弱っていることをまざまざと見せつけられるのは堪えます。

だから今年は春が来るのを待つ気持ちが切実です。

早く本格的な春が来ないかなあ。

2007年2月11日 (日)

椿の花を食べるヤギ

Nec_0030_22 さて、うちは「椿屋敷」を名乗るぐらい庭中畑中椿と山茶花だらけなのです。

なので今のこの時期、咲き終わった椿の花が、そらもうそこら中に落ちています。落ちてしまった椿というのは赤やピンクが無残に変色してしまって、あまり見たいものではありません。しかし、うまくしたもので、この花をヤギが大好きなのです。

ヤギ味覚にとってかなりいい味らしく、椿の花が落ちていると実にまめにひとつひとつ拾いながら口の中に入れていきます。おいしいのかなあ?確かに椿の花は肉厚なので、食べるとかなりおなかが膨れそうだけれど。

椿の花弁には蜜があるので、よくその蜜は人間も吸ったりします。「花弁の味はどうだろう?」と思って噛んでみましたが、・・・・・・・・・そらもうなんともいえない味でした。

やっぱりヤギの味覚と人間の味覚は違うんだなあと、再認識いたしましたです。

襖の部分補修

Nec_0028_26 というわけで、猫どもと甥っ子にやられた襖の部分補修もいたしました。

もう襖のほうはカッコをつけていられず猫が爪を立てられないように、猫の手が届く範囲全面ダンボール防備いたしました。そうじゃないと向こう側まで突き通るような穴を開けそうな勢いだったからです。

ダンボールは電気絨毯の空き箱がちょうどいいサイズだったので大型カッターで解体。あと小さいネジにクロームの止め皿をあてて、ネジ山がダンボールを破いて外れないようにしました。

まだまだ様子を見なければわかりませんが、どうやら「襖にトンネルを掘る」ことはあきらめてくれたようです。